濱田水輝

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濱田 水輝
名前
カタカナ ハマダ ミズキ
ラテン文字 HAMADA Mizuki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1990-05-18) 1990年5月18日(34歳)[1]
出身地 アメリカ合衆国の旗 ニュージャージー州[2]
身長 185cm[1]
体重 80kg[1]
選手情報
在籍チーム 日本の旗 浦和レッドダイヤモンズ
ポジション DF
背番号 26
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2009- 日本の旗 浦和 9 (0)
代表歴2
2005
2006-07
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国U-15
日本の旗 日本U-17
1. 国内リーグ戦に限る。2012年2月18日現在。
2. 2009年5月30日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

濱田 水輝(はまだ みずき、1990年(平成2年)5月18日 - )は、日本サッカー選手。アメリカ、ニュージャージー州出身。ポジションセンターバックボランチJ1浦和レッドダイヤモンズ所属。埼玉県立和光国際高等学校卒業。

来歴

アメリカ、ニュージャージー州出身。小学校時代は日本で生活するが、小学5年時に再渡米。以後アメリカで5年間生活し、2005年にはU-15アメリカ代表にも選ばれている。

その後日本に帰国し、浦和レッズユースに入団。ユース時代はボランチとしてプレイ。2008年の高円宮杯U-18で優勝を飾っており、山田直輝高橋峻希原口元気らと共に「浦和ユース黄金世代」と呼ばれる。また、サテライトでも2007年には4試合、2008年には2試合に出場。2006年、2007年にはU-16、U-17日本代表に選ばれている。2009年山田直輝高橋峻希永田拓也とともにトップに昇格[3]

2009年3月29日ナビスコカップ第2節、対横浜Fマリノス戦で後半41分に山田直輝と交代で途中出場。これがプロデビューとなった。また、4月29日の対清水エスパルス戦が、初のリーグ戦ベンチ入りとなった。Jリーグデビューは6月21日の対横浜Fマリノス戦。後半44分に鈴木啓太と交代で途中出場。若手センターバックの近藤徹志橋本真人がいる中、ベンチ入り・交代出場を重ねている。7月15日のナビスコカップ準々決勝第1戦、対清水エスパルス戦でボランチとしてプロ初先発。

2010年、シーズン当初はボランチの層が厚かった影響でベンチ入りすらままならなかった状態だったが、阿部勇樹レスター・シティFCへ移籍が決定、細貝萌が代表招集で不在、鈴木啓太が故障というボランチの台所事情が苦しい中で行われた天皇杯2回戦、対東京国際大学戦で先発出場し今季初出場を記録した。その後は徐々に出場機会を増やしていき、12月4日Jリーグ第34節、対ヴィッセル神戸戦で出場停止の山田暢久に替わりセンターバックでプロ入り初のリーグ戦先発出場を果たした。しかし神戸の先制点に繋がるミス、2点目のPKに繋がるファウルを犯してしまう等、本来の力を発揮出来ないまま後半7分に堀之内聖と交代した。

2011年U-23日本代表では不動のレギュラーとして定着していた反面、クラブでは出場はおろか、ベンチ入りも出来ない時期が続いていたが、終盤戦になりようやくセンターバックとして先発出場する試合が増えていった。

人物

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴
  • 2009年- 浦和レッドダイヤモンズ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
2009 浦和 26 J1 1 0 4 0 0 0 5 0
2010 4 0 0 0 3 0 7 0
2011 4 0 3 0 3 0 10 0
2012
通算 日本 J1 9 0 7 0 6 0 22 0
総通算 9 0 7 0 6 0 22 0

経歴

代表歴

  • U-16、U-17日本代表(2006-2007)
  • U-22日本代表
  • U-23日本代表

外部リンク

脚注

関連項目