フランコ・フォリーニ

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フランコ・フォリーニ
基本情報
国籍 スイスの旗 スイス
出身地 同・ティチーノ州ムラルト
生年月日 (1958-09-22) 1958年9月22日(65歳)
F1での経歴
活動時期 1987年
所属チーム '87 オゼッラ
出走回数 3 (2スタート)
優勝回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1987年イタリアグランプリ
最終戦 1987年スペイングランプリ
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フランコ・フォリーニFranco Forini, 1958年9月22日 - )は、スイスの元レーシングドライバー。1985年のイタリアF3チャンピオン。1987年のF1世界選手権に出走した。

経歴[編集]

初期-フォーミュラ3[編集]

母国スイスでは1955年のル・マン24時間レースで83人の死者を出した大事故の後、スイス国内でのモータースポーツ開催が禁止されたため、フォリーニはレースキャリアをイタリアで開始する。1979年にイタリア・アスルファッド・トロフィーに参戦。1980年には同シリーズでポディウムを獲得するなど、ランキング7位となった。同年には中古のマーチ・793で完全なるプライベーターとしてイタリアF3にスポット参戦する。シェブロン・B31英語版ヴァレルンガ6時間レースへも参戦した。

継続参戦をしていたイタリアF3では1983年に初勝利を挙げランキング3位、1984年は2勝を挙げランキング5位と結果を残し、フォルティ・コルセに加入した1985年にダラーラ・F385 VWで5勝を挙げシリーズチャンピオンとなった。F3タイトル獲得により当時の規定ではスーパーライセンスの獲得資格を得られ、国際F3000参戦チームからのオファーも届いた。同年のモナコGP併催のインターF3レースでは準優勝した。

フォーミュラ3000[編集]

1986年にイタリアF3に参戦しつつ、国際F3000に参戦していたコローニから誘われヴァレルンガで行われる国際F3000第2戦に出場したが、予選不通過に終わる。その後サンレモ・レーシングからもオファーがあり、第5戦イモラに出場すると、サンレモでの初戦にして6位に入賞しポイントを獲得。しかし第7戦から3連続予選落ちを喫し、シートをアレッサンドロ・サンティンへと奪われ、F3000参戦は終了となった。

フォーミュラ1[編集]

1987年9月、イタリアの小チーム・オゼッラから誘いを受け、第11戦イタリアGPからフォーミュラ1に参戦した。しかしオゼッラのマシンは旧式で戦闘力はなく、決勝レースに進出したイタリアGPではターボにトラブルが発生、ポルトガルGPでは走行中サスペンションに異常が発生しリタイアした。第13戦スペインGPではチームメイトのアレックス・カフィと共に2台揃って予選不通過に終わり、フォリーニの短いF1参戦は終了した。

再びフォーミュラ3ヘ[編集]

1988年はイタリアF3とドイツF3に出走した。1989年は個人資金でイタリアF3にスポット参戦し、1990年まで参戦した。引退後はスイス・ティチーノ州ロカルノ近郊のミヌージオ輸送および出荷会社を経営している[1]

レース戦績[編集]

ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権[編集]

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 Pos. Pts
1982年 フォルティ・コルセ マルティニ・MK37 アルファロメオ MUG
17
NÜR DON ZOL MAG ÖST ZAN SIL MNZ
Ret
PER
4
LAC KNU NOG JAR
Ret
KAS 16位 3
1983年 ヴェンチュリニ ダラーラF382/F383 トヨタ・2T-G VLL
16
NÜR
C
ZOL
MAG
ÖST
LAC
SIL
MNZ
MIS
ZAN
KNU
NOG
JAR
IMO
7
DON
CET NC 0

フォーミュラ1[編集]

エントラント シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 WDC ポイント
1987年 オゼッラ FA1G アルファロメオ890T1.5 V8 t BRA SMR BEL MON DET FRA GBR GER HUN AUT ITA
Ret
POR
Ret
ESP
DNQ
MEX JPN AUS NC 0

参考文献[編集]

  1. ^ Franco Forini”. Oldracingcars.com. 2012年6月17日閲覧。

外部リンク[編集]

タイトル
先代
アレッサンドロ・サンティン
イタリア・フォーミュラ3選手権
1985
次代
ニコラ・ラリーニ