智東駅
智東駅 | |
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智東駅(2004年6月) | |
ちとう Chitō | |
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所在地 | 北海道名寄市智恵文智東 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 宗谷本線 |
キロ程 | 84.9 km(旭川起点) |
電報略号 | チト |
ホーム | 1面1線(廃止時) |
開業年月日 | 1924年(大正13年)6月1日[1] |
廃止年月日 | 2006年(平成18年)3月18日 |
智東駅(ちとうえき)は、北海道(上川総合振興局)名寄市字智恵文智東にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅(廃駅)である。電報略号はチト。利用者僅少に伴い2006年(平成18年)3月18日に廃駅となった[2]。晩年は冬期休業の臨時駅に降格されていた。
歴史
付近には民家が無く駅周辺の道路が除雪されないため、1987年(昭和62年)から冬季は全列車が通過し閉鎖される臨時駅となっていた。廃止直前には、営業期間中でも普通列車が2往復(下りは午後の2本、上りは朝夕1本ずつ)しか停車しなかった(停車時刻は通年時刻表に記載されていた)。
- 1924年(大正13年)6月1日 - 鉄道省宗谷本線名寄駅 - 智恵文駅間に新設開業[3]。一般駅[1][4]。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1962年(昭和37年)11月:貨物扱い廃止[4]。
- 1974年(昭和49年)10月1日:荷物扱い廃止し旅客駅となる[4]。
- 1984年(昭和59年)11月10日 - 出札・改札業務を停止し旅客業務について無人化[5]。但し閉塞扱いの運転要員は継続配置。
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となると共に臨時駅に格下げされ、冬季は全列車が通過するようになる[1]。
- 2005年(平成17年)
- 11月30日 - 実質的な最終営業日。
- 12月22日 - 廃止が発表される[2]。
- 2006年(平成18年)
駅名の由来
当駅の所在する地名より。智恵文村(当時)の東端に位置することから「智東」と名付けられた[7][6][8][9]。
駅構造
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南西側(稚内方面に向かって左手側、旧2番線)に存在した[6]。分岐器を持たない棒線駅となっていた[6]。かつてはホームが千鳥式に配置された相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[8]。互いのホームは駅舎側ホーム南東側と対向ホーム北西側を結んだ構内踏切で連絡した[8]。駅舎側(北側)が上りの1番線、対向側(南側)が下りの2番線となっていた[8]。そのほか1983年(昭和58年)4月時点では1番線の旭川方から分岐し駅舎南側の貨物ホームへ至る貨物積卸し用の側線を1線と、2番線稚内方から2番線ホーム手前への側線を1線有していた[8]。また安全側線を上下各1線有していた[8]。交換設備運用廃止後は線路は側線を含め1993年(平成5年)3月までには撤去された[6]。
無人駅となっていた。駅舎は構内の北西側に位置しホーム北側に接していた[6]。有人駅時代からの駅舎は改築され、ヨ3500形車掌車[10]を改造した貨車駅舎となっていた[6]。旧駅舎の基礎の上への設置ではなく、利用されるホームである旧2番線側に位置変更となった[6]。当時は宗谷本線の貨車駅としては最も南に位置していた駅であった[6]。
かつて、林業が盛んであった頃には近隣山林から切り出した木材の積み出し駅であった。
利用状況
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。なお、1940年(昭和15年)、1950年(昭和25年)および1970年(昭和45年)の数値はいずれも当該年から過去5年間の平均値であり、1日平均はいずれも365で除して算出し括弧書きで記した。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
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年間 | 1日平均 | |||
1940年(昭和15年) | 11,821 | (32,4) | [11] | |
1950年(昭和25年) | 17,625 | (48.3) | ||
1960年(昭和35年) | 23,908 | 66 | [12] | |
1961年(昭和36年) | 20,758 | 57 | ||
1962年(昭和37年) | 22,027 | 60 | ||
1963年(昭和38年) | 23,902 | 65 | ||
1964年(昭和39年) | 24,238 | 66 | ||
1965年(昭和40年) | 25,860 | 71 | ||
1966年(昭和41年) | 22,879 | 38 | ||
1967年(昭和42年) | 16,583 | 24 | ||
1968年(昭和43年) | 16,548 | 45 | ||
1970年(昭和45年) | 11,246 | (30.8) | [11] | |
1981年(昭和56年) | (1.5) | [8] | 乗降人員3人 | |
1992年(平成 | 4年)(0) | [6] | 乗降人員0人 |
駅周辺
晩年の利用者はピヤシリ山、九度山への登山客が主であった[6]。駅前や裏山の周辺には、舗装された細い道と草樹しかない。
駅跡
この節の加筆が望まれています。 |
廃駅後、貨車駅舎はトロッコ王国美深にて再利用されることとなり、2006年(平成18年)7月3日に旧・仁宇布駅構内である敷地内に移設された[10]。
隣の駅
脚注
- ^ a b c 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、899頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b c “平成18年3月ダイヤ改正について”. 北海道旅客鉄道 (2015年12月22日). 2005年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月6日閲覧。
- ^ 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年5月発行)46ページより。
- ^ a b c 『新名寄市史』(2) (2000), p. 434.
- ^ “「通報」●函館本線江部乙駅ほか49駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 1. (1984年11月9日)
- ^ a b c d e f g h i j k 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)146ページより。
- ^ 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、78頁。NDLJP:1029473。
- ^ a b c d e f g 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)179ページより。
- ^ 書籍『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』(監修:太田幸夫、富士コンテム、2004年2月発行)121ページより。
- ^ a b 書籍『ダルマ駅へ行こう!』(著:笹田昌宏、小学館文庫、2007年5月発行)29-30ページより。
- ^ a b 名寄市役所 編『名寄市史』名寄市、1971年12月1日、1419-1421頁。doi:10.11501/9490573 。2022年6月13日閲覧。
- ^ 名寄市役所 編『名寄市史』名寄市、1971年12月1日、866-868頁。doi:10.11501/9490573 。2022年9月11日閲覧。
参考文献
- 名寄市史編さん委員会 編『新名寄市史』 2巻、名寄市、2000‐11。