銚子道・銚子街道

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銚子道(ちょうしどう)は千葉県中央区市場町、または大網白里市駒込から銚子市西芝町に至る街道である。

銚子街道(ちょうしかいどう)は千葉県我孫子市寿から銚子市飯沼町に至る街道である。別称は佐原・銚子街道である。

街道
国道126号標識
銚子道
起点 千葉市中央区市場町
大網白里市駒込
主な
経由都市
八街市東金市山武市
山武郡横芝光町匝瑳市旭市
終点 千葉県銚子市西芝町
接続する
主な道路
記法
房総往還
国道126号標識国道126号東金街道
国道128号標識国道128号
国道16号標識国道16号(東京環状道路)
国道409号標識国道409号
伊南房州通往還(房総東往還)
県道20号千葉大網線(大網街道)
東金御成街道
国道296号標識国道296号
多古街道支線
国道356号標識国道356号(銚子街道)
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路
街道
国道356号標識
銚子街道(佐原・銚子街道)
起点 千葉県我孫子市寿1丁目
主な
経由都市
印西市栄町成田市神崎町
香取市東庄町
終点 千葉県銚子市飯沼町
接続する
主な道路
記法
水戸街道
国道408号標識国道408号
C4 圏央道
国道51号標識国道51号
佐原街道
香取街道
国道126号標識国道126号
国道124号標識国道124号
銚子道
飯沼街道
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路

概要[編集]

この街道は銚子方面への接続を可能にするために各地と繋がった街道である。現在この名称で使われる道路は複数あり、正式には決定していないため、有力な二つを下記する。

銚子道[編集]

国道126号が現在踏襲している太平洋側に整備された街道である[1]下総台地の谷間、麓を沿うように古代から建設され、明治期にはすでに整備されており、山武市成東や匝瑳市旭市などの街を接続していた[2]。現在、多くの部分で線形改良やバイパス道路を建設したことで県道や市道に降格した。なお、全線で都市計画道路が検討されており、東金市では「台方三差路」から「3・5・7 千葉銚子線」として沿線の再開発・整備が検討されており、同様に山武市では「3・5・10 姫島宮前線」として「津辺」交差点付近まで計画されており、かつて市街地の中心道路として発展した形跡が現在も残る[3][4][5]江戸時代には千葉付近で房総往還(現在の国道14号千葉街道)、国道357号国道16号国道127号)、佐倉街道(現在の国道51号)、大網街道(現在の県道20号末広街道)など千葉全域と接続しており、江戸に物品を輸送する主要な道路として役割を果たした。また、従来は銚子道を使い海産物を運んでいたため輸送限界が関東圏内だったが、太平洋沿岸で東廻海運が発達したことで、大量の九十九里産のを運べるようになり、金肥として重宝されたことで、日本全国の農業が発達する原因にもなった。明治期に入ると国道として制定されていたが、戦後各地で整備が進み、高度経済成長期に当街道に並行して国道126号バイパスが建設された。また、明治期までこの街道沿線には町や田畑が広がっており、土製の道路であったため、降雨により通行が度々困難になった。そして、東金と銚子の重要な中継地点であった成東は九十九里からの海産物の貨物輸送も多く、宿屋などの宿泊施設が立ち並んでいたが、降雨により度々泥道と化していた。これが、降雨による輸送停止を危惧した安井理民が鉄道誘致運動を起こす原因となり、後に総武本線を敷設するきっかけとなった[6][7][8]。銚子市西芝町で銚子街道と合流するため、香取市佐原や我孫子などの水郷地区や鹿島神宮への参道、鹿島灘に面する地域との交流で道中が栄えた。

銚子街道[編集]

国道356号が現在踏襲している利根川沿いに整備された街道である。なお、厳密に起点は決定されておらず、木下街道と接続する木下付近を起点とする説や佐原を起点とする説もある。江戸時代には我孫子宿我孫子市寿1丁目16、追分石碑)で旧水戸街道と接続していた成田街道印旛郡栄町安食「安食」交差点までの国道356号の一部、県道18号・松崎街道)と共に印旛への輸送路・開発路として役割も果たした。また、水運と共に発達し、明治期には水戸街道(現在の国道6号)とともにすでに国道として確立していたが、利根川の治水工事の影響により現在は一般県道市道に格下げされている箇所もある。神崎町区間では成田線と並行しており利根川とは大きく離れているが、香取市の佐原市街地に入ると再び合流し、県道55号が踏襲している。なお、かつてはここに佐原宿佐原の町並み)があり、成田山新勝寺に至る佐原街道香取神宮に至る香取街道多古街道と接続していた。その後は銚子市唐子町の「銚子大橋前」交差点までの多くを成田線と並行して国道356号が踏襲している。西芝町で銚子道と合流し、飯沼町の飯沼観音付近で鹿嶋市水戸市に至る飯沼街道と接続する[9][10][11][12]。なお、銚子道と同様に水郷の町として栄えた佐原の発展のため、伊能権之丞らが発起した武総鉄道会社は銚子街道に沿う形で建設が計画された[注釈 1]

経由地[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ただし、成田以東に限られる。これは、明治から昭和初期にかけて下志津駐屯地付近から四街道市、佐倉市一帯に、旧佐倉藩の砲術練習所を前身とする陸軍野戦砲兵学校や、下志津駐屯地の前身の下志津陸軍飛行学校といった陸軍施設があった。前身の武総・武州鉄道は、軍事利用されることを意図して、こうした陸軍営所を経由して建設された。なお、この計画は成田線へと継承され、成田以西は成田線我孫子支線がおよそ銚子街道に沿う形に建設された。

出典[編集]

  1. ^ “銚子道”. 銚子道. (2019年11月18日). https://gpscycling.net/tokaido/choshir.html 2019年11月18日閲覧。 
  2. ^ “4.地図から見える成東駅周辺の歴史”. 山武市HP. (2019年11月18日). https://www.city.sammu.lg.jp/uploaded/attachment/8648.pdf 2019年11月18日閲覧。 
  3. ^ “都市計画区域マスタープラン”. 千葉県HP. (2019年11月18日). https://www.pref.chiba.lg.jp/tokei/toshikeikaku/kuiki-mplan.html 2019年11月18日閲覧。 
  4. ^ “東金市都市計画図”. 東金市HP. (2019年11月18日). https://www.city.togane.chiba.jp/tokeizu/map.html 2019年11月18日閲覧。 
  5. ^ “さんむ都市計画図”. 山武市HP. (2019年11月18日). https://www.city.sammu.lg.jp/uploaded/attachment/7875.pdf 2019年11月18日閲覧。 
  6. ^ 成東町史
  7. ^ 山武町史
  8. ^ 総武鉄道物語
  9. ^ “第6章 銚子市の歴史文化の特性”. 銚子市HP. (2019年11月18日). http://www.city.choshi.chiba.jp/edu/sg-guide/rekibun/pdf/6.7.pdf 2019年11月18日閲覧。 
  10. ^ “第8章 銚子の歴史を伝える 「銚子・歴史ものがたり」の 設定と保存活用”. 銚子市HP. (2019年11月18日). http://www.city.choshi.chiba.jp/edu/sg-guide/rekibun/pdf/8.9.pdf 2019年11月18日閲覧。 
  11. ^ “銚子街道”. 京葉ガスHP. (2019年11月18日). https://www.keiyogas.co.jp/home/park/hureai/kokaido/detail_12.html 2019年11月18日閲覧。 
  12. ^ “銚子街道の一里ごとの巡礼道標”. 銚子街道の調査. (2019年11月18日). http://kaku-net.jp/sinei.pdf 2019年11月18日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]