激突! 殺人拳
激突! 殺人拳 | |
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The Street Fighter | |
監督 | 小沢茂弘 |
脚本 |
高田宏治 鳥居元宏 |
出演者 |
千葉真一 中島ゆたか 山田吾一 石橋雅史 |
音楽 | 津島利章 |
撮影 | 堀越堅二 |
編集 | 堀池幸三 |
製作会社 | 東映 |
配給 |
東映 ニュー・ライン・シネマ |
公開 |
1974年2月2日 1974年11月12日 |
上映時間 | 91分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
次作 | 殺人拳2 |
『激突! 殺人拳』 (げきとつ! さつじんけん、The Street Fighter ) は、1974年の日本映画。カラー・シネマスコープ、91分。
製作 : 東映、監督 : 小沢茂弘、主演 : 千葉真一。『殺人拳』シリーズの第一作である。
解説
空手・拳法の達人で非情なプロフェショナルの活躍を描いた作品。1973年に公開された千葉真一主演の格闘映画『ボディガード牙』シリーズに続いて本作も再び主演に迎え、ヤクザ映画が下火になっていたおり本作は東映にとって、久々の大ヒットをとばした作品となった[1]。 当時の欧米ではカンフーと空手の区別がなく、それまでの“空手 = ブルース・リー”が本作以降、“ 空手 = 千葉真一 ”へと一般的な認識が代わる転機と一大ブームが起きた[2][3][4]。 本職の空手家らも「Sonny Chiba (サニー千葉)[注釈 1]の空手は本物」という評価をし、それが定着していくこととなる[2][3][4]。
剛柔流空手の山口剛玄と日本正武館の鈴木正文が協力していることから、随所に剛柔流の型が観られ、敵役の志堅原楯城には千葉の推薦により[6]、剛柔流八段・極真空手七段である石橋雅史がキャスティングされた。千葉にとって石橋は極真会館の前身である大山道場の先輩にあたる。石橋は監督の小沢茂弘や千葉らの要望で、格闘・アクションシーンに全て立ち会うなど、スタッフとしても貢献した[7]。
ファッションでも千葉がM65 (フィールドジャケット) を着用するなど、役作りでもこだわっている。千葉の熱狂的ファンであるクエンティン・タランティーノが脚本を手がけたアメリカ映画『トゥルー・ロマンス』には、主人公が『激突! 殺人拳』を映画館で観ているシーンがあり、英国放送協会 (BBC)のドキュメンタリー番組である『Japanorama 』では、2007年4月9日放送の「Densetsu (Legends)」 (伝説) をテーマにした回で、千葉と共に本作の特集が組まれるなど、後々にも影響が及んでいる。
海外興行
アメリカ合衆国ではニュー・ライン・シネマが、千葉真一を「ブルース・リー以上だ。素晴らしい」と評して興行権を買い取り、1974年11月12日から『The Street Fighter 』というタイトルで、セントルイス・アトランタ・ニューオーリンズ・ワシントンD.Cなど、主にアメリカ合衆国中南部の都市18館で封切公開した[8]。いざ封切りされるや、同時期に上映されていたパニック映画『エアポート'75』、『オデッサ・ファイル』、ミュージカル映画『星の王子さま』などの大作を押さえ、3週間でベスト5に躍り出て、千葉の代表作の一つとなった[8][9]。そして『The Street Fighter 』は、アメリカ合衆国で最も権威のある総合情報週刊誌『Variety』が、日本映画を初めて掲載した作品にもなった[8][9]。
この成功により1975年1月下旬からは、ブロードウェイ (ニューヨーク) のRKO劇場やマンハッタンでも上映された[8]。過去の日本映画で、比較的入ったといわれる『砂の女』や、ニューヨーク・タイムズなどの批評欄をにぎわした黒澤明作品でさえ、アートシアター系で上映された程度であった[8]。本作はアメリカ合衆国だけでなく、ヨーロッパ・オーストラリア・カナダの映画会社からも買い付けを受けた[8]。海外で大ヒットした要因として「ブルース・リーの舞踊劇的な功夫と違い、ワザと力がより本物に近く、迫力がある」、「器械体操を利用した、トランジスター的器用さが面白い」ことが挙げられている[8]。
多くのアメリカ人からファンレターをもらった千葉は実際の反響を知りたくなり、ニューヨークへ視察に行った[10]。現地の劇場では、配給元であるニュー・ライン・シネマ社が独自のイントロ映像を加えて、本編の前にストリートファイトしている集団を映し、そのうちの一人が「ちっちっ、こんなことで驚くんじゃねえぜ。日本から、どえらい奴が来たんだぜ」というセリフの後に、本編が始まる趣向となっていた[10]。また、千葉がセントラル・パークでジョギングの後にストレッチをしていたら、3,4人の黒人が近づいてきた[10]。治安が良くないニューヨークなので千葉も警戒していたら、"Are you Sonny Chiba? " " Yes. " "Oh my god! " と、たちまち10人ぐらい集まり、サイン攻めとカラテを見せることになった[10]。
ストーリー
空手・拳法の達人である剣琢磨は、彼を「大人 (ターレン)」と呼んで慕う張を助手に、殺人・誘拐など非合法な依頼を請け負うプロフェッショナル。琢磨は義順・奈智の兄妹から、殺人空手の使い手で死刑囚の兄・志堅原楯城 (しけんばる たてき) の脱獄を請け負い、香港へ逃がすことに成功する。しかし兄妹は成功報酬全額を払えなかったため、琢磨は奈智を売り飛ばすと言い放つ。義順は琢磨に立ち向かうが全く歯が立たず、跳び蹴りも剣にかわされ、そのまま高層マンションから転落死。奈智は牟田口興産に売り飛ばされ、香港マフィア・五竜会の手に落ちてしまう。
その後、琢磨は牟田口から「ベルネラ石油の令嬢、サライ・チュアユットを誘拐してほしい」と依頼されるが、その黒幕が五竜会と見抜き、断った。逆に琢磨はサライが身を寄せる空手道場・正武館に乗り込み、その護衛に自分を売り込んだことで、五竜会を相手にした戦いに巻き込まれていく。五竜会のボス・キングストーンは、琢磨抹殺を香港の九竜暗黒街のボス・ディンサウに依頼。ディンサウは盲狼公ら屈強の部下を連れて来日するが、その中に志堅原楯城と救出された奈智もいた。
サライは父親の部下であるバヤンに誘われ伊豆に向かうが、それは五竜会の罠であった。琢磨はサライを救出できず、五竜会に谷底へ突き落とされてしまう。サライは神戸沖に停泊するベルネラ石油のスーパータンカー「プリンセス・サライ号」に拉致され、全資産を父親の部下であるアブダル・ジャードに譲るという書面にサインすることを強要されていた。ジャードとキングストーンら五竜会が繋がっていて、サライの父親を殺害したのもジャードが謀ったことであった。サライは「欲しければ、殺して奪いなさい」とサインに応ぜず、ジャード・バヤン・キングストーン・牟田口の前で拒否し続ける。一方、琢磨は単身でタンカーに潜入しサライを救出しにきたが、琢磨の前に義順の仇と狙う楯城・奈智兄妹が立ち塞がった。
キャスト
- 千葉真一 : 剣琢磨
- 中島ゆたか : サライ・チュアユット
- 風間千代子 : 楊紀春
- 志穂美悦子 : 志堅原奈智
- 山田吾一 : ラクダの張
- 川合伸旺 : 土田鉄之助
- 汐路章 : 梁東一
- チコ・ローランド : ボンド
- トニー・セテラ : アブダル・ジャード
- ユセフ・オスマン : キングストーン
- 千葉治郎 : 志堅原義順
- 大前均 : ムスカリ
- 唐沢民賢 : 福岡刑務所・所長
- 川谷拓三 : 大島
- 白川浩二郎 : 陳刑事
- 岩尾正隆 : 牟田口の手下A
- 野口貴史 : 横山
- 福本清三 : 牟田口の手下B
- 片桐竜次 : 花田
- 角友司郎 : 翁長
- 石橋雅史 (空手) : 志堅原楯城
- 旬友司郎 (空手) :
- 原田力 (レスリング) :
- 風間健 (キックボクシング) : 韓仙岳
- 山本麟一 : 九龍のディンサウ
- 遠藤太津朗 : バヤン
- 天津敏 : 盲狼公
- 渡辺文雄 : 牟田口連蔵
- 鈴木正文 ※武術指導・特別出演 (日本正武館) : 政岡憲道
スタッフ
ビデオ及びDVD
2006年12月8日にDVDが、東映ビデオから販売された。
脚注
注釈
- ^ アメリカ合衆国の興行で、後述のニュー・ライン・シネマ社が千葉真一を、Sonny Chiba (サニー千葉) と名付けて宣伝した。この愛称で千葉はこれ以降、海外で脚光を浴びていくが、英語圏でSonnyは男性の名前に使われるほか、口語で「兄ちゃん・坊や」という意味があり、千葉ちゃんの愛称を欧米風にした[5]。
出典
- ^ 小沢茂弘、高橋聡『困った奴ちゃ―東映ヤクザ監督の波乱万丈生』ワイズ出版、1996年、91 - 92頁。ISBN 9784948735576。
- ^ a b 大山倍達『わがカラテ革命』講談社、1978年、83 - 87頁。
- ^ a b “MARTIAL ARTS LEGEND Sonny Chiba が、SINGAFEST 2011 にてLIFETIME ACHIEVEMENT AWARD を受賞” (2011年8月10日). 2011年8月19日閲覧。
- ^ a b 中村カタブツ『極真外伝 〜極真空手もう一つの闘い〜』ぴいぷる社、1999年、172 - 186頁。ISBN 4893741373。
- ^ JJサニー千葉『千葉流 サムライへの道』ぶんか社、2010年、11, 51頁。ISBN 4821142694。
- ^ 石橋雅史 (2008年8月4日). “負けるわけにゃいきまっせんばい! 66”. 石橋雅史の万歩計. 2011年10月31日閲覧。
- ^ 石橋雅史 (2008年8月6日). “負けるわけにゃいきまっせんばい! 68”. 石橋雅史の万歩計. 2011年10月31日閲覧。
- ^ a b c d e f g 「本家ブルース・リーをしのぐ千葉真一」 報知新聞、1974年12月27日付朝刊。
- ^ a b Variety、1974年12月18日付。
- ^ a b c d 千葉流 サムライへの道、241 - 242頁。