八朔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索

八朔(はっさく)とは八月朔日の略で、旧暦8月1日のこと。

この頃、早稲の穂が実るので、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くからあった。このことから、田の実の節句ともいう。この「たのみ」を「頼み」にかけ、武家公家の間でも、日頃お世話になっている(頼み合っている)人に、その恩を感謝する意味で贈り物をするようになった。[1]

京都市東山区祇園一帯など花街では、新暦8月1日に芸妓や舞妓がお茶屋や芸事の師匠宅へあいさつに回るのが伝統行事になっている。

福岡県遠賀郡芦屋町では、「八朔の節句」として長男・長女の誕生を祝い、男児はで編む「わら馬」、女児は米粉で作る「だごびーな(団子雛)」を家に飾る行事が行なわれており、300年以上続く伝統行事として、国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財の選択を受けている。

香川県丸亀市では、男児の健やかな成長を祈り、その地方で獲れた米の粉で「八朔だんご馬」を作る風習がある。讃岐藩出身で馬術の名人として名高い曲垣平九郎に因んでいる。

また、徳川家康天正18年8月1日(グレゴリオ暦1590年8月30日)に初めて公式に江戸城に入城したとされることから、江戸幕府はこの日を正月に次ぐ祝日としていた[2]

明治改暦以降は、新暦8月1日月遅れ9月1日に行われるようになった。

二百十日二百二十日とともに台風襲来の特異日とされている。

目次

[編集] 関連文献

  • 澤太郎左衛門 徳川家八朔祝賀の起因(同方会雑誌第六号抄出) 舊幕府 第2巻第2号、75頁〜84頁 冨山房雑誌部 明治31年(1898年)2月20日

[編集] 関連項目

  • ハッサク - 8月1日ごろに食べられるようになったため、この名が付いた。

[編集] 脚注

  1. ^ 「年中行事事典」p638 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版
  2. ^ 「年中行事事典」p639 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版

[編集] 外部リンク

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス