「ハッピープログレス」の版間の差分

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'''ハッピープログレス'''は、1980年代前半に活躍した[[日本]]の[[競走馬]]で、[[距離 (競馬)|距離体系]]の整備によりできた短中距離路線で活躍した馬である。
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'''ハッピープログレス'''(欧字名:{{Lang|en|Happy Progress}}、[[1978年]][[4月15日]] - [[2000年]][[4月8日]])は、[[日本]]の[[競走馬]]、[[種牡馬]]<ref name="jbis">{{Cite web|title=ハツピープログレス|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000104657/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-24}}</ref>。

[[グレード制]]導入初年度となった7歳時(1984年)には、{{GI}}に生まれ変わった[[安田記念]]を優勝。[[スプリンターズステークス]]({{GIII}})、[[京王杯スプリングカップ]]({{GII}})を併せて3連勝とし「'''春の短距離三冠'''」を果たした。他に[[CBC賞]](重賞、{{GIII}})2勝、[[阪急杯]](重賞)合計JRA重賞6勝を挙げた。

==経歴==

=== デビューまで ===
シングルワンは、イギリス産の[[種牡馬]]ヴイエナの仔であり、母父はスプリンターのカリム、牝系のルーツは1910年にアメリカから輸入されたレスリーカーターである<ref name="優駿-1991-4-64">『優駿』1991年4月号 64頁</ref><ref>{{Cite web|title=レスリーカーター(USA)|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000731887/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-24}}</ref>。競走馬としては、1976年から1978年にかけて、15戦6勝という成績を残した<ref>{{Cite web|title=シングルワン|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000070140/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-24}}</ref>。繁殖牝馬となり初年度は、アメリカ産のスプリンター種牡馬であるフリートウイングと交配。[[1978年]][[4月15日]]、[[北海道]][[三石町 (北海道)|三石町]]の村上牧場にて、初仔の牡馬(後のハッピープログレス)を出産した<ref>『優駿』1991年4月号 63頁</ref>。


産まれた直後の仔は、村上牧場の同期の中で最も小さな馬体をしていた<ref name="優駿-1991-4-64" />。牧場の村上沢一は「これで競走馬になれるのか」と考えていたが、育成を経た2歳の秋には馬体も充実していった<ref name="優駿-1991-4-64" />。藤田晋に800万円で購入され「'''ハッピープログレス'''」と命名、栗東トレーニングセンターの[[山本正司]]厩舎に入厩した<ref name="優駿-1991-4-64" />。
※ [[馬齢]]はすべて旧表記(数え年)にて表記する。


==略歴==
===競走馬時代===
===競走馬時代===
[[1978年]][[4月15日]]に誕生したハッピープログレスは、父母の血統からデビュー前時点で既に短中距離路線に適性があると考えられていて、デビュー当初から短中距離をメインにと想定されていた。[[1980年]][[11月8日]]に京都競馬場の3歳新馬戦でデビューし、新馬戦は勝てなかったものの2戦目から3連勝した。


==== 3-5歳(1980-82年) ====
4歳になり皐月賞、ダービーへと駒を進めることもできたがあえて東上せず、関西の4歳短距離レースを中心に使われた。秋になって、神戸新聞杯、京都新聞杯と出走するが、やはりこの馬には距離の壁が大きいと判断された。
1980年11月8日、[[京都競馬場]]の[[新馬|新馬戦]](芝1200メートル)に[[武邦彦]]が騎乗しデビュー、5着に敗れた。武が継続して騎乗し、2戦目の新馬戦で逃げ切り初勝利、3戦目の400万円以下も勝利し、連勝とした<ref name="優駿-1991-4-64" />。[[飯田明弘]]に乗り替わった[[中京2歳ステークス|中京3歳ステークス]]では、好位から抜け出し3連勝<ref name="優駿-1991-4-64" />。続く4歳、1981年春は短距離レースに参戦するも3連敗。秋は距離を延長して2000メートルの[[神戸新聞杯]]、[[京都新聞杯]]に参戦するも勝利には至らず、[[菊花賞]]に出走することができなかった<ref name="優駿-1991-4-64" />。


5歳となった1982年は、短距離に戻り、始動戦の寿賞、淀短距離ステークスと連勝。続いて距離を延長して2000メートルの[[中京記念]]や、1600メートルの[[マイラーズカップ]]に参戦するも二桁着順に敗退、その後、脚部不安を発症し長期休養となった<ref name="優駿-1991-4-64" />。
5歳、6歳で[[CBC賞]]や[[阪急杯]]などの短距離重賞を制したものの、まだ関西でそこそこ強い短距離馬という程度の評価だった。


12月の[[CBC賞]]で9か月ぶりに復帰、7番人気に推されて出走した。直線で追い込みを見せて、[[桜花賞]]優勝馬の[[ブロケード]]、[[阪神3歳ステークス]]優勝馬のサニーシプレーなどをかわし、前年のCBC賞優勝のアグネスベンチャーに半馬身差をつけて勝利<ref name="優駿-1991-4-64" />。重賞初勝利となり、武は「強力な逃げ馬が多い中で良く走ってくれた。距離が長くなるとひっかるが、この距離だと行きっぷりが実にいい<ref name="優駿-1991-4-64" />」と振り返っている。
ハッピープログレスが一躍全国区の競走馬として競馬ファンに知られるようになったのは[[1984年]]のことで、この馬が7歳になってからだった。7歳になって初めて関東に遠征するや、[[スプリンターズステークス]]、[[京王杯スプリングカップ]]、[[安田記念]]と3連勝して[[三冠 (競馬)#短距離三冠|短距離三冠馬]]となった。この年は短距離路線重賞の整備が行われ始めた年であり、安田記念がハンデ戦から定量GI戦になった初年度であった。この年の京王杯スプリングカップの出走馬は21頭、安田記念は22頭という多頭数競走であったが、レース序盤は後方に待機して最後の直線で先行する多くの馬を差しきって強さを見せ、7歳になってようやく本格化した遅咲きのGI馬となった。その秋にはこの年に新設された第1回[[マイルチャンピオンシップ]]で2着、CBC賞では61kgの負担斤量を背負わされながら後方から直線大外一気に伸び1着となり、引退レースを勝利で飾った<ref>『優駿』1985年2月号、日本中央競馬会、146頁</ref>。


==== 6-7歳(1983-84年) ====
全27戦のうち24戦までが京都競馬場、阪神競馬場、中京競馬場での出走で、それ以外の競馬場での出走が、スプリンターズステークス(中山競馬場)、京王杯スプリングカップ(東京競馬場)、安田記念(東京競馬場)という勝利した3戦のみであった。
6歳となった1983年は、北山特別(ダート1800メートル)で始動。敗退後、[[田原成貴]]に乗り替わって短距離重賞の[[スワンステークス]]に進み、[[ハギノカムイオー]]に敗れ3着<ref name="優駿-1991-4-64" />。6月の[[阪急杯]]で追い込みを決め、重賞2勝目を挙げた。12月のCBC賞では[[ニホンピロウイナー]]に敗れた2着となり、連覇とはならなかった<ref name="優駿-1991-4-64" />。


7歳となった1984年は、始動戦の淀短距離ステークスでは再びニホンピロウイナーに敗れ、マイラーズカップ4着の後、関東遠征を敢行<ref name="優駿-1991-4-64" />。3月18日、中山競馬場の[[スプリンターズステークス]]({{GIII}})に[[飯田明弘]]とともに1番人気で出走した。後方3番手から、直線大外に持ち出し追い込み、残り200メートルで抜け出し、後方に1馬身4分の3差をつけて重賞3勝目とした<ref name="優駿-1991-4-64" />。続いて4月22日、[[東京競馬場]]の[[京王杯スプリングカップ]]({{GII}})にて1番人気で出走。出走21頭中、後方5番手に位置し、直線で大外に持ち出し追い上げを開始<ref name="優駿-1991-4-65">『優駿』1991年4月号 65頁</ref>。先に抜け出した[[ドウカンヤシマ]]、ワールドキング、[[ダスゲニー]]をかわし、ドウカンヤシマに4分の3差をつけて重賞連勝、4勝目とした<ref name="優駿-1991-4-65" />。
===引退後===
引退後は九州で種牡馬となった。その後、那須種馬場に繋養されていた。繋養地が馬産地としてはマイナーだった事もあってか、代表産駒と呼ぶに相応しい馬は出せずに終わった。


この間に、[[球節]]の状態が悪く、コズミ<ref group="注釈">[[筋肉痛]]</ref>もあったため回避も考えられたが、5月13日の[[安田記念]]({{GI}})に参戦、[[グレード制]]施行により定量戦の{{GI}}にリニューアルされた初年度であった<ref name="優駿-1991-4-65" />。騎乗予定の飯田が落馬負傷のため田原が騎乗、出走22頭のうち重賞勝ち馬16頭が集まり、アサカシルバーに次ぐ2番人気に推された<ref name="優駿-1991-4-65" />。後方待機から第3コーナーで外、直線で大外に持ち出して追い、後方に1馬身4分の3差をつけて勝利、重賞3連勝で「春の[[三冠 (競馬)|'''短距離三冠''']]」を果たした<ref name="優駿-1991-4-65" />。
[[2000年]][[4月8日]]に、JRA主催の桜花賞開催記念イベントで観客に展示されるため阪神競馬場に来場し、展示が終わり馬房に戻る際に急性心不全で死亡した。


関西に戻った秋は、スワンステークス({{GII}})、第1回[[マイルチャンピオンシップ]]({{GI}})に参戦するも、どちらもニホンピロウイナーに敗れて3着、2着<ref name="優駿-1991-4-66">『優駿』1991年4月号 66頁</ref>。この年限りでの引退が決まり、引退レースとして12月16日のCBC賞({{GIII}})に出走<ref name="優駿-1991-4-66" />。ニホンピロウイナーの参戦はなかったが、[[負担重量]]61キログラムが課された。後方待機から直線で外に持ち出して追い上げ、先に抜け出した[[シャダイソフィア]]をかわし、半馬身差をつけて勝利<ref name="優駿-1991-4-66" /><ref>『優駿』1985年2月号 146頁</ref>。CBC賞2勝目、グレード重賞4勝目、JRA重賞6勝目となった。
==エピソード==
===レース体系について===
ハッピープログレスがデビューした[[1980年]]は、[[八大競走]]を主体とした長距離偏重のレース体系で、2歳上の[[ニチドウアラシ]]の様にタイトルに恵まれない馬が少なくなかった。この状況が変わったのが[[1984年]]で、この年に[[日本中央競馬会|JRA]] は、それまでは重視されていない格好だった短距離の重賞を整備する改革を実施した。従来は一介のハンデ[[重賞]]だった[[安田記念]]を、この年から導入された[[グレード制]]で最上位の[[グレード制|GI]]に格付けし、更にハンデ戦から定量戦に変更して賞金も大きくアップさせた。また、同年に[[マイルチャンピオンシップ]]がやはりGIレースとして新設され、安田記念と並ぶ短距離重賞の頂点に位置付けられた。ハッピープログレスは、GIに格付けされた初回の安田記念の優勝をする等、1984年の春に[[三冠 (競馬)#短距離三冠|短距離三冠馬]]となった。また、第1回マイルチャンピオンシップでは[[ニホンピロウイナー]]と好勝負を繰り広げての2着となり、ニホンピロウイナーとともに、整備され始めた短距離重賞で実績を残した一頭であった。


1985年1月27日、[[中京競馬場]]にて1984年のCBC賞の[[ゼッケン (競馬)|ゼッケン]]「13」を身に着け[[引退式]]を開催<ref name="優駿-1991-4-67">『優駿』1991年4月号 67頁</ref>。同じくCBC賞の[[実況]]録音が流れる中、武が騎乗しスタンド前で走りを披露した<ref name="優駿-1991-4-67" />。
===ニホンピロウイナーとの対決===
[[ニホンピロウイナー]]との直接対決は次の通りで、6回対決をしてハッピープログレスはニホンピロウイナーに先着したのは1回であった。


===種牡馬時代===
*1983年6月 阪急杯(阪神芝1400m)
引退後は、[[日本中央競馬会]]が6000万円で購入して、九州種馬場で[[種牡馬]]となった<ref name="優駿-1991-4-67" />。種馬場長によれば「(前略)上に乗ってからもスプリンターらしく早射ちなので楽ですよ<ref name="優駿-1991-4-67" />」と種付けに関しての評価が高かった。その後は、那須種馬場に繋養されていた。[[2000年]][[4月8日]]に、JRA主催の桜花賞開催記念イベントで観客に展示されるため阪神競馬場に来場し、展示が終わり馬房に戻る際に[[急性心不全]]で死亡した。
**ハッピープログレス(6歳 56キロ)1着
**ニホンピロウイナー(4歳 53キロ)9着
*1983年12月 CBC賞(中京芝1200m)
**ニホンピロウイナー(4歳 56キロ)1着
**ハッピープログレス(6歳 57キロ)2着
*1984年2月 淀短距離ステークス(京都芝1200m)
**ニホンピロウイナー(5歳 58.5キロ)1着
**ハッピープログレス(7歳 57.5キロ)2着
*1984年2月 マイラーズカップ(阪神芝1600m)
**ニホンピロウイナー(5歳 57キロ)2着
**ハッピープログレス(7歳 57キロ)4着
*1984年10月 スワンステークス(京都芝1400m)
**ニホンピロウイナー(5歳 58キロ)1着
**ハッピープログレス(7歳 58キロ)3着
*1984年11月 マイルチャンピオンシップ(京都芝1600m)
**ニホンピロウイナー(5歳 58キロ)1着
**ハッピープログレス(7歳 57キロ)2着


== 競走成績 ==
成績的にはニホンピロウイナーに及ばないものの、3回の連対を果たしている。ハッピープログレスが当時の短距離三冠を達成したとは言っても、その時期はニホンピロウイナーが骨折休養中のため不在で、その間に取った短距離三冠であるという側面もある。スワンステークスでは1着と3着とはいえ、走破タイムで見ると1秒5の差があり10馬身近い差であった。
以下の内容は、[[netkeiba.com]]<ref>{{Cite web|title=ハッピープログレスの競走成績 {{!}} 競走馬データ|url=https://db.netkeiba.com/horse/1978100808/|website=netkeiba.com|accessdate=2021-08-23|language=ja}}</ref>およびJBISサーチ<ref>{{Cite web|title=競走成績:年度別累計成績/主な成績|ハツピープログレス|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000104657/record/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-23}}</ref>の情報に基づく。
{| style="border-collapse:collapse; font-size:90%; text-align:center; white-space:nowrap"
!競走日
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[kg]
!1着馬(2着馬)
|-
|[[1980年|1980]].[[11月8日|11.{{0}}8]]
|[[京都競馬場|京都]]
|[[新馬|3歳新馬]]
|
|芝1200m(良)
|13
|7
|10
|{{00}}2.6{{0}}(1人)
|{{0}}5着
|{{0}}1:13.3
|{{0}}[[武邦彦]]
|54
|フジヤマテスコ
|-
|{{0|0000.}}[[11月22日|11.22]]
|京都
|3歳新馬
|
|ダ1200m(重)
|12
|6
|7
|{{00}}2.2{{0}}(1人)
|{{0}}{{Color|darkred|1着}}
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|{{0}}武邦彦
|54
|(マチカネサターン)
|-
|{{0|0000.}}[[12月13日|12.13]]
|[[中京競馬場|中京]]
|3歳400万下
|
|ダ1000m(稍)
|10
|7
|8
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|{{0}}武邦彦
|54
|(フジサイモン)
|-
|{{0|0000.}}[[12月20日|12.20]]
|中京
|[[中京2歳ステークス|中京3歳S]]
|
|芝1400m(良)
|8
|2
|2
|{{0}}34.8{{0}}(8人)
|{{0}}{{Color|darkred|1着}}
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|55
|(ヤシマスピード)
|-
|[[1981年|1981]].{{0}}[[3月21日|3.21]]
|[[阪神競馬場|阪神]]
|4歳オープン
|
|芝1400m(重)
|7
|5
|5
|{{00}}3.5{{0}}(2人)
|{{0}}7着
|{{0}}1:27.1
|{{0}}飯田明弘
|56
|ヘーゼルブロンド
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[4月11日|4.11]]
|阪神
|[[マーガレットステークス|マーガレットS]]
|
|芝1600m(重)
|8
|2
|2
|{{0}}13.9{{0}}(4人)
|{{0}}4着
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|{{0}}飯田明弘
|56
|ウエスタンコナーズ
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[6月21日|6.21]]
|中京
|中京4歳特別
|
|芝1400m(良)
|9
|2
|2
|{{0}}20.8{{0}}(5人)
|{{0}}7着
|{{0}}1:24.0
|{{0}}飯田明弘
|56
|キタノコマヨシ
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[9月27日|9.27]]
|阪神
|[[神戸新聞杯]]
|
|芝2000m(重)
|12
|2
|2
|104.2(12人)
|{{0}}{{Color|darkgreen|3着}}
|{{0}}2:03.4
|{{0}}飯田明弘
|56
|[[アグネステスコ]]
|-
|{{0|0000.}}[[10月18日|10.18]]
|京都
|[[京都新聞杯]]
|
|芝2000m(良)
|20
|6
|14
|{{0}}91.8(16人)
|16着
|{{0}}2:03.1
|{{0}}飯田明弘
|57
|[[サンエイソロン]]
|-
|{{0|0000.}}[[11月7日|11.{{0}}7]]
|京都
|4歳上オープン
|
|ダ1400m(不)
|12
|1
|1
|{{0}}15.5{{0}}(6人)
|{{0}}{{Color|darkgreen|3着}}
|{{0}}1:24.0
|{{0}}飯田明弘
|55
|ハシクランツ
|-
|[[1982年|1982]].{{0}}[[1月10日|1.10]]
|京都
|寿賞
|13下
|ダ1400m(良)
|13
|6
|8
|{{00}}6.4{{0}}(2人)
|{{0}}{{Color|darkred|1着}}
|{{0}}1:24.2
|{{0}}飯田明弘
|56
|(インタームサシ)
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[1月31日|1.31]]
|京都
|淀短距離S
|
|芝1200m(良)
|10
|8
|9
|{{00}}8.1{{0}}(3人)
|{{0}}{{Color|darkred|1着}}
|{{0}}1:09.6
|{{0}}飯田明弘
|54
|(バンブーハッピー)
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[2月7日|2.{{0}}7]]
|中京
|[[中京記念]]
|
|芝2000m(良)
|16
|1
|1
|{{0}}11.7{{0}}(5人)
|15着
|{{0}}2:03.5
|{{0}}飯田明弘
|55
|クニノカチドキ
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[3月14日|3.14]]
|阪神
|[[マイラーズカップ]]
|
|芝1600m(稍)
|14
|7
|11
|{{0}}23.4{{0}}(6人)
|10着
|{{0}}1:35.7
|{{0}}武邦彦
|56
|カズシゲ
|-
|{{0|0000.}}[[12月19日|12.19]]
|中京
|[[CBC賞]]
|
|芝1200m(良)
|16
|7
|14
|{{0}}25.3{{0}}(7人)
|{{0}}{{Color|darkred|1着}}
|{{0}}1:09.8
|{{0}}武邦彦
|55
|(アグネスベンチャー)
|-
|[[1983年|1983]].{{0}}[[1月8日|1.{{0}}8]]
|京都
|北山特別
|18下
|ダ1800m(重)
|7
|1
|1
|{{00}}6.2{{0}}(2人)
|{{0}}7着
|{{0}}1:52.4
|{{0}}武邦彦
|57
|カネデントーショー
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[5月15日|5.15]]
|京都
|[[スワンステークス|スワンS]]
|
|芝1600m(良)
|17
|8
|15
|118.2(13人)
|{{0}}{{Color|darkgreen|3着}}
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|56
|[[ハギノカムイオー]]
|-
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|阪神
|[[阪急杯]]
|
|芝1400m(良)
|12
|7
|10
|{{00}}6.1{{0}}(3人)
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|{{0}}田原成貴
|56
|(ダニッシュガール)
|-
|{{0|0000.}}[[12月18日|12.18]]
|中京
|CBC賞
|
|芝1200m(良)
|16
|5
|10
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|{{0}}{{Color|darkblue|2着}}
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|57
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|-
|[[1984年|1984]].{{0}}[[2月12日|2.12]]
|京都
|淀短距離S
|
|芝1200m(良)
|6
|5
|5
|{{00}}4.0{{0}}(2人)
|{{0}}{{Color|darkblue|2着}}
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|58
|ニホンピロウイナー
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[2月26日|2.26]]
|阪神
|マイラーズカップ
|
|芝1600m(不)
|13
|8
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== 血統表 ==
== 血統表 ==
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== 脚注 ==
== 脚注 ==

=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 参考文献 ==

* 『[[優駿]]』([[日本中央競馬会]])
** 1985年2月号
** 1991年4月号
*** 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝 60】遅咲きのスプリンター ハッピープログレス」


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2021年8月24日 (火) 19:28時点における版

ハッピープログレス
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 栗毛[1]
生誕 1978年4月15日[1]
死没 2000年4月8日(23歳没)
フリートウイング[1]
シングルワン[1]
母の父 ヴイエナ[1]
生国 日本の旗 日本北海道三石町[1]
生産者 村上牧場[1]
馬主 藤田晋[1][注釈 1]
調教師 山本正司[1]栗東
調教助手 大渡[2]
厩務員 上籠[2]
競走成績
生涯成績 27戦11勝[1]
獲得賞金 2億9597万1000円[1]
勝ち鞍
GI 安田記念 1984年
GII 京王杯スプリングカップ 1984年
GIII CBC賞 1984年
GIII スプリンターズステークス 1984年
重賞 阪急杯 1983年
重賞 CBC賞 1982年
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ハッピープログレス(欧字名:Happy Progress1978年4月15日 - 2000年4月8日)は、日本競走馬種牡馬[1]

グレード制導入初年度となった7歳時(1984年)には、GIに生まれ変わった安田記念を優勝。スプリンターズステークスGIII)、京王杯スプリングカップGII)を併せて3連勝とし「春の短距離三冠」を果たした。他にCBC賞(重賞、GIII)2勝、阪急杯(重賞)合計JRA重賞6勝を挙げた。

経歴

デビューまで

シングルワンは、イギリス産の種牡馬ヴイエナの仔であり、母父はスプリンターのカリム、牝系のルーツは1910年にアメリカから輸入されたレスリーカーターである[3][4]。競走馬としては、1976年から1978年にかけて、15戦6勝という成績を残した[5]。繁殖牝馬となり初年度は、アメリカ産のスプリンター種牡馬であるフリートウイングと交配。1978年4月15日北海道三石町の村上牧場にて、初仔の牡馬(後のハッピープログレス)を出産した[6]

産まれた直後の仔は、村上牧場の同期の中で最も小さな馬体をしていた[3]。牧場の村上沢一は「これで競走馬になれるのか」と考えていたが、育成を経た2歳の秋には馬体も充実していった[3]。藤田晋に800万円で購入され「ハッピープログレス」と命名、栗東トレーニングセンターの山本正司厩舎に入厩した[3]

競走馬時代

3-5歳(1980-82年)

1980年11月8日、京都競馬場新馬戦(芝1200メートル)に武邦彦が騎乗しデビュー、5着に敗れた。武が継続して騎乗し、2戦目の新馬戦で逃げ切り初勝利、3戦目の400万円以下も勝利し、連勝とした[3]飯田明弘に乗り替わった中京3歳ステークスでは、好位から抜け出し3連勝[3]。続く4歳、1981年春は短距離レースに参戦するも3連敗。秋は距離を延長して2000メートルの神戸新聞杯京都新聞杯に参戦するも勝利には至らず、菊花賞に出走することができなかった[3]

5歳となった1982年は、短距離に戻り、始動戦の寿賞、淀短距離ステークスと連勝。続いて距離を延長して2000メートルの中京記念や、1600メートルのマイラーズカップに参戦するも二桁着順に敗退、その後、脚部不安を発症し長期休養となった[3]

12月のCBC賞で9か月ぶりに復帰、7番人気に推されて出走した。直線で追い込みを見せて、桜花賞優勝馬のブロケード阪神3歳ステークス優勝馬のサニーシプレーなどをかわし、前年のCBC賞優勝のアグネスベンチャーに半馬身差をつけて勝利[3]。重賞初勝利となり、武は「強力な逃げ馬が多い中で良く走ってくれた。距離が長くなるとひっかるが、この距離だと行きっぷりが実にいい[3]」と振り返っている。

6-7歳(1983-84年)

6歳となった1983年は、北山特別(ダート1800メートル)で始動。敗退後、田原成貴に乗り替わって短距離重賞のスワンステークスに進み、ハギノカムイオーに敗れ3着[3]。6月の阪急杯で追い込みを決め、重賞2勝目を挙げた。12月のCBC賞ではニホンピロウイナーに敗れた2着となり、連覇とはならなかった[3]

7歳となった1984年は、始動戦の淀短距離ステークスでは再びニホンピロウイナーに敗れ、マイラーズカップ4着の後、関東遠征を敢行[3]。3月18日、中山競馬場のスプリンターズステークスGIII)に飯田明弘とともに1番人気で出走した。後方3番手から、直線大外に持ち出し追い込み、残り200メートルで抜け出し、後方に1馬身4分の3差をつけて重賞3勝目とした[3]。続いて4月22日、東京競馬場京王杯スプリングカップGII)にて1番人気で出走。出走21頭中、後方5番手に位置し、直線で大外に持ち出し追い上げを開始[2]。先に抜け出したドウカンヤシマ、ワールドキング、ダスゲニーをかわし、ドウカンヤシマに4分の3差をつけて重賞連勝、4勝目とした[2]

この間に、球節の状態が悪く、コズミ[注釈 2]もあったため回避も考えられたが、5月13日の安田記念GI)に参戦、グレード制施行により定量戦のGIにリニューアルされた初年度であった[2]。騎乗予定の飯田が落馬負傷のため田原が騎乗、出走22頭のうち重賞勝ち馬16頭が集まり、アサカシルバーに次ぐ2番人気に推された[2]。後方待機から第3コーナーで外、直線で大外に持ち出して追い、後方に1馬身4分の3差をつけて勝利、重賞3連勝で「春の短距離三冠」を果たした[2]

関西に戻った秋は、スワンステークス(GII)、第1回マイルチャンピオンシップGI)に参戦するも、どちらもニホンピロウイナーに敗れて3着、2着[7]。この年限りでの引退が決まり、引退レースとして12月16日のCBC賞(GIII)に出走[7]。ニホンピロウイナーの参戦はなかったが、負担重量61キログラムが課された。後方待機から直線で外に持ち出して追い上げ、先に抜け出したシャダイソフィアをかわし、半馬身差をつけて勝利[7][8]。CBC賞2勝目、グレード重賞4勝目、JRA重賞6勝目となった。

1985年1月27日、中京競馬場にて1984年のCBC賞のゼッケン「13」を身に着け引退式を開催[9]。同じくCBC賞の実況録音が流れる中、武が騎乗しスタンド前で走りを披露した[9]

種牡馬時代

引退後は、日本中央競馬会が6000万円で購入して、九州種馬場で種牡馬となった[9]。種馬場長によれば「(前略)上に乗ってからもスプリンターらしく早射ちなので楽ですよ[9]」と種付けに関しての評価が高かった。その後は、那須種馬場に繋養されていた。2000年4月8日に、JRA主催の桜花賞開催記念イベントで観客に展示されるため阪神競馬場に来場し、展示が終わり馬房に戻る際に急性心不全で死亡した。

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[10]およびJBISサーチ[11]の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)

オッズ(人気) 着順 タイム 0騎手 斤量

[kg]

1着馬(2着馬)
1980.11.08 京都 3歳新馬 芝1200m(良) 13 7 10 002.60(1人) 05着 01:13.3 0武邦彦 54 フジヤマテスコ
0000.11.22 京都 3歳新馬 ダ1200m(重) 12 6 7 002.20(1人) 01着 01:13.5 0武邦彦 54 (マチカネサターン)
0000.12.13 中京 3歳400万下 ダ1000m(稍) 10 7 8 004.10(1人) 01着 01:01.1 0武邦彦 54 (フジサイモン)
0000.12.20 中京 中京3歳S 芝1400m(良) 8 2 2 034.80(8人) 01着 01:23.3 0飯田明弘 55 (ヤシマスピード)
1981.03.21 阪神 4歳オープン 芝1400m(重) 7 5 5 003.50(2人) 07着 01:27.1 0飯田明弘 56 ヘーゼルブロンド
0000.04.11 阪神 マーガレットS 芝1600m(重) 8 2 2 013.90(4人) 04着 01:39.0 0飯田明弘 56 ウエスタンコナーズ
0000.06.21 中京 中京4歳特別 芝1400m(良) 9 2 2 020.80(5人) 07着 01:24.0 0飯田明弘 56 キタノコマヨシ
0000.09.27 阪神 神戸新聞杯 芝2000m(重) 12 2 2 104.2(12人) 03着 02:03.4 0飯田明弘 56 アグネステスコ
0000.10.18 京都 京都新聞杯 芝2000m(良) 20 6 14 091.8(16人) 16着 02:03.1 0飯田明弘 57 サンエイソロン
0000.11.07 京都 4歳上オープン ダ1400m(不) 12 1 1 015.50(6人) 03着 01:24.0 0飯田明弘 55 ハシクランツ
1982.01.10 京都 寿賞 13下 ダ1400m(良) 13 6 8 006.40(2人) 01着 01:24.2 0飯田明弘 56 (インタームサシ)
0000.01.31 京都 淀短距離S 芝1200m(良) 10 8 9 008.10(3人) 01着 01:09.6 0飯田明弘 54 (バンブーハッピー)
0000.02.07 中京 中京記念 芝2000m(良) 16 1 1 011.70(5人) 15着 02:03.5 0飯田明弘 55 クニノカチドキ
0000.03.14 阪神 マイラーズカップ 芝1600m(稍) 14 7 11 023.40(6人) 10着 01:35.7 0武邦彦 56 カズシゲ
0000.12.19 中京 CBC賞 芝1200m(良) 16 7 14 025.30(7人) 01着 01:09.8 0武邦彦 55 (アグネスベンチャー)
1983.01.08 京都 北山特別 18下 ダ1800m(重) 7 1 1 006.20(2人) 07着 01:52.4 0武邦彦 57 カネデントーショー
0000.05.15 京都 スワンS 芝1600m(良) 17 8 15 118.2(13人) 03着 01:35.4 0田原成貴 56 ハギノカムイオー
0000.06.12 阪神 阪急杯 芝1400m(良) 12 7 10 006.10(3人) 01着 01:22.3 0田原成貴 56 (ダニッシュガール)
0000.12.18 中京 CBC賞 芝1200m(良) 16 5 10 009.70(2人) 02着 01:10.2 0飯田明弘 57 ニホンピロウイナー
1984.02.12 京都 淀短距離S 芝1200m(良) 6 5 5 004.00(2人) 02着 01:11.7 0飯田明弘 58 ニホンピロウイナー
0000.02.26 阪神 マイラーズカップ 芝1600m(不) 13 8 12 017.10(4人) 04着 01:37.6 0飯田明弘 57 ローラーキング
0000.03.18 中山 スプリンターズS GIII 芝1200m(稍) 13 7 11 003.50(1人) 01着 01:10.3 0飯田明弘 57 (ワールドキング)
0000.04.22 東京 京王杯スプリングC GII 芝1400m(良) 22 4 9 002.50(1人) 01着 01:23.8 0田原成貴 57 ドウカンヤシマ
0000.05.13 東京 安田記念 GI 芝1600m(良) 22 3 5 009.30(2人) 01着 01:37.8 0田原成貴 57 ダスゲニー
0000.10.28 京都 スワンS GII 芝1400m(良) 14 2 2 018.40(6人) 03着 01:22.9 0武邦彦 58 ニホンピロウイナー
0000.11.18 京都 マイルCS GI 芝1600m(良) 16 7 12 010.30(3人) 02着 01:35.4 0田原成貴 57 ニホンピロウイナー
0000.12.16 中京 CBC賞 GIII 芝1200m(良) 14 8 13 005.20(2人) 01着 01:09.1 0武邦彦 61 シャダイソフィア

血統表

ハッピープログレス血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ナスルーラ系
[§ 2]

*フリートウイング
Fleet Wing
1966 鹿毛
父の父
Fleet Nasrullah
1955 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Happy Go Fleet Count Fleet
Draeh
父の母
Akimbo
1956 栗毛
Pan Atys
Pretty Girl
Posture Spiral
Imposture

シングルワン
1974 鹿毛
*ヴィエナ
Vienna
1957 栗毛
Aureole Hyperion
Angelola
Turkish Blood Turkhan
Rusk
母の母
レスリーカリム
1962 栗毛
*カリム Nearco
Skylarking
ハツカゼ タカクラヤマ
マツカゼ
母系(F-No.) レスリーカーター系(FN:16-g) [§ 3]
5代内の近親交配 Nearco 4×4 [§ 4]
出典
  1. ^ [12]
  2. ^ [13]
  3. ^ [14][12]
  4. ^ [12]

脚注

注釈

  1. ^ 同姓同名サイバーエージェント代表取締役かつ馬主藤田晋)とは異なる。
  2. ^ 筋肉痛

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n ハツピープログレス|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年8月24日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 『優駿』1991年4月号 65頁
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『優駿』1991年4月号 64頁
  4. ^ レスリーカーター(USA)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年8月24日閲覧。
  5. ^ シングルワン|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年8月24日閲覧。
  6. ^ 『優駿』1991年4月号 63頁
  7. ^ a b c 『優駿』1991年4月号 66頁
  8. ^ 『優駿』1985年2月号 146頁
  9. ^ a b c d 『優駿』1991年4月号 67頁
  10. ^ ハッピープログレスの競走成績 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 2021年8月23日閲覧。
  11. ^ 競走成績:年度別累計成績/主な成績|ハツピープログレス|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年8月23日閲覧。
  12. ^ a b c 血統情報:5代血統表|ハツピープログレス”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2015年10月19日閲覧。
  13. ^ 小林皓正(編)『サラブレッド血統マップ'93』コスモヒルズ、1993年、40頁。 
  14. ^ 『優駿』1985年2月号、日本中央競馬会、147頁

参考文献

  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1985年2月号
    • 1991年4月号
      • 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝 60】遅咲きのスプリンター ハッピープログレス」

外部リンク