オマル・アル=バシール

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オマル・ハサン・アフマド・アル=バシール
عمر حسن أحمد البشير


任期 1989年6月30日
副大統領 第一: バクリー・ハサン・サーレハ

第二: ハサブー・ムハンマド・アブドッラフマーン


出生 (1944-01-01) 1944年1月1日(80歳)
エジプトの旗 エジプト英埃領スーダン ホシュ・バンナガ
政党 国民会議

オマル・ハサン・アフマド・アル=バシールعمر حسن أحمد البشير、Omar Hasan Ahmad al-Bashīr、1944年1月1日 - )は、スーダン政治家軍人1989年クーデターによって軍事政権を成立させ政権を掌握。現在は同国大統領および与党国民会議の議長(党首)を務める。2003年から続くダルフール紛争での集団虐殺に関与にしたとして国際刑事裁判所から逮捕状が出されている[1]

日本国内のメディアでは「バシル大統領」と表記・呼称されることが多い。

来歴

生い立ち

現在のスーダン・北部州にある小村ホシュ・バンナガに生まれる。母語アラビア語[2]であり、いわゆるアラブ系スーダン人である[3]初等教育を終えた後、家族とともに首都ハルツームに移る。甥の話では中等教育を受ける初日に柄の悪い生徒に絡まれたが、すぐに撃退したという[4]

軍人時代

1960年にスーダン軍に入隊。1966年カイロ士官学校を卒業。落下傘部隊で士官を務め、1973年にはエジプト軍の一員として第四次中東戦争に従軍。この際の経験が後のアメリカイスラエルに対する憎悪のきっかけになったのではないかとされる[誰?]。また後の政治家の歩みを決める出来事になったとも先述の甥が語っている(2009年3月15日放送分「NHK海外ネットワーク」より)。

1975年から1979年にはアラブ首長国連邦での駐在武官、1979年から1981年に部隊司令官、1981年から1987年まではハルツームの機甲落下傘旅団長を歴任[5]。1981年に准将に昇進。1983年から始まった第二次スーダン内戦ではスーダン人民解放軍相手に戦った。

政権掌握

1989年民族イスラム戦線ハサン・トラービーの煽動下で軍事クーデターを成功させ、政権を掌握した。同時にすべての政党や労働組合などを禁止し、報道を抑圧し、議会を解散させた。救国革命指導評議会を設けると、自ら元首、首相、軍司令官、防衛相を兼務。アラブ系の部族に黒人系を襲わせ、黒人系の民族間でも対立を煽ったため[要出典]、彼の政権下では人種間対立が激化。1991年の新刑法及び治安警察の導入、ムスリムの判事の採用などでキリスト教や伝統宗教が普及している南部にシャリーアを強要し、南部の村を空爆し女性や子供を奴隷化するなどして、北部対南部の内戦を拡大させた。有名なイリイチ・ラミレス・サンチェスなど多数のテロリストが当時スーダンに居を構えており、厳格なイスラム原理主義政策を行っていたことから国際テロ組織アルカーイダの指導者ウサーマ・ビン・ラーディンサウジアラビアからスーダンに移住して1996年まで事業を経営していた。1993年にはスーダンはテロ支援国家に指定された。

欧米のキリスト教系の「援助団体」により「イスラム教徒対キリスト教徒」の構図で語られることが多いが、圧迫の対象は異教徒だけではなく、ダルフール東部戦線ヌバ山地など、自身の属するアラブ系スーダン人ではない、低開発地のムスリムを含む勢力も弾圧の対象であり、彼らはこれに対して抵抗している。

1998年8月、スーダンの首都ハルツームがケニアタンザニアにあるアメリカ大使館爆破事件への事実上の報復としてアメリカ軍の空爆を受けた際、抗議する市民集会に姿を見せ、「空爆された工場は単なる薬品工場だ」と演説、アメリカに激しく反発した。

独裁者

毎年行われている『ワシントン・ポスト』の付録誌『パレード』の「世界最悪の独裁者ランキング」という特集記事で、2005年 - 2007年度にかけて3年連続の第一位に選ばれた[6][7]2008年度は一位の座を北朝鮮金正日に奪われたものの、第二位となっている。

2009年2月、オランダハーグにある国際刑事裁判所 (ICC) はバシールを、ダルフールにおける人道に対する罪ジェノサイド罪で起訴すると発表[8]。同3月4日、逮捕状を発行した[9]。 国際刑事裁判所が現職の国家元首を起訴するのは初めてのこととなる[8][10]

バシールは国際刑事裁判所に起訴されているが第2回南米・アラブ諸国首脳会議に出席しており、アラブ連盟とアフリカ連合は常任理事国の中国とロシアの後押しを受けて、米英仏などに国際刑事裁判所によるバシール大統領の逮捕決定を保留する権利を行使するよう訴えた。これによりバシールを逮捕できる可能性は低い。

TBSで放送されていたバラエティ番組教科書にのせたい!では独裁者列伝に登場しておりまた現地を取材したスタッフからのインタビューという形で出演している。

2012年3月16日には、アメリカ合衆国のスーダン大使館前において、数百人規模で行われた抗議活動が行われた。この抗議活動には、俳優のジョージ・クルーニーも参加したことから注目を浴びた[11]

中国との関係

中国は国有の中国石油を通じてスーダンの石油の大部分を買い、スーダンの石油生産企業集団2つの最大株主となっており、スーダンは中国との石油取引による収入の多くを、兵器購入にあてている。スーダン政府軍や民兵組織が使う爆撃機、攻撃用ヘリ、装甲車、小火器などの兵器はほとんどが中国製であり、中国は米英両国が推進する国連平和維持軍のダルフール派遣に一貫して反対してきた。また、メロウェダムに象徴される大規模な水力発電所及びダム、鉄道(老朽化したポートスーダンからハルツーム間)などのインフラ建設の多くも中国系企業が受注してる。

スーダンに対する経済制裁や国連平和維持軍の派遣を検討しているものの、中国の拒否権によって阻止されている。

国際刑事裁判所が逮捕状を出したが、中国は「中国政府としてこの問題を深く憂慮している」と発言。その上で「もしバシール氏が犯罪を犯したというのならばなぜ野党は政治的和解のため彼を信頼できる交渉相手と認識したのか?」と指摘した。スーダンのタハ副大統領は「両国の友好協力を発展させることは、両国国民の共通した利益に合致する。スーダンは、ダルフール問題を解決するため、今後とも国連やアフリカ連合と積極的に協力していく」と語った。

2015年には中国が開催した抗日戦争勝利記念の軍事パレードに出席、中国の習近平国家主席はバシルを「中国人民の古くからの友人だ」として大歓迎した[12]

ロシアとの関係

近年ロシアはイラク戦争でアメリカ一極支配に反発的になり、以降反米的な南米諸国やそして中国とも関係強化しており、新冷戦が始まっている。そのためかロシアも中国と同じようにスーダンへの軍事的支援を実施し、白く偽装されたロシア製のミル24型攻撃ヘリやアントノフ26型輸送機が確認されている[13]。またロシアも中国と同様ダルフール紛争に拒否権を出す。

脚註

  1. ^ 国際刑事裁判所、ダルフール紛争で安保理の対応を非難 cnn.co.jp 2012年12月14日
  2. ^ フスハーではなく、先住民言語等に強く影響されたアラビア語スーダン方言である。
  3. ^ スーダンにイスラームを伝えたアラブ化したエジプト人や、海を渡ったアラブのベドウィン、および彼らに帰順し彼らと混血した先住黒人の子孫。
  4. ^ NHK海外ネットワーク 2009年3月15日放送分
  5. ^ (英語)“Profile: Sudan's President Bashir”. BBC. (2003年11月25日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/3273569.stm 2009年3月6日閲覧。 
  6. ^ “Omar Bashir named world's worst dictator”. スーダン・トリビューン. (2005年2月14日). http://www.sudantribune.com/spip.php?article8007 2015年11月21日閲覧。 
  7. ^ “The World's Worst Dictators: Omar Al-Bashir”. パレード. (2008年2月4日). http://parade.com/36360/parade/the-worlds-worst-dictators-omar-albashir/ 2015年11月21日閲覧。 
  8. ^ a b (英語)“Judges Approve Warrant for Sudan's President”. The New York Times. (2009年2月11日). http://www.nytimes.com/2009/02/12/world/africa/12hague.html 2009年2月12日閲覧。 
  9. ^ (英語)“International Court issues arrest warrant for Sudanese president”. CNN. (2009年3月4日). http://edition.cnn.com/2009/WORLD/africa/03/04/sudan.president.darfur.charges/index.html 2009年3月6日閲覧。 
  10. ^ “スーダン大統領にICCが逮捕状、現職国家元首には初”. ロイター通信. (2009年3月5日). http://jp.reuters.com/article/foreignExchNews/idJPnJS840531120090305 2009年3月6日閲覧。 
  11. ^ “ジョージ・クルーニー、スーダン大使館前のデモで身柄拘束”. AFPBB News (フランス通信社). (2012年3月17日). http://www.afpbb.com/article/entertainment/news-entertainment/2865864/8657946?utm_source=afpbb&utm_medium=detail&utm_campaign=must_read 2012年3月17日閲覧。 
  12. ^ 潘国連事務総長、軍事パレードで“戦争容疑者”と「同席」めぐり“大恥”
  13. ^ [1]

外部リンク


公職
先代
アフマド・アル=ミールガニー
スーダンの旗 スーダン共和国大統領
(1993年10月まで革命委員会議長)
第6代:1989 -
次代
(現職)