円高不況

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円高不況(えんだかふきょう)は、円相場の上昇(円高)に伴い日本国内の輸出産業が損害を被る結果発生する不況のことである。円高デフレとも言う。

特に1983年から1987年にかけての不況期を指すことが多い(政府発表では1983年から1986年の第10循環に相当する)。

[編集] メカニズム

円相場が円高に傾くと、外貨建て債権を有する日本の輸出産業は為替差損を被ることになり、経営が圧迫される。逆に輸入産業は為替差益を得ることになるが、日本は貿易収支が大幅黒字国であり輸出産業の方が経済に及ぼす影響力が強いため、日本経済全体としては、差益より差損の方が大きくなる。そして利益が減少したことで社員給与の減少や価格への転嫁が起こり、結果購買意欲の衰退、不況へと向かう。

[編集] 歴史

変動相場制移行後最初の円高不況は1971年8月、ドルショックの影響で引き起こされた。およそ4半世紀の間1ドル=360円の固定レートが使われていたため収支計算には勿論その固定レートが用いられていたが、急なレートの変更(1ドル=307円)が日本の輸出産業に与えた打撃は大きく(ニクソンショック)、赤字を計上する企業が続出した。

その後1973年までの2年間は再び固定相場体制が採られた(スミソニアン体制)が、不安定かつ暫定的な体制であったため数次にわたる通貨危機が発生し、遂には変動相場制に移行することとなった。これにより日本円は信用の低下していた米ドルに対して急速に切り上げられることとなり、再び輸出産業は大きな損害を被った。

1970年代後半から1980年代前半にかけては円相場は250円近辺に落ち着くようになったが、じりじりと円安ドル高が進行している状態であった。 ドル高による国際競争力の喪失を恐れたアメリカは1985年プラザホテルにてG5を招集し会議を開き、諸国にドル安誘導を要請し各国はそれを承認した(プラザ合意)。1ドル=240円台で推移していた円相場は1985年末には1ドル=200円まで修正され、その後も一貫して円高ドル安状況が継続していった。特に中小の輸出主導型会社は苦境にたたされることになったが、1986年ごろから政府主導で公定歩合を2.5%に引き下げる超低金利政策などの不況対策が行われ、状況は改善していった。発生した余剰資金はストックの増大をもたらし、やがて来るバブル経済の下地を作ることとなった。

その後の1990年代中盤の超円高も大多数の輸出企業に損害を与える結果となったが、不況時の企業努力によって自国通貨高に対する免疫力は、諸先進国の企業に比べ比較的強くなっているといわれる。

[編集] 関連項目


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