智東駅

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智東駅
智東駅(2004年6月)
ちとう
Chitō
日進 (4.7 km)
(4.4 km) 北星
所在地 北海道名寄市智恵文智東
北緯44度25分0秒 東経142度27分51.8秒 / 北緯44.41667度 東経142.464389度 / 44.41667; 142.464389
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 宗谷本線
キロ程 84.9 km(旭川起点)
電報略号 チト
ホーム 1面1線(廃止時)
開業年月日 1924年大正13年)6月1日[1]
廃止年月日 2006年平成18年)3月18日
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1977年の智東駅と周囲約600m範囲の状況。左上が稚内方面。相対ホームに駅舎と貨物積卸場及び引込線の一般駅で、特に名寄側に木材貨物のストックヤードが細長く伸びている。かつてここに木材が沢山積まれていたが、この写真の時点では使われなくなって久しい様である。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

智東駅(ちとうえき)は、北海道上川総合振興局名寄市字智恵文智東にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線廃駅)である。電報略号チト。利用者僅少に伴い2006年平成18年)3月18日に廃駅となった[2]。晩年は冬期休業の臨時駅に降格されていた。

歴史

付近には民家が無く駅周辺の道路が除雪されないため、1987年(昭和62年)から冬季は全列車が通過し閉鎖される臨時駅となっていた。廃止直前には、営業期間中でも普通列車が2往復(下りは午後の2本、上りは朝夕1本ずつ)しか停車しなかった(停車時刻は通年時刻表に記載されていた)。

駅名の由来

当駅の所在する地名より。智恵文村(当時)の東端に位置することから「智東」と名付けられた[7][6][8][9]

駅構造

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南西側(稚内方面に向かって左手側、旧2番線)に存在した[6]分岐器を持たない棒線駅となっていた[6]。かつてはホームが千鳥式に配置された相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[8]。互いのホームは駅舎側ホーム南東側と対向ホーム北西側を結んだ構内踏切で連絡した[8]。駅舎側(北側)が上りの1番線、対向側(南側)が下りの2番線となっていた[8]。そのほか1983年(昭和58年)4月時点では1番線の旭川方から分岐し駅舎南側の貨物ホームへ至る貨物積卸し用の側線を1線と、2番線稚内方から2番線ホーム手前への側線を1線有していた[8]。また安全側線を上下各1線有していた[8]。交換設備運用廃止後は線路は側線を含め1993年(平成5年)3月までには撤去された[6]

無人駅となっていた。駅舎は構内の北西側に位置しホーム北側に接していた[6]有人駅時代からの駅舎は改築され、ヨ3500形車掌車[10]を改造した貨車駅舎となっていた[6]。旧駅舎の基礎の上への設置ではなく、利用されるホームである旧2番線側に位置変更となった[6]。当時は宗谷本線の貨車駅としては最も南に位置していた駅であった[6]

かつて、林業が盛んであった頃には近隣山林から切り出した木材の積み出し駅であった。

利用状況

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。なお、1940年(昭和15年)、1950年(昭和25年)および1970年(昭和45年)の数値はいずれも当該年から過去5年間の平均値であり、1日平均はいずれも365で除して算出し括弧書きで記した。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1940年(昭和15年) 11,821 (32,4) [11]
1950年(昭和25年) 17,625 (48.3)
1960年(昭和35年) 23,908 66 [12]
1961年(昭和36年) 20,758 57
1962年(昭和37年) 22,027 60
1963年(昭和38年) 23,902 65
1964年(昭和39年) 24,238 66
1965年(昭和40年) 25,860 71
1966年(昭和41年) 22,879 38
1967年(昭和42年) 16,583 24
1968年(昭和43年) 16,548 45
1970年(昭和45年) 11,246 (30.8) [11]
1981年(昭和56年) (1.5) [8] 乗降人員3人
1992年(平成04年) (0) [6] 乗降人員0人

駅周辺

晩年の利用者はピヤシリ山九度山への登山客が主であった[6]。駅前や裏山の周辺には、舗装された細い道と草樹しかない。

駅跡

廃駅後、貨車駅舎はトロッコ王国美深にて再利用されることとなり、2006年(平成18年)7月3日に旧・仁宇布駅構内である敷地内に移設された[10]

隣の駅

北海道旅客鉄道
宗谷本線(廃止時点)
日進駅 - (臨)智東駅 - 北星駅

脚注

  1. ^ a b c 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、899頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ a b c 平成18年3月ダイヤ改正について”. 北海道旅客鉄道 (2015年12月22日). 2005年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月6日閲覧。
  3. ^ 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』(監修:今尾恵介新潮社2008年5月発行)46ページより。
  4. ^ a b c 『新名寄市史』(2) (2000), p. 434.
  5. ^ “「通報」●函館本線江部乙駅ほか49駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 1. (1984年11月9日) 
  6. ^ a b c d e f g h i j k 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館1993年6月発行)146ページより。
  7. ^ 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、78頁。NDLJP:1029473 
  8. ^ a b c d e f g 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)179ページより。
  9. ^ 書籍『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』(監修:太田幸夫、富士コンテム、2004年2月発行)121ページより。
  10. ^ a b 書籍『ダルマ駅へ行こう!』(著:笹田昌宏、小学館文庫2007年5月発行)29-30ページより。
  11. ^ a b 名寄市役所 編『名寄市史』名寄市、1971年12月1日、1419-1421頁。doi:10.11501/9490573https://doi.org/10.11501/94905732022年6月13日閲覧 
  12. ^ 名寄市役所 編『名寄市史』名寄市、1971年12月1日、866-868頁。doi:10.11501/9490573https://doi.org/10.11501/94905732022年9月11日閲覧 

参考文献

  • 名寄市史編さん委員会 編『新名寄市史』 2巻、名寄市、2000‐11。 

関連項目