個人主義

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個人主義(こじんしゅぎ、: individualism: individualisme)は、国家社会権威に対して個人権利自由を尊重することを主張する立場。あるいは共同体国家民族の重要性の根拠を個人の尊厳に求め、その権利義務の発生原理を説く思想。ラテン語のindividuus(不可分なもの)に由来する。対語は全体主義集団主義

歴史

個人主義は個々の人間を不可分の基体と見ることから始まっている。19世紀にフランスの政治家トクヴィルが、社会主義と異なるアメリカ流のスタイルだという意味で、思索のための用語として造語した、individualismeというフランス語が発祥である。しかし個一般を中心とする姿勢は、ヨーロッパのロゴス中心論理から既に始まっていた。ただトクヴィルよりも前は個が個物であり、人を表す個人中心でなく、社会も含めて他から区分された万物が、個の一つだった。

概要

個人主義は、個々の人間の人格の独自性と自律性[1]を重んじる立場であり、その時々に形成された場の雰囲気に流されることのない、一個人としての一貫性のある深く統合された思想と責任ある行動を高く評価する。

個人主義は、他者の拒絶や排除によって成り立つ利己主義とは異なり、自己のみならず他者の人格をも尊重することをもって初めて達成しうるものである。他人に対するように自分を尊重し、自分に対するように他人を尊重しなければこういった考え方は十分に機能せず、エゴイズムの暴走を招くことになる。そのため高度な知性と自己統制を必要とするスタイルであるといえよう。

他思想との関係

個人主義は、自己の行為と矛盾した態度が許されない合理主義の側面を有する。社会契約説では、人が人を支配すること(政治権力)の正統性の根拠を、社会契約に対する個々人の事前の同意に置いている。これは、事前に同意した契約を遵守する主体を予定している点では、個人主義のもつ合理主義的な側面と関係している。

自由との関係では、個人主義は、あるべき姿を自己自身に対して規定する積極的自由(~への自由(英:liberty to)と、それを補完する「放任される自由(: liberty from...)」である消極的自由の双方の側面を有する。国家権力に対しては、個人主義は、消極的自由の側面からは個人間の権利調整に、積極的自由の側面からは個々人の潜在的な可能性の実現に資するものとして、その介入を要請するものであり、国家権力を、たんに個人を抑圧するものとしてのみ捉え、その廃絶を理想とする無政府主義とは区別される。また、個人間の衝突を防ぐ意味において、法の支配とは共存しうる思想である[2]

個人の進歩と充実なくして全体の向上は達成されないという個人主義の立場は、全体主義権威主義とは対立しうる。ことに、生活の多様性の喪失をもたらす全体主義とは、鋭く対立する。また、コミュニティを個人よりも優先する共同体主義とは対立しうる[3]

個人主義に近い思想として、ニーチェは伝統的な価値を基礎づける超越者(神など)を否定し、群衆ないし畜群と対比される超人の理想を語った(強さのニヒリズム能動的虚無主義)。

問題

大衆社会的な状況において、場の雰囲気に流される傾向をもつ群衆と化した個人[4]が、より強固なシンボル・指導者を求めて全体主義へと至る危険性がエーリヒ・フロムによって指摘されている。また、ギリシア語のanomos(法がないこと)に由来するアノミーの概念を提唱した社会学者のデュルケームが、個人の無制限な自由がかえって当人を不安定にすることを問題とした。

私的個人主義

私的個人主義(英:privatism)は、プライバシー(私事権)を強調する立場であり、自分の個人的意見、ライフスタイル、性向に対する干渉を拒絶することで抑圧的存在からの自由を示すとされる。快楽主義などと同一視されることもある。

法と個人主義との相克

人工的な法の論理と人倫的習俗の論理とが相克する例として、1807年にヘーゲル著『精神現象学』で紹介された『アンティゴネの物語』がある。

古代ギリシャで、オイディプス物語の主人公オイディプスは、父を殺し母をめとった自らの運命を呪い、目をつぶして流浪の旅に出る。その後、叔父のクレオンが王位に就いたが、オイディプスの遺児の内、男子たちは隣国の加勢を受けてテーバイを攻めてきた(テーバイの内乱)。不幸にして遺児たちが戦場に倒れた後、クレオンは亡国の徒である遺児たちを埋葬することを国法として禁じるとの触れをだした。しかしながら、オイディプスの娘アンティゴネは国法に反して弟たちを埋葬したいとその命令を拒否する。結果彼女は、死を覚悟で城壁の外に出、弟たちを埋葬した後自害したという。

個人が国家などの抑圧的存在に対抗してその信条を貫いた他の例として、良心的兵役拒否、あるいは内村鑑三不敬事件のような信仰上の対立などが挙げられる。

市民革命との関係

歴史上では、封建的な身分制を克服した市民革命によって、契約の自由(「身分から契約へ」)、私的所有権ならびに法的平等を保障された自律的個人の結合体としての市民社会が成立した。

市民革命の理論的な基礎ともなった社会契約説では、イギリスの哲学者ホッブズが、各個人の有する無制限な自然権は、「万人の万人に対する闘争」を帰結するものとした上、これを避けるためには、各個人の有する自然権が主権者に譲渡[5]されることが必要であるとした。これに対してイギリスの哲学者ロックは、自然状態を平和なものとみたが、これを確実にするものとして社会契約を肯定した。ただし委任を受けた統治者が社会契約に反した場合には、個々人はその自然権を回復するとして革命権を肯定した。またフランスの哲学者ルソーは、個々人の意志の総和である全体意志とは別個に、全人民の意志とされる一般意志を構想した[6]


関連文献

脚注

  1. ^ 各個人の持つ独特な道徳観、倫理、政治的、社会的立場、目標と要求など
  2. ^ 日本国憲法では、個人主義的な概念が採用されており、個人の尊厳の理念の下、すべて国民は個人として公共の福祉に反しない限り最大限に尊重されるべきである(第13条)とされている。
  3. ^ ただしコミュニティなき個人を負担なき自我とするサンデルらの批判もある
  4. ^ コミュニティとの関係、アイデンティティを形成する歴史観が希薄になったことをその要因として指摘する見解もある
  5. ^ この立場では、革命権は肯定されない
  6. ^ この一般意志は個々人の意志の総和を超越するものであり、個人主義とは相いれない思想といえるが、実際の政治の場では一般意志は多数決によって確認されるとしている

関連項目

外部リンク