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上里一将

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上里一将
名前
愛称 カズゥ
カタカナ ウエサト カズマサ
ラテン文字 UESATO Kazumasa
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1986-03-13) 1986年3月13日(38歳)
出身地 沖縄県宮古島市
身長 172cm
体重 70kg
選手情報
在籍チーム 徳島ヴォルティス
ポジション MF
背番号 20
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-
2011
2012-
コンサドーレ札幌
FC東京(loan)
徳島ヴォルティス(loan)
157 (13)
17 (1)
()
1. 国内リーグ戦に限る。2012年1月10日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

上里一将(うえさと かずまさ、1986年3月13日 - )は、沖縄県宮古島市(旧平良市)出身のサッカー選手MF)である。

プレースタイル

  • 視野の広さからくるキラーパスと、精度の高いプレースキック[1]が持ち味。プロ入り当初は攻撃的MF(トップ下)だったが、ボランチや左サイドハーフ、左サイドバックなど、複数のポジションをこなせるようになった。

シュートが武器と言われるものの自身はそれを不得意と否定しており、パスの精度や視野の広さが自分の持ち味と語っている[2]

来歴

宮古高校[注 1]から2004年コンサドーレ札幌に加入。宮古島初のJリーガーとなる。高校時代に全国大会出場などの経験はなかったものの、ルーキーイヤーの2004年からトップ下として中盤の一翼をにない、2005年にはレギュラーとして定着。しかし同年8月末の練習試合で左ひざ前十字靭帯断裂の大怪我を負い、シーズンの残りを棒に振った。翌2006年7月8日愛媛戦で途中出場し、約11ヶ月ぶりに試合復帰を果たした。復帰後はボランチとしての起用が多かったが、8月19日仙台戦で途中出場しトップ下に入ると1アシスト1ゴールと活躍した。

監督が三浦俊也に代わった2007年は、守備力のある選手を重視する起用方針のために出場機会が激減。しかしサテライトリーグ等でサイドバック(SB)やボランチとしての経験を積むことで守備力やフィジカルの強さを身につけ、2008年後半から再び出場機会をつかんだ。

2009年は石崎信弘監督に指名されキャプテンに就任。レギュラーとして、主にボランチや左SBで起用された。8月5日第32節のvs福岡戦において、自陣側センターサークル手前の推定65mの位置からロングループシュートを決めた[注 2]。得点能力の向上も見せ最終的に6得点でシーズンを終えた。2010年も年間を通して出場し、4得点を挙げる。

2011年FC東京へ期限付き移籍。左サイドハーフ(SH)、左SBとしての適性も見せたが[3]、中盤での展開力を買われ[4][5]主にセグンド・ボランチ(攻撃型ボランチ)として梶山陽平らとポジションを争った[6](梶山を前線に押し上げる形での併用もあった[5]。)。

2012年徳島ヴォルティスへ期限付き移籍。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
2004 札幌 24 J2 17 0 - 4 1 21 1
2005 19 23 2 - 0 0 23 2
2006 20 22 1 - 3 0 25 1
2007 7 0 - 1 0 8 0
2008 J1 12 0 1 0 1 0 14 0
2009 J2 48 6 - 1 0 49 6
2010 28 4 - 1 0 29 4
2011 FC東京 32 17 1 - 0 0 17 1
2012 徳島 20 -
通算 日本 J1 12 0 1 0 1 0 14 0
日本 J2 162 14 - 10 1 172 15
総通算 174 14 1 0 11 1 186 15

経歴

脚注

注釈
  1. ^ 同校出身の上里琢文京都サンガF.C.に2009年加入)とは名字が同じだが血縁関係はない。
  2. ^ Jリーグ公式記録としてはGKのものなど80m以上の位置からのゴールもあるが、これらは多くの場合FKが一度相手GK前で弾み、頭上を越えて決まっていることに対し、上里のゴールはその位置からゴールを狙い、意図どおり相手GKの頭上を越えて直接ゴールネットに突き刺さるという難易度の高いものであった。
出典

関連項目