白井博幸
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名前 | ||||||
カタカナ | シライ ヒロユキ | |||||
ラテン文字 | SHIRAI Hiroyuki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1974年6月17日(49歳) | |||||
出身地 | 静岡県富士市 | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1993-1996 1997 1998 2000-2005 2006-2007 2008 |
清水エスパルス ヴェルディ川崎 セレッソ大阪 湘南ベルマーレ ベガルタ仙台 FC琉球 |
43(2) 17(0) 21(0) 126(2) 31(0) 3(0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2008年11月30日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
白井 博幸(しらい ひろゆき、1974年6月17日 - )は、静岡県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。
1996年、U-23サッカー日本代表に選出され、相手エースの密着マーク等粘り強い守備で28年ぶりのオリンピック男子サッカー出場に貢献した。アトランタ五輪男子サッカー日本代表にも引き続いて選出され、アトランタ五輪男子グループリーグD組初戦の後半30分に交代出場。ブラジル五輪代表を降す「マイアミの奇跡」を経験した。
概要
1996年3月16日~20日にかけて行われたアトランタ五輪男子アジア最終予選A組で日本は2勝1分け勝ち点7でイラクと並んだが、日本が+4、イラクが+3と得失点差で上回り、首位で決勝トーナメント進出を決めた[1]。ところが、B組を首位通過すると目されていたこの年代のアジア最強の前評判[2](実際、日本サッカー協会技術委員会も最強と分析[3])のサウジアラビアが2位で通過したために準決勝で、日本と対戦することになった。日本が勝利するためには、サウジアラビアのエースFWオバイド・アル・ドサリ(以下O・ドサリと略)を封じ込める必要があった。そこで西野朗監督は、怪我から回復したばかりの白井にO・ドサリの密着マークを命じた。後に、西野監督は「サウジの攻撃のエースを封じるために、ウチの守備のエース白井を当てた」とインタビューで語っている。1996年3月24日に行われた日本とサウジアラビアの準決勝では、日本のエースで主将のMF前園真聖の前半4分と後半12分の2得点で、日本が2-0でリード。白井はサウジアラビアのエースO・ドサリを封じ込め続けていたが、後半32分そのO・ドサリに1点を決められ、以後サウジアラビアは猛攻を仕掛けた。しかし、白井は失点の場面以外は、O・ドサリを封じ込め続けた。日本はGK川口能活をはじめ、全員で最後まで守り抜き、2-1で、28年ぶりのアトランタ五輪男子出場を決めた[2]。
続く、アトランタ五輪本大会でも、日本五輪代表に選出され、1996年7月21日、アトランタ五輪男子グループリーグD組第1戦ブラジル戦いわゆるマイアミの奇跡では、後半30分に遠藤彰弘から交代して出場した。試合は1-0で勝利した。第2戦のナイジェリア戦ではフル出場したが、0-2で敗れた。第3戦のハンガリー戦では出場しなかった。
Jリーグ、日本フットボールリーグの計6クラブに在籍し、2008年をもって現役を引退した。
所属クラブ
- 東海大学第一高等学校
- 1993年 - 1996年 清水エスパルス
- 1997年 ヴェルディ川崎(現-東京ヴェルディ)
- 1998年 セレッソ大阪
- 2000年 - 2005年 湘南ベルマーレ
- 2006年 - 2007年 ベガルタ仙台
- 2008年 FC琉球
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1993 | 清水 | - | J | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
1994 | 14 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 15 | 0 | |||
1995 | 24 | 1 | - | 1 | 0 | 25 | 1 | ||||
1996 | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | |||
1997 | V川崎 | 17 | 17 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 20 | 0 | |
1998 | C大阪 | 4 | 21 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 25 | 0 | |
2000 | 湘南 | 31 | J2 | 21 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 22 | 0 |
2001 | 5 | 15 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 16 | 0 | ||
2002 | 33 | 0 | - | 3 | 0 | 36 | 0 | ||||
2003 | 30 | 2 | - | 4 | 0 | 34 | 2 | ||||
2004 | 17 | 0 | - | 1 | 0 | 18 | 0 | ||||
2005 | 10 | 0 | - | 0 | 0 | 10 | 0 | ||||
2006 | 仙台 | 4 | 19 | 0 | - | 0 | 0 | 19 | 0 | ||
2007 | 12 | 0 | - | 1 | 0 | 13 | 0 | ||||
2008 | 琉球 | JFL | 3 | 0 | - | - | 3 | 0 | |||
通算 | 日本 | J1 | 81 | 2 | 8 | 0 | 3 | 0 | 92 | 2 | |
日本 | J2 | 157 | 2 | 2 | 0 | 9 | 0 | 168 | 2 | ||
日本 | JFL | 3 | 0 | - | 0 | 0 | 3 | 0 | |||
総通算 | 241 | 4 | 10 | 0 | 12 | 0 | 263 | 4 |
その他の公式戦
- 1997年
- スーパーカップ 1試合0得点
代表歴
- U-23日本代表(1996年)
- 1996年 アトランタオリンピック
指導歴
- 2009年 - 現在 FC琉球 コーチ
関連項目
脚注
- ^ 大貫哲義著「アトランタドリーム『前園真聖物語』」1996年、P213
- ^ a b 日本の五輪史 1996年アトランタ予選 日本のエース前園が2ゴール-日刊スポーツ
- ^ 前園真聖著「ドリブル」1996年、P152