日牟禮八幡宮
| 日牟禮八幡宮 | |
|---|---|
| 所在地 | 滋賀県近江八幡市宮内町257番地 |
| 位置 | 北緯35度8分27.73秒 東経136度5分22.56秒 |
| 主祭神 | 誉田別尊 息長足姫尊 比賣神 |
| 社格等 | 県社・別表神社 |
| 創建 | (伝)131年 |
| 本殿の様式 | 三間社流造 |
| 例祭 | 4月15日 |
日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)は、滋賀県近江八幡市にある神社。 祭神は誉田別尊(ほんたわけのみこと)、息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)、比賣神(ひめかみ)の三柱。 古くから近江商人の信仰を集め、二大火祭の「左義長まつり」と「八幡まつり」は国の選択無形民俗文化財である。境内地は八幡伝統的建造物群保存地区の構成要素。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 創建
伝承によれば、131年、成務天皇が高穴穂の宮に即位の時、武内宿禰に命じてこの地に大嶋大神を祀ったのが草創とされている(この大嶋大神を祀ったのが、現在の大嶋神社奥津嶋神社なのか、境内社の大嶋神社なのかは定かではない)。275年、応神天皇が奥津嶋神社から還幸の時、社の近辺に御座所が設けられ休憩した。その後、その仮屋跡に日輪の形を2つ見るという不思議な現象があり、祠を建て、日群之社八幡宮と名付けられたという。
691年、藤原不比等が参拝し、詠んだ和歌に因んで比牟禮社と改められたと云われる(「天降りの 神の誕生の八幡かも ひむれの杜に なびく白雲」)。
991年(正暦2年)、一条天皇の勅願により、八幡山(法華峰)上に社を建立し、宇佐八幡宮を勧請して、上の八幡宮を祀った。さらに、1005年(寛弘2年)、遥拝社を山麓に建立し、下の社と名付ける(現在の社殿は下の社に相当)。
[編集] 中世以降
1590年(天正18年)、豊臣秀次が八幡山城築城のため、上の八幡宮を下の社に合祀した。替地として日杉山に祀る予定であったが、1595年(文禄4年)秀次が自害に及び、日杉山に社殿は建立されず、現在のように一社の姿となった。秀次自害により八幡城は廃城となったが、城下町は近江商人の町として発展し、当社は守護神として崇敬を集めた。
1600年(慶長5年)9月18日、徳川家康が関ヶ原の戦い後、武運長久の祈願を込めて参詣し、御供領五十万石の地を寄附した。後に、家光や家綱も御朱印を残している。
1876年(明治9年)に郷社、1916年(大正5年)には県社に列せられる。1966年(昭和41年)、神社本庁別表神社に加列し、神社名を日牟禮八幡宮と改称する。
[編集] 祭神
- 誉田別尊
- 応神天皇の神霊
- 息長足姫尊
- 神功皇后の神霊
- 比賣神
- 田心姫神・湍津姫神・市杵島姫神と三姫神の神霊
[編集] ギャラリー
[編集] 祭事
[編集] 左義長まつり
- 歴史
織田信長が安土城下で毎年正月に盛大に行い、自ら異粧華美な姿で踊ったという奇祭。 信長亡き後、豊臣秀次が八幡城を築き、安土から移住した人々によって城下町が開町される。 町民は日牟禮八幡宮例祭「八幡まつり」の荘厳さに驚き、これに対抗して、町開町による新進気鋭の喜びと感謝の意を込め、厄除・火防の由緒ある御神徳を仰ぎ、左義長を奉納したと云われる。
- 概要
現在、近江八幡での左義長まつりは毎年3月の中旬の土日に行われる(以前は14・15日であり、現在は14・15日に近い土日に行われる)。
左義長は、藁で編んだ約3mの三角錐の松明の上に赤紙等で飾りつけた数mの青竹を取り付け、杉葉で作った頭の上には「火のぼり」という御幣、中心には毎年の干支にちなんだ飾り物(ダシ)が付けられる。土曜の午後に、約10数基の左義長が神社から町に繰り出し、化粧して女装した若者が拍子木を持ち、下駄を履いて「チョウヤレ、ヤレヤレ」と声を掛け合い担ぎ踊りながら町内を御渡りする。
踊り子が女装をするのは、信長が異粧華美な姿で祭りに参加した事に由来する。ただ、信長は身分を隠す為に、花笠を被り女物の長襦袢を着た程度だったと思われ、女装とは少し違うと思われる。また、現在では女装と言うより仮装に近く、時勢に合わせた様々な格好をした若者が見られる。
日曜の午前は、旧市街地を自由に練り歩き、午後には「けんか」と呼ばれる左義長同士の組み合いが繰り広げられる。午後8時頃から境内で順次奉火され、燃え盛る左義長は湖国に春の訪れを告げる。
[編集] 八幡まつり
- 歴史
275年、応神天皇が母神功皇后の生地・近江息長村(現在の米原市)を訪問する途中、大嶋大神を参詣するため琵琶湖から上陸した。その際、湖辺の葦で松明を作り、火を灯して天皇一行を八幡まで道案内したのが、祭の始めと伝えられる。
- 概要
毎年4月14日と15日に、八幡開町以前の旧村落12郷(市井・北之庄・鷹飼・大林・中村・宇都呂・土田・多賀・船木・小船木・大房・南津田)の氏子によって行われる(以前は13郷であったが、秀次の八幡開町により、馬場が消滅)。12郷を神戸(かんべ)・土田(つちだ)・郷(ごう)の3つの座に分け、神戸が上の郷、郷が下の郷、土田が中の郷(祭礼の中役)と呼ばれる。
松明祭と呼ばれる14日の宵宮祭は、各郷から葦と菜種がらで作られた松明が奉納される。午後8時頃に、10mもの大松明をはじめ、大小各種30本以上の松明が古例の順序に従い奉火される。 15日の本祭は太鼓祭とも言われ、12郷の大太鼓が太鼓宿から荘厳な音を響かせながら、古例の順序に従い宮入りする。拝殿の前で大太鼓を差し上げ、神職・神役などの祝詞(シューシ)を受ける。 太鼓の打ち方は各郷異なり、宵宮太鼓・休み太鼓・シューシ太鼓・上り太鼓・御渡り太鼓など独特の伝承を持っている。
[編集] 境内社
- 地主神・大嶋神社
- 天満宮
など
[編集] 文化財
- 重要文化財
[編集] ご利益
- 商売繁盛/出世開運
- 厄除、火除
[編集] 所在地・アクセス
- 住所
〒523-0828 滋賀県近江八幡市宮内町257
- 交通
- 駐車場
- 普通車70台、大型車10台
- 見学
- 境内自由
- 時間 - 9時~17時
[編集] 外部リンク
[編集] 関連項目
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