上野展裕
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名前 | ||||||
カタカナ | ウエノ ノブヒロ | |||||
ラテン文字 | UENO Nobuhiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1965年8月26日(58歳) | |||||
出身地 | 滋賀県甲賀市 (旧・信楽町) | |||||
身長 | 175cm[1] | |||||
体重 | 70kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF、MF | |||||
ユース | ||||||
1981-1983 1985-1988 |
滋賀県立膳所高等学校 早稲田大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1988-1991 1991-1992 1992-1994 |
全日空SC マツダSC サンフレッチェ広島 |
10 (1) 18 (1) 0 (0) | ||||
監督歴 | ||||||
1995-1996 1997-2000 2001 2002-2003 2004-2006 2005-2006 2006-2008 2009-2011 2012-2012.5 2012.5- |
広島ユース コーチ 広島 コーチ 広島 スカウト 広島ジュニアユース 監督 JFAナショナルトレセンコーチ 京都育成統括ディレクター 京都 コーチ 金沢 監督 新潟ユース 監督 新潟 ヘッドコーチ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2011年2月27日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
上野 展裕(うえの のぶひろ、1965年8月26日 - )は、滋賀県甲賀市(旧・信楽町)出身の元サッカー選手・指導者(JFA 公認S級コーチ)。
現アルビレックス新潟ヘッドコーチ(監督代行)。
来歴
滋賀県立膳所高等学校から一浪で早稲田大学に進学、同期に松山吉之がいる。在籍時にはユニバーシアード代表を経験した。
大学を卒業後は日本サッカーリーグ(JSL)1部の全日空サッカークラブ(横浜フリューゲルスの前身)に入団。Jリーグが開幕する前々年である1991年にJSL1部のマツダSC(現、サンフレッチェ広島)に移籍。全日空およびマツダ時代は守備的なMFだったが、広島時代は主にDFとして活躍。Jリーグ開幕後は1992年のナビスコカップには出場したがリーグ戦での出場はない。1994年引退。
引退後はサンフレッチェ広島のトップや育成年代の指導者を歴任。エディ・トムソン監督時代はコーチ兼通訳として同監督の名サポート役となった。1998年JFA 公認C級コーチライセンス、2000年JFA 公認B級コーチライセンスを取得。2002年からはジュニアユース監督に就任し、2003年にはナイキプレミアカップジャパンに優勝、槙野智章、森重真人、左山晋平、平繁龍一、酒井貴政、横竹翔、兼田亜季重などを育てた。また、2002年にはメニコンカップ日本クラブユースサッカー東西対抗戦(U-15)西軍監督にも選ばれた。2003年、JFA 公認S級コーチライセンス取得。
その後広島を離れ、関西地区ナショナルトレセンコーチ就任に伴い大津市内に転居、そのときに京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)からオファーがあり、2005年から京都の育成部門統括責任者に就任、下部組織の整備および強化を行った。2004年には仙台カップ国際ユースサッカー大会に挑むU-18日本代表監督、2005年にはトゥーロン国際大会に挑むU-21日本代表コーチに就任している。2006年10月3日、トップチームの柱谷幸一監督の解任をうけ、美濃部直彦監督の元、トップチームコーチも兼務、2007年からヘッドコーチに専念することとなった。
2009年、当時北信越フットボールリーグ所属のツエーゲン金沢監督に就任。同年には全国社会人サッカー選手権大会準優勝で獲得した出場権で、全国地域サッカーリーグ決勝大会に出場。決勝ラウンドの成績は3位だったが、入替戦を勝ち抜いてチームを日本フットボールリーグ(JFL)昇格に導いた。2011年限りで退任。
2012年はアルビレックス新潟ユースの監督に就任したが、5月21日、トップチームの黒崎久志監督と西ヶ谷隆之ヘッドコーチの辞任を受け、トップチームのヘッドコーチに就任。黒崎監督の代行として暫定的に指揮を執ることになった。
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1988-89 | 全日空 | JSL1部 | 0 | 0 | |||||||
1989-90 | 25 | 4 | 1 | 0 | 0 | ||||||
1990-91 | 6 | 0 | 0 | 0 | |||||||
1991-92 | マツダ | 12 | 18 | 1 | 1 | 0 | |||||
1992 | 広島 | - | J | - | 8 | 0 | 1 | 0 | 9 | 0 | |
1993 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
1994 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
通算 | 日本 | J | 0 | 0 | 8 | 0 | 1 | 0 | 9 | 0 | |
日本 | JSL1部 | 28 | 2 | ||||||||
総通算 | 28 | 2 |
その他の公式戦
- 1990年
- コニカカップ 7試合0得点
- 1991年
- コニカカップ 2試合0得点
経歴
監督成績
年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 試合 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | リーグ杯 | 天皇杯 | |||
2009 | 北信越1部 | 金沢 | 3位 | 14 | 31 | 10 | 1 | 3 | - | 2回戦 |
2010 | JFL | 金沢 | 9位 | 34 | 50 | 14 | 8 | 12 | - | 2回戦 |
2011 | JFL | 金沢 | 7位 | 33 | 47 | 13 | 8 | 12 | - | 2回戦 |
その他
- 全国社会人サッカー選手権大会 準優勝 (2009年)
- 全国地域リーグ決勝大会 3位 (2009年) ※その後入替戦を経てJFL昇格
代表歴
- ユニバーシアード日本代表
- 日本B代表
関連項目
外部リンク
- 目標は“京都モデル”構築 サンガ育成統括の上野氏(2005年2月3日付京都新聞)
- 頼むぞJFL昇格 ツエーゲン金沢新監督に上野氏(2009年1月24日付北國新聞)
参考文献
- 『1990-1991JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1990 ISBN 4-523-31032-7
- 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
- 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』、小学館、1992 ISBN 4-09-102301-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102303-7
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズ ヤマザキナビスコカップ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102305-3
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・サントリーシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102310-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102314-2
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1994』、小学館、1994 ISBN 4-09-102309-6
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1995』、小学館、1995 ISBN 4-09-102317-7