ソールズベリー
| ソールズベリー Salisbury |
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|---|---|
ソールズベリー大聖堂 |
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| 位置 | |
イングランドにおけるウィルトシャーの位置 |
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ウィルトシャーにおけるソールズベリー(District)の位置 |
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| 座標 : 北緯51度4分24秒 西経1度47分32秒 / 北緯51.07333度 西経1.79222度 | |
| 行政 | |
| 国 | |
| 連合王国 | |
| リージョン | 南西イングランド |
| カウンティ | ウィルトシャー |
| ディストリクト | ソールズベリー |
| ソールズベリー | |
| 人口 | |
| 人口 | (2006年現在) |
| 域 | 45,000人 |
| その他 | |
| 等時帯 | 西ヨーロッパ時間 (UTC+0) |
| 夏時間 | 西ヨーロッパ夏時間 (UTC+1) |
| Postcode | SP1, SP2 |
| 市外局番 | 01722 |
ソールズベリー(Salisbury)はイングランド・ウィルトシャーの州都。人口45,000(2006年)。
目次 |
歴史 [編集]
ソールズベリーの建設された場所が定住地に選ばれたのは、水の潤沢ゆえだった。市の起源は鉄器時代に遡る。古代ローマ帝国は町をソルヴィオドゥナム("Sorviodunum")と呼んだ。現代ウェールズ語ではCaersallogである。この地が"Searoburh"と呼ばれるようになってから、西サクソン人とブリトン人の間で戦闘が起こった。ノルマン人たちは"Searesbyrig"または"Seresberi"という城をここに建てた。1086年、ドゥームズデー・ブックには"Salesberie"の名前が記載された。城のあった場所は今『オールド・セーレム』の名で知られる。オールド・セーレムはバラ(Borough)の一つであった。
セーレムという名前の由来はあいまいである。省略したラテン語で書かれた文書から由来したというのが事実らしい。"Saresberie"と書くのが長いので、ラテン語の特徴である"um"をつけてみたのだろう。最初にこの名が使われたのが初めて伝わったのは、聖ニコラス病院の紋章で、1239年のことである。初代ソールズベリー司教ワイヴィルは、自身のことを"episcopus Sarum"と称した記述を残している。
大聖堂 [編集]
最初の大聖堂は1075年から1092年にかけ、司教オズモンドの代にオールド・セーレムに建てられた。1120年、同じ場所にさらに大きな建物が建てられた。しかし、同じ場所に大聖堂をつくる決定をオールド・セーレムへ渡したことから聖職者と軍の関係が悪化した。そのため、1220年にできた市の部分はソールズベリーではニュー・セーレムで知られ司教リチャード・プーアによる新大聖堂建設は同じ年に始まった。主たる骨格はわずか38年で完成、これは初期イングランド建築の傑作とされる。オールド・セーレムから大聖堂は一部を石で、また一部は小さな船でナッダー川で運ばれてきたシルマーク・カリーズ(現在のウィルトシャー)の石で作られた。全長123メートルの尖塔は後で建てられ、これはイギリスで最長の尖塔である。
大聖堂は、木を束にしたものの上の18インチの一風変わった浅い基礎を伴う砂利敷き上に建てられた。この場所はオールド・セーレムから放った矢によって選ばれたと仮定されている。これは以前の場所から3キロ以上離れていることから伝説とみなされている。また別の話では、矢は白いシカを射って、シカは走り続けたが大聖堂が今ある場所で絶命したという。
大聖堂の図書館にはマグナ・カルタの現存する4つの写本の内、最良の状態のものが保管されている。
1386年、大きな機械時計が大聖堂に設置された。これは現存し、ブリテン諸島で最も古い機械時計である。
市 [編集]
1219年に司教リチャード・プーアは、新たな町と、エイヴォン河畔にある自身の所領に大聖堂を建てることを決めた。
町は格子状にレイアウトされ、1220年に作業が始まった。同じ年に大聖堂建設も始まった。
町はたちまち発展し、14世紀にはウィルトシャーの主要町となった。
大聖堂の庭を取り巻く城壁は14世紀に建てられた。壁には5つの門があった。4つは建てられた当時のままで、一つは19世紀につくられた。セント・アン門近くの部屋には作曲家ヘンデルが滞在したことがあり、かれはここで数作を創作している。ロンドンの黒死病大流行の間、チャールズ2世は大聖堂の庭内に宮廷を移した。
経済 [編集]
ソールズベリーでは火曜日と土曜日に市場が開かれ、1227年から定期的に続いている。15世紀には市場の場所は、売買や品物置き場のために石を交差させていた。現在も、1852年に付け足しされたフライング・バットレス上にある、ポウルトリー・クロスが唯一残っている。
1226年、ヘンリー3世はソールズベリー司教に、聖母の被昇天(8月15日)の祝日から8日間に祭りを開催する勅書を与えた。数世紀以上祭りの日付は前後したが、現在の祭りファンフェアは10月の第三月曜日から三日間、市場で開催されている。しかし、今も古来の法を守り祭りが大聖堂内の庭で行われている。
ストーンヘンジの遺跡は、ソールズベリーの北西13キロにある。観光収入が地域経済を大いに潤している。ソールズベリーでも、オールド・セーレムと大聖堂は観光客のメッカである。
オールド・ジョージ・モール、マルティングズ、ウィンチェスター・ストリートらショッピング・センターがある。
文化 [編集]
ソールズベリーは18世紀に音楽の重要な中心地であった。ヘンデルの友で言語学者のジェームズ・ハリスは、ほぼ50年もの間自らが亡くなる1780年まで、多くの有名な音楽家と歌手を集めアッセンブリー・ルームでコンサートを開いた。ソールズベリーには強力な芸術共同体があり、市中心部には画廊があった。18世紀、ジョン・コンスタブルは大聖堂の尖塔やそれを取り巻く田園風景を描いた風景画を描いた。
ソールズベリーの数軒の建物は幽霊が出るという噂がある。ゴースト・ツアーが地元民や観光客に人気である。そのような建物の中には、ジョン・ヘイル邸に位置する地元の映画館がある。それは、映画館を含んだイギリス最古の建物である。
地理 [編集]
ソールズベリーは谷間にある。地域の地質学において、ウィルトシャー州南部とハンプシャー州は広範囲にチョークの地質である。市を流れる河川は再度真っ直ぐになり、美化されて公立庭園へ注ぎ込むようにされた。庭園は夏期に人気があり、特にクイーン・エリザベス庭園では水は狭く緩やかに流れているので安全に流れの中へ入ることができる。クイーン・エリザベス庭園近くは水草が生い茂り、水は堰で管理される。なぜなら低地のため、川は特に冬期に洪水を起こしてしまうからである。
ソールズベリー市民は、市に十分な道路が欠けているとされる。サウサンプトン、ブリストルの港につながる自動車道がなく、全ての交通機関はソールズベリーを通過しなければならないからである。
最も近い町は、ウィルトシャー州のかつてのカウンティ、ウィルトンである。北にはストーンヘンジを含むアムスベリがある。西部はバーフォード・セント・マーティン、ティスベリ、ギリンガム。東部はギャリソン・タウンとアンドーヴァーである。アルダーベリーとロムゼーは南方だが、サウサンプトンの一部とみなされる。最後に北方はウォーミンスターとウェストベリである。
北方から東方はソールズベリー平原である。この地域の大半は軍事演習場とされている。
その他 [編集]
- ソールズベリー・シティFC - サッカー・クラブ