橋本 (相模原市)

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橋本の超高層マンション群

橋本(はしもと)は、神奈川県相模原市緑区地名である。

  1. 現在の町名住居表示実施区域であり、橋本一丁目から橋本八丁目まである。郵便番号は252-0143(橋本郵便局管轄)。当地域の人口は20,695人(2014年12月1日現在)。
  2. 緑区の6地区の一つである橋本地区。1に加え、相原、大山町、大字下九沢(緑区に属する部分)、西橋本、二本松、橋本台、東橋本、元橋本町を含める。西橋本五丁目に緑区役所が所在する。

旧大字橋本における住居表示は1990年10月1日までに完了しているため、大字の残存部分はない。

概要

相模原市中部(旧市域北部)にある相模原市の都市核に認定された地区である。橋本駅周辺は政令による都市再生特別地区に指定されている。神奈川県の北の入り口と位置づけられ、県や市、民間が主体となった再開発が進む。

橋本駅の北口付近には超高層マンションが立ち並び、現在も建設ラッシュが続く。駅の西、かつての国鉄車輌センター跡地にも、超高層マンションやハイテクパーク・大型ショッピングセンターが完成。駅北方は以前からの住宅街が広がる。橋本駅を核とした市街地域や住宅地域は、北部へ境川を越えて西部に拠点の無い東京都町田市まで広がっている。駅の南西部は、比較的新しい住宅地が旧市境を超えて城山地区へ広がっている。かつての大山街道である旧国道16号沿には宿場町のイメージが残る。神奈川県立相原高等学校の南には工場地帯が広がる。南口南東部の大工場地帯は、橋本駅付近が都市再生特別措置法に指定されたこと[1]を受けて、更なる人口や商業の集中が加速する。また、中心市街地活性化法で相模原市の中心市街地・都市核に指定されている[2]

周辺には大学が多いこともあり、学生の街としても賑わっている。

毎年8月には「橋本七夕まつり」が、11月には「あんどん祭」が行われ、人出で賑わう。

歴史

相模国高座郡に属し、元は相原村の一部であった。橋本の地名は、八王子川越方面と厚木小田原方面とを結ぶ中世以来の主要街道(八王子街道または大山街道国道16号旧道)が境川を渡る地点に架けられた両国橋に由来する、とされている。橋の南側に橋本宿が形成され、宿を中心に橋本村として江戸時代初めに相原村から分立した。江戸時代には旗本支配地となり、明治政府成立後の1868年慶応4年・明治元年)6月(旧暦)に神奈川府(間もなく神奈川県)の所属となった。

1889年(明治22年)4月1日、町村制市町村制)施行のためのいわゆる明治の大合併によって、隣接する相原村、小山村、清兵衛新田と合併して高座郡相原村の一部となり、旧橋本村の区域をもって大字橋本が編成された。合併以前の旧相原村(大字相原)は村域内の西部に位置するが、村役場や小学校などはいずれも橋本に置かれ、1908年(明治41年)に橋本駅が開設されたこともあって橋本が相原村の中心集落の地位を占め続けた。高座郡相原村は1941年昭和16年)4月29日に上溝町など高座郡北部の2町5村と合併して高座郡相模原町となり、1954年(昭和29年)11月20日に市制を施行して相模原市となった。

大字橋本の区域では1966年(昭和41年)以降、住居表示による新町名が編成され、1990年平成2年)に最後まで残った区域が「橋本台1 - 3丁目」の一部となって大字橋本は消滅した。現在の橋本1 - 2・5 - 8丁目、南橋本2・3丁目、大山町、元橋本町、西橋本1 - 5丁目、橋本台1 - 3丁目の範囲がおおよそ元の大字橋本に相当する。一方、現在の橋本3・4丁目は元は大字小山に属していた。

地区名としての橋本

前述の通り、橋本は1889年の合併以降は「相原村」の大字名となった。橋本駅南側の至近に位置する県立高校が神奈川県立相原高等学校と称するのは、この学校の開設当時に相原村に属していたからである(ただし、1922年の開設当初の校名は神奈川県立農蚕学校。1930年に神奈川県立相原農蚕学校と改称し、神奈川県立相原農蚕高等学校を経て1954年に現校名となる)。

しかし、相原村によって橋本に開設された小学校旭小学校と称した。相模原町となってから開設された青年学校や(新制)中学校も同様に旭青年学校(1943年開設)、旭中学校(1947年開設)と称している。また、旧相原村の区域で組織された農業協同組合旭農業協同組合(現相模原市農業協同組合[JA相模原市]旭支店)を称しており、この区域について「相原」または「橋本」に代えて「旭」という呼称が好まれることもあった。

1941年の合併後、相模原町および相模原市は、合併以前の旧町村にそれぞれ出先機関を設置したが、旧相原村については「橋本」の呼称を用い、現在の橋本出張所に続いている。市の行政上も、本庁直轄となっている小山・清兵衛新田(清新)地区を除いた旧相原村の区域を橋本地区などと呼ぶことが多い。現在では「橋本」が旧相原村の大部分の区域を指す地区名であり、「相原」はその中の小区域の呼称と認知されているようである。

現状

橋本は、旧相原村の行政中心としてだけでなく、周辺地域からのバス路線が橋本駅に集まったこともあって、神奈川県北部の交通の結節点として発展した。特に旧津久井郡南部の城山・津久井両地区は、バス交通を介して橋本と強く結びついている。また、相模原市旧市域北西部の大沢地区や田名地区、上溝地区、さらには隣接する東京都町田市北西部(堺・小山地区)や八王子市の一部にもその影響は及ぶ。

1990年京王電鉄相模原線が乗り入れ、東京23区、特に新宿に直結したことによって交通結節点としての重要性をさらに増した。1990年代末以降、駅北口の再開発や工場跡地などへの高層マンション建設によって商業や人口の集積が進みつつあり、相模原市旧市域北部の拠点として成長を続けている。

主な施設

橋本駅

駅北口

橋本駅北口には再開発の際にペデストリアンデッキが設けられ、その下はバスターミナル・タクシー乗り場になっている。このペデストリアンデッキから直接、「イオン」橋本店(2002年10月26日ビブレ」から改称後、2011年3月1日に店舗ブランドがイオンに統一されたため「サティ」から改称)および、飲食店等の入ったビル「味の食彩館はしもと」に行くことが出来る。

橋本駅北口再開発ビル(イオン橋本店)
ミウィ橋本

駅南口

アリオ橋本
相模原北警察署
橋本郵便局
相模原協同病院

脚注・出典

  1. ^ 民間都市開発投資の促進・都市再生特別措置法の適用状況 内閣官房地域活性化統合事務局・都市再生本部
  2. ^ http://www.syoutengai.or.jp/pdf/14/14/3_064.pdf

座標: 北緯35度35分58.8秒 東経139度20分30.5秒 / 北緯35.599667度 東経139.341806度 / 35.599667; 139.341806