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中松義郎

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なかまつ よしろう

中松 義郎
生誕 (1928-06-26) 1928年6月26日(95歳)
日本の旗 日本 東京
出身校 東京大学
職業 発明家
子供 中松 義成(シンガーソングライター)
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中松 義郎(なかまつ よしろう、通称: ドクター中松1928年6月26日 - )は、日本の発明家実業家である。ドクター中松創研代表取締役、日本文化振興会会長[1][2]

ただし自称している実績には、裏づけにとぼしいものが多い(詳細は以下の記事を参照)。

人物

発明家として多数の特許を取得しており、タレントとしてテレビに多く出演しているため、日本での知名度は高い。2006年平成18年)に行われたインターネット世論調査では、「この人のおかげで今がある」とされる発明家として、第1位となったトーマス・エジソンに次ぐ2位となった[3][4]

1989年(平成元年)にはニューズウィーク誌に掲載された『Who Said Talk Was Cheap?』という短い記事において、講演料が高額な人物のサンプル12人の中で唯一の日本人として、1時間あたり1万ドルと紹介された[5]。なお、この講演料は代理人が提示した金額をそのまま紹介したものであり編集部が評価したものではないが、中松の1時間1万ドルという額は12人の中で最も低額であった[6]。中松はこの記事を根拠に「ニューズウィークの選出した『世界12傑』に選ばれ、価値が1時間1万ドルと評価された」と主張している[7]

また、これまでに数々の受賞歴があり、アメリカ合衆国の11の州で名誉市民となっているほか、「ドクター中松デー」という記念日が制定されている例もあるとしている。ただし、アメリカでは名誉市民賞や記念日は市に対して本人が寄付を行えば授与されるケースが多く、一般的な顕彰とは位置づけが違っている[6]。さらに、世界発明コンテストに11年連続でグランプリ受賞したとしているが、そのコンテストの主催者である国際発明協会(社団法人「発明協会」とは無関係の組織)の会長は中松自身である[6]

工学法学医学理学人文学博士号を持っていると、東京都知事選の選挙公報誌等で公表している[8]。しかし日本国内での博士号取得者のリストの中には「中松義郎」の名前は確認されていない。

中松は野球などのスポーツにも造詣が深く、1990年には日本人として初めてメジャーリーグ球団ピッツバーグ・パイレーツの始球式を行っている[9]。著書などではしばしば愛国心について語っており、本人の歌唱による「君が代」のCDも発売されている。

生い立ち

東京府(当時)出身。母親は東京女子高等師範学校を卒業した教師であった[10]。学校は、はじめ麹町小学校越境通学した後、東京・原宿の自宅から至近の青山師範学校付属小学校に4年生から編入した[10]

その後は旧制麻布中学校海軍兵学校舞鶴分校[11]、旧制成城高等学校理科甲類を経て、東京大学第一工学部石油工学科を卒業、直後に法学部に編入した。卒業後には三井物産にてヘリコプターの営業に携わり、この際にヘリコプターによる農薬散布を発案したという。

1959年昭和34年)、イ・アイ・イに入社、専務副社長を歴任した。1971年(昭和46年)、同社社長との対立から独立した中松はナコー(現在のドクター中松創研)を設立、自らの研究開発の拠点とした。

発明

「送電線架設装置」を発明した中松義郎(1950年代)

これまでの発明件数は3,000件以上であり、エジソンの1,093件を上回り世界一だと主張している[7]。しかし、エジソンの発明が1,093件というのはアメリカ国内で取得した特許の件数であるが、中松による日本国内での特許出願件数は約600件[12]であり、公平な比較とは言いがたい(「出願」なので、取得できなかった発明も含む。3,000件以上という数字がどこから出てきたのかは不明)。また、ギネス世界記録では工学博士の山崎舜平が2004年に3,245件の特許を取得したとして世界一に認定(2011年には6,314件で再認定)されており、中松を大きく上回っている。

なお、1980年から1993年にかけては「発明件数2,360件」と主張していたが、『宝島30』1993年11月号に掲載された記事『「ドクター中松」という珍発明』(松沢呉一)において発明件数が10年以上も全く変化していないことを指摘されて以降は、現在の「3,000件以上」という主張となった[6]

発明品

灯油ポンプ
いわゆる灯油ポンプではあるが現在流通しているものとは仕様が違う。これは、中松が中学生の頃に母親が醤油を瓶に移し替えるのに苦労しているのを見て、灯油ポンプを元に発明したものであるという。ちなみに、特許明細書13297号(1907年)で特許を得ている人は別人であり、特許庁で実用新案として登録されている「醤油チュルチュル」はまったく別の構造である。
頭に良い物質を適当に配合したことを特徴とする食品
特許出願では、「頭が良くなる根拠が不明である」との理由で不採用となっている。その他「頭に良い~」シリーズの発明は膨大ながら、特許を得ているものはない。
原子力除雪装置
除雪車に搭載された原子炉の炉心に直接雪を送り込み、その熱で雪を溶かして一次冷却水にするというもの。ただし、放射性物質に汚染された排水の処理の仕方が明記されていないとの理由から特許としては不採用となっている[13]
ドクター中松エンジン(エネレックス)
宇宙エネルギーによって動作すると言われる原動機であり、実際には太陽電池と同じく電磁波をエネルギーに換えるものであり、もしくはラジオメーターラジオメーター効果)とも解釈される[14]
ハイドロジェン・オン・デマンド(HOD)
水に水素化ホウ素ナトリウムを混ぜて金属触媒によって水素を取り出して自動車の燃料する装置であり、原理としては燃料電池と同様のものである。2006年(平成18年)に発明して国際特許を取得。水素化ホウ素ナトリウムの単価が高いため、実用化には至っていない。
この発明を環境技術に関する映画を企画していた米国の製作会社「ダークホース・エンターテインメント」が注目、中松を主題としたドキュメンタリー映画「マスター・オブ・イノベーション〜ドクターナカマツ・ストーリー」の制作を2007年1月に発表した。制作発表ではこれは日本人として史上初の「個人」が扱われるハリウッド映画であり、年内に米国と日本で公開するとしていたが、映画雑誌「キネマ旬報」のサイトの映画データベース([1])に掲載されている中松に関する映画のデータは2006年(平成18年)に出演した『ヅラ刑事』のみであり、それ以外の情報は掲載されていない。
フライングシューズ(ピョンピョンシューズ)
底が板バネになっており、ピョンピョンと高くジャンプできる靴。中松の代名詞的発明であり、テレビ出演時にこれを履いて登場することが多い。このまま旅客機に乗り込もうとして、ピョンピョン跳ねた勢いで天井に頭をぶつけてしまい「頭が悪くなったらどうしてくれる!」と怒鳴ったというエピソードを持つ。
ラブジェット
中松が発明した「セックス方程式」に基づいて開発された性感度が3倍になるとされる香水。男女共用で若返り効果もあるとしている。
ドクター中松パター
ゴルフクラブのパター。一般的なクラブよりグリップが太く短く、普通は右利き用の場合で右手の方がヘッドに近い位置を握るのに対し、両手で同じ位置を握る。

「フロッピーディスクの発明者」との主張

中松がフロッピーディスクの発明者であり特許を取得したと主張し、これが話題になったため、一時期盛んにテレビやラジオに出演した。五ツ木書房の「Selett」のテレビCMでは、「私の発明にはフロッピーディスクがある」という中松のセリフを流したことがある。また、2010年現在「ドクター中松 創研公認オンラインショップ」でも、「フロッピーディスクの発明者、ドクター・中松」として関連商品を販売している[2]

しかし、中松が発明したのは「ナカビゾン」 もしくは「積紙式完全自動連奏蓄音器」[15]である。1948年(昭和23年)に特許申請され、1952年(昭和27年)に登録された。ナカビゾンは何枚も繋がった紙の横一行一行に譜面が記録されていて、自動連奏蓄音機の譜面読み取り部分が左右に振れることで、譜面を読み込み演奏するものである。簡単に言うと、「レコードジャケットに穴を開けて、中身を取り出さずにそのまま使えるようにする」という特許であり、多少は似たような部分はあってもフロッピーディスクそのものではない

実際のフロッピーディスクはアラン・シュガートが率いるIBM社の開発チームが1970年(昭和45年)に開発し、1971年(昭和46年)より商品化されている。つまり、本当の発明者はアラン・シュガートで、特許を取得しているのはIBMである。IBMが日本でのフロッピーディスク販売に関連して中松の持つ特許の「非独占的特許使用契約」を結んだのは事実であるが、契約がされたのは1979年(昭和54年)2月である。両者の契約が行われたのがフロッピーディスクが既に商品化された何年も後である以上、中松の特許がフロッピーディスクの商品開発に直接関与していないのは確実である。

IBMは自社の特許を守るため、当時フロッピーディスクの構造に抵触しそうな他者の特許に対して契約を結んでいた。中松の特許もその一つに過ぎず、これは、IBMがフロッピーディスクを日本で発売する際に、中松との紛争を避ける目的である。その契約内容は技術的なものではなく、エンベロープの意匠に関するものであったとされている。

商標登録

特許以外にも数多くの流行語の商標登録出願を行い、「元祖平成維新」や「新・民主党」「知本主義」などは商標登録されている。

しかし、「がんばれ日本(にっぽん)」はJOCから不使用取消審判が請求され、審決取消訴訟を経て、中松の商標登録取消が確定した[16][17]

政治活動

「ドクター・党」「政治発明党」「発明政治」「新自民党」などの政治団体を結成し、自ら代表に就任している。2007年(平成19年)、第21回参議院選挙に立候補した際に発表した「ドクター・中松ドクトリン」には、「私にしか出来ない最先端の発明が日本のためになる」「官僚はよく働く者のみなし数を1/2にする」「現行憲法は存在しない。現行憲法の名称は大日本帝国憲法の昭和二十一年改正であるべきである」等記載されていた。

頻繁な立候補

初めは1991年東京都知事選挙に無所属で立候補、“21世紀の地球都市を発明する”の基本政策を掲げ、自作のジャンピングシューズ(ピョンピョンシューズ又はフライングシューズ)を履いたパフォーマンスを行った。選挙公約は、「財政赤字を解決する発明」「行政改革を解決する発明」などであり、あらゆる問題の解決発明は既に用意しているとした。

1992年(平成4年)の参院選、2007年(平成19年)の都知事選の政見放送や街頭演説では当選の暁にはICBMを発射してきた国にUターンさせる発明「ドクター中松ディフェンス(DND)」で日本を守るとしたが、その詳細は明らかでない。

また、1995年東京都知事選挙に立候補を表明するも[18]、告示前に断念し[19]上田哲候補の応援に回っている[20]2011年(平成23年)の東京都知事選にも無所属で立候補したが[21]、落選した。

選挙 選挙区 政党 得票 惜敗率 順位 名義
1991年 東京都知事選 無所属 27,145 1.18% 7/16 中松義郎
1992年 第16回参院選 比例代表区 発明政治 139,728[22] 中松義郎
1993年 第40回衆院選 旧東京3区 新自民党 13,965 21.66% 8/10 中松義郎
1995年 第17回参院選 東京都選挙区 無所属 101,547 23.30% 8/72 中松義郎
1999年 東京都知事選 無所属 100,123 6.01% 7/19 ドクター・中松
2001年 第19回参院選 比例代表区 自由連合 36,076 ドクター・中松
2003年 東京都知事選 無所属 109,091 3.53% 4/5 ドクター・中松
2007年 東京都知事選 無所属 85,946 3.06% 5/14 ドクター・中松
2007年 第21回参院選 東京都選挙区 無所属 92,512 13.53% 10/20 ドクター・中松
2009年 第45回衆院選 比例東京ブロック 幸福実現党 35,667 7/9 ドクター・中松[23]
2010年 第22回参院選 比例代表区 幸福実現党 38,242 ドクター・中松
2011年 東京都知事選 無所属 48,672 - 5/11 ドクター・中松

幸福実現党

2009年(平成21年)7月、宗教法人「幸福の科学」を母体とする政党幸福実現党に招聘されて同党特別代表に就任し、2011年(平成23年)2月28日の退任まで務めた。中松は「幸福の科学」の会員ではないものの[24][25]第45回衆議院議員総選挙(2009年)には同党の比例代表東京ブロックに第2位として立候補して落選している[26]

イグノーベル賞受賞

2005年(平成17年)、「35年間に渡り自分の食事を毎回撮影し、食べた物が脳の働きや体調に与える影響を分析し続けたこと」に対して、イグノーベル栄養学賞が贈られた。彼の理論によると、人間は最大144歳まで生きることが可能であり、彼自身も144歳まで生きることを目標にしていると語っている。ちなみに、彼の母は101歳まで健在であったが、病院側の対処がもっと良ければ母は少なくとも120歳ぐらいまでは生きられたはずだと彼は主張している[27]

講演や選挙の演説などで、中松はイグノーベル賞を「IG(アイジー)ノーベル賞」と呼称し、本家ノーベル賞と同様かそれ以上の権威と栄誉がある賞だと主張しているが[28]、実際には犬語を日本語に翻訳する玩具「バウリンガル」が受賞していることからもわかるように、「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して贈られるジョーク的な賞である[29]。また、受賞基準は「研究している本人は真面目だが他者から見れば笑える」という点のみであり、受賞したからといってその研究の正しさが認められたというわけではない[30]

長年に渡り食べた物が脳の働きや体調に与える影響についての研究を続けてきた結論として、人間は一日三食も食べると頭が悪くなると主張しており、彼自身は一日一回しか食事をしないと語っている。さらに、20歳の頃にセックスをすると頭が悪くなるとも主張しており、自身も24歳までセックスをしていなかったという[31]

平和活動

平和活動の運動家であると主張しており、1993年(平成5年)、マハトマ・ガンディー記念国際財団よりマハトマ・ガンディー世界平和賞が贈られている。なお、この賞は世界的に知名度が高いインディラ・ガンディー賞(インディラ・ガンディー記念財団)とは全く無関係の賞である。

2010年(平成22年)3月8日にはインド・デリーの寺院でチベット仏教ゲルク派のトップ(教主)である第102代ガンデン・ティパ第3世セ・リンポチェ)から「金剛大阿闍梨」に認定されたという[32]。 一方、ガンデン・ティパは、中松に金剛大阿闍梨の地位を授けたことはなく、そもそもガンデン座主にそのような権限や風習がない、とその事実を否定してる[33]

出演

CM

著書

参考

  1. ^ 平成22年12月就任
  2. ^ 日本文化振興会新会長就任披露 世界婦人平和促進財団台湾総支部十周年記念行事
  3. ^ 中松は数千票を獲得、3位はグラハム・ベル、4位ライト兄弟、5位レオナルド・ダ・ヴィンチ、6位アルバート・アインシュタインであった
  4. ^ 第91回 アンケート結果『この人のおかげで今がある』と思う発明家を教えてください。」DIMSDRIVE、2006年
  5. ^ この記事で紹介されている12人はランキングが付いてるわけではなく、ロナルド・レーガン元大統領や、企業家のリー・アイアコッカといった有名人から、アメフトチームのコーチ、超音速機のパイロット、タイタニック号の発見者など様々なジャンルから選ばれている。
  6. ^ a b c d 「トンデモ本の世界」(と学会、1995年)260-268頁
  7. ^ a b ドクター中松プロフィール(ドクター中松ショップ・オンライン)
  8. ^ 2003年 東京都知事選挙 選挙公報誌では、理学博士・法学博士・人文学博士と公表している。
  9. ^ ドクター・中松氏大リーグ始球式で怪気炎!「鳩山くん、大先輩に挨拶がないぞ」(リアルライブ、2009年9月26日)
  10. ^ a b 母流のユニークな学校選択 ドクター中松コラム 『お受験どっとこむ』 平成23年5月30日閲覧
  11. ^ 海軍兵学校出身者(生徒)名簿 (1978)
  12. ^ 2005年時点
  13. ^ 特許電子図書館において特許公開出願番号「S58-120906」で検索可能
  14. ^ 永久機関と称する向きもあるが、本来の永久機関の定義は外部から継続的にエネルギーを供給されないものを指すため、これに当たらない当該項目も参照)
  15. ^ かつて学研から学習用教材として販売されたことがある。製造元は、リコー教育機器株式会社マイティーチャー
  16. ^ 共同通信ドクター中松氏敗訴確定 『がんばれ日本』商標47NEWS、2005年4月12日。
  17. ^ 「発明家『ドクター・中松』氏、敗訴確定 『がんばれ日本』の商標登録問題」『読売新聞東京本社版』2005年4月13日付朝刊、33面。
  18. ^ 「発明家・中松義郎氏が出馬表明 都知事選、2度目」『読売新聞東京本社版』1995年3月9日付朝刊、34面。
  19. ^ 「発明家の中松氏、都知事選出馬を断念」『読売新聞東京本社版』1995年3月21日付朝刊、34面。
  20. ^ 「都知事選きょう投開票 有力6候補密着ドキュメント」『読売新聞東京本社版』1995年4月9日付朝刊、30面。
  21. ^ 中松氏5度目の出馬「当選するまで」 - 政治ニュース : nikkansports.com
  22. ^ 「発明政治」全体の得票数
  23. ^ 幸福実現党に対しての得票。比例順位2位。
  24. ^ ドクター・中松、幸福実現党から出馬…本人直撃!ZAKZAK、2009年7月29日
  25. ^ 伝説の候補者列伝(2) ドクター・中松氏『今回の選挙にも秘策の発明ある』MSN産経ニュース、2009年8月16日
  26. ^ 「ドクター中松氏が幸福実現党から出馬」スポーツ報知2009年7月30日
  27. ^ ちなみに、確実な証拠のある史上最高齢の記録はジャンヌ・カルマンというフランス人女性の122歳。
  28. ^ 本年度 IGノーベル賞  中松義郎博士が受賞(ドクター中松ショップ・オンライン)では「IGノーベル賞はノーベル賞の上のノーベル賞」と紹介している。
  29. ^ 中松以外の受賞者についてはイグノーベル賞受賞者の一覧を参照のこと。
  30. ^ 1994年には「地震はナマズが尾を振ることで起こるという説の検証」を7年間に渡って研究したとして、日本の気象庁にイグノーベル物理学賞が贈られた例がある(ただし、気象庁よりそのような研究はしていないとの反論を受け、取り消された)。
  31. ^ 『二十歳のころ』東大教養学部立花隆ゼミ (新潮社 1999/12) ISBN 4-10-395503-1
  32. ^ Dr中松、いきなりチベット仏教最高位に - 社会ニュースnikkansports.com、2010年3月10日。
  33. ^ チベット仏教ゲルク派・ガンデン座主からのお知らせ 2010年7月30日
  34. ^ 「[CM界]負け惜しみは発明の母? 不敵に笑うドクター中松」『読売新聞東京本社版』1997年6月23日付夕刊、16面。

外部リンク