ブラックマンデー

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ダウ平均株価 (1987-06-19~1988-01-19)
注: 原点は0ではない。

ブラックマンデー(英:Black Monday)とは、1987年10月19日に起こった、史上最大規模の世界的株価大暴落。ニューヨーク株式市場の暴落を発端に世界同時株安となった。暗黒の月曜日(あんこくのげつようび)ともいう。

経緯[編集]

1987年10月19日月曜日、ニューヨーク株式市場が過去最大規模の暴落。ダウ30種平均の終値が前週末より508ドルも下がり、この時の下落率22.6%は、世界恐慌の引き金となった1929年暗黒の木曜日(ブラック・サーズデー、下落率12.8%)を上回った。翌日アジアの各市場にこれが連鎖。日経平均株価は3,836.48円安(14.90%)の21,910.08円と過去最大の暴落を起こした[1]。更にヨーロッパの各市場へもつながっていった。

しかし、このときの証券市場の激震は、その後の金融当局による適切な対応の結果、実体経済へは甚大な被害をもたらすにはいたらなかった。日経平均株価については翌日2037.32円高(9.30%)となっている。これは上昇幅で当時の歴代1位、上昇率で当時の歴代2位の記録である[2][3]

要因[編集]

アメリカの貿易収支の赤字幅が予想以上に膨らんでいたことや、1985年のプラザ合意以後のドル安打開のためにドルの金利が引き上げられる観測が広がっていたことが要因として挙げられる。マイロン・ショールズフィッシャー・ブラックによるブラック-ショールズ方程式のように高度な金融工学の登場とコンピュータの普及とが相まって、オプション市場先物市場は爆発的な成長を見せた。コンピュータの普及とブラック-ショールズ方程式の登場は大規模な株式ポートフォリオに保険を提供するようになっていた。このポートフォリオ・インシュランスは先物を使ったヘッジ手段である。ポートフォリオの価値が市場を大きく上回っているときには先物売りは少ないが、市場が下落しだすと売りを増やし、損失と先物売りの利益がほぼ同じようになるようにする。従って、市場が下落し始めるとコンピュータが自動的に売り注文を出すようになり、売りが売りを呼ぶ展開となった。

この二ヶ月前、FRB議長職がポール・ボルカーからアラン・グリーンスパンへ引き継がれていたことも市場の不安心理をあおっていたと見られる。

時代背景[編集]

1970年代の世界的なインフレーションと1980年代初めの高金利時代において株式は割安に放置され続けていた。1980年代、インフレ抑制に成功した世界ではディスインフレーション金融緩和が進行していた。1970年代のインフレーションによって名目の利益水準は相当膨らんでいたため、世界中の割安な株式市場に流動性が流入し活況を呈した。しかし、行き過ぎた活況は金融引き締め観測により終わりを告げた。

この中、金融緩和を続けた日本では、日経平均株価は半年後の1988年4月には下落分を回復。すでに1986年頃に始まっていたバブル景気は更なる膨張を続け、1989年12月29日には史上最高値(38,915.89円)をつけることになる[4]

脚注[編集]

  1. ^ 日経平均プロフィル (html)”. 日本経済新聞社. 2010年6月5日閲覧。
  2. ^ [1] (リンク切れ)
  3. ^ 日経平均プロフィル (html)”. 日本経済新聞社. 2010年6月5日閲覧。
  4. ^ 日経平均で見る株式市場の歩み (html)”. 日本経済新聞社. 2010年6月5日閲覧。

関連項目[編集]