アンドレア・モンテルミーニ
アンドレア・モンテルミーニ | |
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基本情報 | |
国籍 | イタリア |
出身地 | 同・サッスオーロ |
生年月日 | 1964年5月30日(59歳) |
F1での経歴 | |
過去の所属チーム |
'94 シムテック '95 パシフィック '96 フォルティ |
出走回数 | 29 (20 starts) |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1994年スペインGP |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 1996年イギリスGP |
アンドレア・モンテルミーニ(Andrea Montermini, 1964年5月30日 - )は、イタリア出身の元F1ドライバーである。
略歴
1992年に国際F3000選手権でルカ・バドエルに次ぐシリーズランキング2位を獲得する。翌1993年はインディカーのデトロイト戦にスポット参戦し、4位入賞を果たしている。ベネトンのテストドライバーを務めた。
1994年に事故死したローランド・ラッツェンバーガーの代わりにシムテックからF1デビューする。ところがデビュー戦となった第5戦スペインGPのフリー走行中に最終コーナーの立ち上がりでコースアウトしクラッシュ。フロントから斜めに衝突したマシンは左向きに回転しながらホームストレート中央で停止。マシン前部が破壊され、ドライバーの両足がモノコック前端から見えるほどの事故で、ラッツェンバーガーに続く最悪の事態を予想させた。モンテルミーニはヘリコプターで緊急搬送され、デビュー戦を予選すら走る事無く欠場することになったが、足の踵とつま先にヒビが入る程度の負傷で助かった。
この年はJ.J.レート、ジャン・アレジ、ペドロ・ラミー、カール・ベンドリンガー、ルーベンス・バリチェロ、そしてモンテルミーニが重傷を負うアクシデント。そしてラッツェンバーガー、アイルトン・セナの死亡事故で揺れたF1界だった。
1995年にはパシフィック (F1)に乗ってフル参戦する。最高位はドイツGPの8位だった。
1996年はパシフィックの撤退でフォルティから参戦する。しかし走らないマシンで4度の予選落ちをし、第10戦イギリスGPでチームが撤退し、自身もF1から身を引いた。
その後はFIA GT選手権、IMSA、ル・マン24時間レースなどスポーツカーレースで活動しており、ルマン24時間耐久レースでは1998年と1999年に総合6位となった。2008年のInternational GT Openでは総合優勝を達成した。
F1での全成績
(key)
年 | エントラント | シャーシ | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | WDC | Points |
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1994 | MTV Simtek Ford | シムテック S941 | フォード V8 | BRA | PAC | SMR | MON | ESP DNQ |
CAN | FRA | GBR | GER | HUN | BEL | ITA | POR | EUR | JPN | AUS | NC | 0 | |
1995 | Pacific Grand Prix | パシフィック PR02 | フォード V8 | BRA 9 |
ARG Ret |
SMR Ret |
ESP DNS |
MON DSQ |
CAN Ret |
FRA NC |
GBR Ret |
GER 8 |
HUN 12 |
BEL Ret |
ITA Ret |
POR Ret |
EUR Ret |
PAC Ret |
JPN Ret |
AUS Ret |
NC | 0 |
1996 | Forti Grand Prix | フォルティ FG01B | フォード V8 | AUS DNQ |
BRA Ret |
ARG 10 |
EUR DNQ |
SMR DNQ |
NC | 0 | ||||||||||||
フォルティ FG03 | MON DNS |
ESP DNQ |
CAN Ret |
FRA Ret |
GBR DNQ |
GER DNP |
HUN | BEL | ITA | POR | JPN |
関連項目