井上慶太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Wikibonjin (会話 | 投稿記録) による 2022年11月12日 (土) 08:47個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎一門)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

 井上慶太 九段
平成28年11月、姫路市で行われた人間将棋にて
名前 井上慶太
生年月日 (1964-01-17) 1964年1月17日(60歳)
プロ入り年月日 1983年2月4日(19歳)
棋士番号 157
出身地 兵庫県芦屋市
所属 日本将棋連盟(関西)
師匠 若松政和八段
弟子 稲葉陽菅井竜也船江恒平出口若武横山友紀狩山幹生藤本渚
段位 九段
棋士DB 井上慶太
戦績
一般棋戦優勝回数 2回
2021年10月1日現在
テンプレートを表示

井上 慶太(いのうえ けいた、1964年1月17日[1] - )は、将棋棋士、九段。若松政和八段門下[2]棋士番号は157[1]兵庫県芦屋市出身[1][3]。順位戦A級通算3期[1]

日本将棋連盟棋士会副会長(2011年4月 - 2015年6月)、日本将棋連盟非常勤理事(2015年6月 - )、同連盟常務理事(2017年2月 - )[4]

棋歴

1978年、神戸市立高倉中学校3年のとき、中学生名人戦で準優勝(優勝は達正光)。翌1979年、兵庫県立星陵高等学校1年の高校選手権で3位となり(優勝は古作登)、高校を中退して奨励会に入会[5]。高校1年での入会は非常に遅い方である。入会から3年余り経った1983年2月4日の対局で神吉宏充に勝ち、成績を13勝3敗として四段に昇段、プロ入りを果たす[2]

1985年度、新人王戦で棋戦初優勝(決勝三番勝負の相手は森下卓)。翌1986年度には若獅子戦で優勝。1987年度の第36期王座戦南芳一米長邦雄真部一男を破りベスト4に進出した。翌1988年度の王座戦でも米長らを破りベスト4。しかし、当初は順位戦との相性は悪かった。1988年度の第47期順位戦C級2組では、勝てば昇級という最終局で逆転負けを喫する。しかし、兄弟子の谷川浩司から送られた「報われない努力はない」との手紙に勇気付けられ[6]、翌年、7期目の順位戦にして初の昇級を勝ち取る。

1993年度の第52期順位戦C級1組では、タイトル経験者の屋敷伸之郷田真隆らを破り10戦全勝でB級2組へ昇級。さらに、1995年度、1996年度の順位戦では、2年連続昇級を決めて、一気にA級八段となる。

初のA級順位戦(1997年度)では、最終9回戦の対島朗戦で横歩取り8五飛戦法[7]を用いて勝利。自身が5勝4敗でA級残留して米長邦雄(4勝5敗)をA級からの陥落に追い込み、また、同戦法が一躍注目を浴びるきっかけともなった。

翌年度(1998年度)のA級順位戦は、最終局で自分が負けても兄弟子の谷川が島朗に勝てば降級を逃れるという展開となったが、井上、谷川ともに敗れたことにより、井上は降級となってしまった。

竜王戦のランキング戦では、1993年度(第6期)に5組優勝、1996年度に4組優勝、1999年度に3組優勝、2001年度に2組優勝と、通算4回も優勝を記録。

2008年度の第67期B級1組順位戦で、混戦の中頭一つ抜け出して、A級復帰を決める。11期振りのA級復帰は、原田泰夫(14期振り)に次ぐ2番目の記録。

2011年3月3日の対局(第61期王将戦一次予選・対伊藤博文戦)で勝ち、八段昇段後250勝により九段昇段[2]。なお、この時点での通算成績は、635勝456敗(勝率0.5820)。

棋風・エピソード

  • 居飛車党であるが、振り飛車党のような軽快な捌きを重んじる軽い棋風である。
  • プロ棋士としては珍しく、終盤まで居玉のまま勝利した経験を持つ。(2017年1月27日・第43期棋王戦予選・対星野良生戦・手数99手) 
  • 羽生善治1996年2月14日に七冠独占を達成した6日後の2月20日オールスター勝ち抜き戦で井上が羽生に勝ち、「羽生七冠」に初めて勝った棋士として話題となった。
  • 順位戦A級・竜王戦1組在籍経験者でありながら、タイトル戦登場だけでなく、その挑戦者決定戦への進出もいまだに果たしていない。このことは「将棋界の七不思議」のひとつとされる。段位も九段でタイトル経験者でもありながらA級在位歴が無い、福崎文吾中村修とは逆の立場である。
藤井六段との因縁
  • B級2組で迎えた1995年度順位戦は9勝1敗で1期抜けを遂げたが、当期における唯一の黒星である1995年12月22日の7回戦・対藤井猛六段戦は、井上が居飛車穴熊に組もうとしたところ、「藤井システム」の前に47手で惨敗した一局である(対居飛車穴熊の藤井システムの1号局)。当時、井上の居飛車穴熊は天下一品と言われていたが、それゆえ、藤井猛の標的にされてしまった[8]
  • 2018年3月28日、前月に朝日杯将棋オープン戦で史上最年少の棋戦優勝を遂げ六段に昇段した藤井聡太と、第68期王将戦一次予選で対局し勝利し、藤井の四段時代から続いていた連勝を16で止め、六段昇段後初の黒星を付けた[3]。藤井は井上戦以降に再び連勝を続け、2018年5月18日の第31期竜王ランキング戦5組準決勝で船江恒平を破って竜王戦の昇段規定を満たし史上最年少七段となったため、井上は「藤井聡太六段」に唯一の黒星をつけた棋士となった[3]

人物

  • 兄弟子である谷川浩司の良き飲み友達である。また、谷川と同じく大の阪神タイガースファン(阪神ファン)であり、谷川を特集した毎日放送情熱大陸』では、甲子園球場で谷川と一緒に阪神を応援している姿が放送された。谷川は「タイガースに対する思いは井上に負ける」と語っている。日本将棋連盟関西本部からタイガース所属選手に名誉段位や賞状などを贈呈する際は、阪神タイガースのレプリカユニフォームを着用している。
  • 1992年に結婚した妻は、かつて関西将棋会館の売店職員だった[9]
  • 1981年の王位戦予選、淡路仁茂中田章道の339手に及んだ将棋で記録係を務めていた。深夜に及ぶ対局で尿意を催してしまい、限界になりそうなところ、当時奨励会員だった長沼洋が様子を見に来てくれたために、惨事を免れた。
  • 棋士仲間でのあだ名は「キューピー」である。これは顔の風貌と、笑ったとき頬にエクボが出来るからである[10]。ベビーフェイスなため、パンパースとも呼ばれていた。将棋ファンからは「ケイタ」と呼ばれることが多い。

一門

居住地の加古川市で「加古川将棋倶楽部」を主宰し、ここから複数の棋士、奨励会員が育っている。

  • プロ棋士となった弟子は以下の7名。
名前 四段昇段日 段位、主な活躍
稲葉陽 2008年4月 1日 八段、名人挑戦1、A級在籍6期、棋戦優勝2
菅井竜也 2010年4月1日 八段、王位1期、A級在籍4期、棋戦優勝4
船江恒平 2010年10月1日 六段、棋戦優勝2
出口若武 2019年4月1日 六段、タイトル挑戦1
横山友紀 2021年10月1日 四段
狩山幹生 2021年10月1日 四段
藤本渚 2022年10月1日 四段

(2022年9月10日現在)

  • 奨励会員の弟子も多数抱えており、その中には女性として史上3人目の三段リーグ入りをした中七海がいる。
  • 元弟子・元奨励会員の稲葉聡(稲葉陽の兄)は2015年の加古川青流戦にて、アマチュア参加者で初のプロ公式戦優勝をしている。
  • 前述の井上-藤井聡太戦(2018年)時点で、藤井は菅井(第67期王将戦)と稲葉(第67期NHK杯)にそれぞれ1度ずつ敗れていた。井上に敗れたことで藤井の対井上一門の成績が3戦全敗となり、井上一門は「藤井キラー」と呼ばれるようになる[11]。後に出口も藤井から勝利を上げている(第46期棋王戦)[12]

昇段履歴

プロ入り後の昇段規定は、将棋の段級 を参照。

  • 1979年 6級 = 奨励会入会
  • 1981年 初段
  • 1983年2月4日 四段 = プロ入り
  • 1987年3月27日 五段 (勝数規定)
  • 1991年7月12日 六段 (勝数規定)
  • 1996年4月1日 七段 (順位戦B級1組昇級)
  • 1997年4月1日 八段 (順位戦A級昇級)
  • 2011年3月3日 九段 (勝数規定)

主な成績

棋戦優勝

優勝合計 2回

在籍クラス

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

将棋大賞

  • 第21回(1993年度) 勝率第一位賞

その他

著書

脚注

  1. ^ a b c d 井上慶太|棋士データベース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2022年1月28日閲覧。
  2. ^ a b c 「プロ棋士」井上慶太九段|加古川市”. www.city.kakogawa.lg.jp. 2022年1月28日閲覧。
  3. ^ a b c 岡部敬史. “藤井聡太二冠に勝った最年長棋士は「急に心拍数が上がって、まったく手が見えなくなった」 | 観る将棋、読む将棋”. 文春オンライン. 2022年1月28日閲覧。
  4. ^ 将棋ソフト不正使用疑惑の対応に追われ体調不良により辞任した理事の補欠選挙において立候補した。日本将棋連盟新役員のお知らせ - 日本将棋連盟・2017年2月6日
  5. ^ 「今期3人目の新四段 心優しき青年 井上慶太四段」将棋世界1983年4月号
  6. ^ 将棋世界」(日本将棋連盟)2000年1月号付録より、これは村山聖を主人公とした漫画「聖 -天才・羽生が恐れた男-」(小学館)第6巻においても描写された。
  7. ^ 中座真が同年度の8月26日に初めて指していた戦法である。
  8. ^ 藤井自身がNHK将棋講座で講師を務めた際に語っている。
  9. ^ お気楽カフェ Vol.13 井上慶太八段
  10. ^ 「週刊将棋」第1回アマプロ平手戦観戦記(1985.9.4)など
  11. ^ 一門で“藤井キラー”…井上九段 愛弟子・船江六段VS藤井六段は「五分五分」”. www.sponichi.co.jp. 2019年3月9日閲覧。
  12. ^ 船江は非公式戦ではあるが、藤井から勝利を上げている(第4回ABEMAトーナメント

関連項目

外部リンク