テトゥアン
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テトゥアン旧市街地(メディーナ)
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| 英名 | Medina of Tétouan (formerly known as Titawin) | ||
| 仏名 | Médina de Tétouan (ancienne Titawin) | ||
| 登録区分 | 文化遺産 | ||
| 登録基準 | 文化遺産(2),(4),(5) | ||
| 登録年 | 1997年 | ||
| 公式サイト | ユネスコ本部(英語) | ||
| 地図 | |||
| 使用方法・表示 | |||
テトゥアン(ベルベル語: Tiṭṭawin, ティタウィン; アラビア語: تطوان; スペイン語: Tetuán; フランス語: Tétouan; 英語: Tetouan, Tittawin)は、モロッコ北部にある町。モロッコの地中海側にあり、北に40kmほどのところには地中海と大西洋を分かつジブラルタル海峡がある。タンジールからは東へ60km、ジブラルタル海峡に面したスペインの飛び地セウタからは南へ40km。町の周辺には主要道路が通っており、中心部の6km東にはサニア・ラメル空港がある。人口は2004年国勢調査で320,539人。1997年に「テトゥアン旧市街」(テトゥアンのメディーナ)がユネスコの世界遺産として登録された。
[編集] 概要
ベルベル語では「ティタウィン」と呼ばれていた。ティッタウィンとはベルベル語で「目」を意味するが、この地に湧く泉の比喩表現である。現在では、「ティトゥアン」などとも表記されている。日本人がこれを聞き、カタカナで書き下すと、発音の関係でテトゥアンから離れる事がしばしばある。
白い壁の家が多く、市街地などでは家々が密集している地域が多い。特にメディーナと呼ばれる旧市街地は低層の白い家々が立ち並び職人らが多く住み、この部分が世界遺産となっている。公用語こそアラビア語であるが、アラビア語モロッコ方言が主に話される。リーフ語(ベルベル語)を日用生活に使う少数派もいる。スペイン語やフランス語も仕事や学問の分野では使われている。主な宗教はイスラム教だが、キリスト教徒の少数派もいる。また、メラー(mellah)と呼ばれるユダヤ人地区も残る。これはヨーロッパでいうゲットーに似たもので、町から隔てられ、夜には門を閉ざされていた。
テトゥアンはリーフ山地の北方のマルティル川渓谷(Martil)の肥沃な北斜面に広がり、町の北と南と西は山に囲まれている。テトゥアンの町の周辺はオレンジ、アーモンド、ザクロなどの果樹園が広がり、スギなどが生えている。テトゥアンから北東へマルティル川に沿って車でゆくと、すぐにテトゥアンの外港で地中海に面したリゾート地でもあるマルティルの街に着く。町の北の岩山はアンジェラ郡の南端にあたり、一方川を挟んだ南側の山は手つかずの自然もまだ残り古い風俗も残るリーフ山地へと続いている。
町の通りは広々としている。家の多くはイスラム時代のイベリア半島(アル=アンダルス)からレコンキスタで追われた貴族の末裔が住み、大理石の噴水やオレンジの木などを植えた中庭がある。家々の天井の彫刻や壁画も、グラナダのアルハンブラ宮殿に残る装飾に似た特徴を見せており、床や柱はタイルによるモザイクでおおわれている。主な伝統産業は銀の糸をはめこんだタイルの製造、底の厚い履物、その他フリントロック式の銃や織物類などがある。
[編集] 歴史
紀元前3世紀には町があったとみられる。ローマ人やフェニキア人のつかった品々がタムダの遺跡から出土している。ベルベル人の国マウレタニアに属する町であったが、ローマに征服され属州マウレタニア・ティンギタナの一部となった。
マリーン朝の王が現在のテトゥアンの町を築いたのは1305年頃のことで、セウタ攻撃の基地となった。1400年頃にはカスティーリャ王国により海賊行為への反撃として破壊された。15世紀末にはレコンキスタで(特に1492年のグラナダ陥落で)イベリア半島を追われた難民が押し寄せてテトゥアンを再建した。彼らはまず城壁を築き、その内部を家々で埋めた。スペインではテトゥアンは海賊で悪名高く、モロッコ・スペイン戦争中の1860年2月4日にはアイルランド王族の末裔であるスペインの将軍レオポルド・オドンネルがテトゥアンの戦いで勝利して町を占領し、1862年5月2日の撤退までの間に町をヨーロッパ風に改造している。この改造は地元から憎まれ、結局市民によって改造の痕跡は全て破壊され、町はほぼ元の状態に戻った。オドンネルは後にスペイン首相となり、初代テトゥアン公爵を名乗った。
テトゥアンを含むモロッコ北端部は1912年のフェス条約でスペインの保護国であるスペイン領モロッコとなり(南部の大部分はフランス領モロッコとなった)、1913年にスペイン領モロッコが発足するとテトゥアンが首都となった。モロッコのスルタンの王子が副王(ハリーファ Jalifa)としてスペイン領モロッコを治めたが、その実権はスペインの派遣する高等弁務官(Alto Comisario)にあった。この体制は1956年、フランス領モロッコが独立し、スペイン領モロッコの大部分が合流して独立国モロッコが誕生するまで続いた。
こうしたことから今日でも市民の多くはスペイン語も話す。モロッコの多くでは道路標識はアラビア語とフランス語併記となっているが、テトゥアンではアラビア語とスペイン語が併記されている場合がある。
テトゥアンはユダヤ人の大きなコミュニティがあった町でもある。彼らの多くはイベリア半島のレコンキスタやスペイン異端審問から逃れてきたユダヤ人(セファルディム)であり、ハキティアと呼ばれるジュデズモ語(ユダヤ=スペイン語)の一種を話す。彼らの一部は後にアルジェリアのオランや南アメリカに移住し、20世紀後半にはイスラエルやフランスやカナダへも移民した。現在もテトゥアンに残るユダヤ人はごくわずかである。
[編集] 世界遺産登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター[1]からの翻訳、引用である)。
- (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
- (5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。
- 2.に関しては、前述の白い壁の家並みが決め手となった。
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