シジクレイ
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| シジクレイ | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 本名 | シジクレイ・デ・ソウザ | |
| 愛称 | シジ | |
| カタカナ | シジクレイ | |
| ラテン文字 | SIDICLEI | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1972年5月13日(37歳) | |
| 出身地 | パラナ州カスカベル | |
| 身長 | 187cm | |
| 体重 | 84kg | |
| 血液型 | O型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | 京都サンガF.C. | |
| ポジション | DF | |
| 背番号 | 3 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1990-1995 1996 1996-1997途 1997-1998 1999 2000 2001-2003 2004-2007 2008-現在 |
SEマツバラ アトレチコ・パラナエンセ SEマツバラ モンテディオ山形 京都パープルサンガ 大分トリニータ ヴィッセル神戸 ガンバ大阪 京都サンガF.C. |
49(9) 29(4) 35(5) 85(12) 122(9) |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年1月12日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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シジクレイ・デ・ソウザ(Sidiclei de Souza、 1972年5月13日-)は、ブラジル出身のサッカー選手である。ポジションはおもにDFで、センターバック(CB)またはリベロ。1997年の来日以来、複数のJ1・J2のクラブを渡り歩き、現在はJリーグ・京都サンガF.C.に所属。
目次 |
[編集] 略歴
父のシジネイ、兄のジャンカル、さらに3人の親戚もプロサッカー選手というサッカー一家で生まれ育つ。[1]ボランチだった父の影響で、自らも少年時代からボランチとしてプレーしていた。[1]カスカベルFCのジュニオールでプレーした後、1991年にSEマツバラに移り、1993年にプロ契約を結ぶ。[1]
1997年にJFLのモンテディオ山形に加入。1998年にはJFLで3位という好成績に大きく貢献し、[1]1999年にJ1の京都パープルサンガに移籍した。京都では出場停止1試合を除く29試合にフル出場した。[2]自身は翌2000年も京都でのプレーを考えていたが、「このチームで続けられる、と思っていたらできなかった。いまでもその理由が分からない」と述懐する何らかの理由により実現せず。[2]この年はJ2の大分トリニータに期限付き移籍し、最終節までJ1昇格争いに絡み、2位と勝ち点1差の3位でシーズンを終えた。
2001年はヴィッセル神戸に期限付き移籍、2002年に完全移籍。2004年からはガンバ大阪に移籍。2005年はキャプテンを任され、[3]G大阪はこの年にナビスコカップ準優勝、J1リーグ初優勝を果たした。
2008年は9年ぶりに京都に復帰。
[編集] プレースタイル
- 元々は中盤の底(ボランチ)の選手である。しかしその長身と危機察知能力を買われ、大分でセンターバックとして起用されてからは専らこのポジションでプレーしている。
- ガンバ大阪ではDF陣の中で、(スピード対応にはいささか難があるが)守備の要として活躍。ゴール前に立ちふさがる大きな壁として、鬼神のごとく相手のセンタリング、クロスボールをヘディングで撥ね返している。また神戸時代のようにフリーキックを任される事もあるほどのシュート力を持ち、セットプレー時にはそのシュート力や長身を生かしたヘディングがチームの大きな武器になる。負けている試合終盤には守備を放棄してまで攻撃参加。神戸時代にはDFながら6ゴールを記録している。
- 元ボランチならではの長短のパスも正確で、最後尾からの攻撃の起点としての役割も果たしている。
- 年齢からくるスピードの衰えは否めない。しかし、卓越した危機察知能力と正確なフィード力はJリーグトップレベルである。
- 京都サンガF.C.では、“フォア・リベロ”として、新境地を開きつつある。
[編集] 所属クラブ
- 1987年 - 1990年
カスカベルFC - 1990年 - 1995年
SEマツバラ - 1996年
アトレチコ・パラナエンセ (レンタル移籍) - 1996年 - 1997年
SEマツバラ - 1997年 - 1998年
モンテディオ山形 - 1999年
京都パープルサンガ - 2000年
大分トリニータ (レンタル移籍) - 2001年 - 2003年
ヴィッセル神戸 (※2001年はレンタル) - 2004年 - 2007年
ガンバ大阪 - 2008年 - 現 在
京都サンガF.C.
[編集] 経歴
- Jリーグ初出場:1999年3月6日Jリーグ ディビジョン1 1stステージ第1節(vs柏レイソル)
- Jリーグ初得点:1999年4月17日Jリーグ ディビジョン1 1stステージ第7節(vs浦和レッドダイヤモンズ)
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1990 | マツバラ | ||||||||||
| 1991 | マツバラ | ||||||||||
| 1992 | マツバラ | ||||||||||
| 1993 | マツバラ | ||||||||||
| 1994 | マツバラ | ||||||||||
| 1995 | マツバラ | ||||||||||
| 1996 | アトレチコ-PR | ||||||||||
| 1996 | マツバラ | ||||||||||
| 1997 | マツバラ | ||||||||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1997 | 山形 | 8 | 旧JFL | 22 | 5 | - | 3 | 1 | 25 | 6 | |
| 1998 | 山形 | 8 | 旧JFL | 27 | 4 | - | 4 | 2 | 31 | 6 | |
| 1999 | 京都 | 5 | J1 | 29 | 4 | 4 | 0 | 1 | 0 | 34 | 4 |
| 2000 | 大分 | 5 | J2 | 35 | 5 | 2 | 1 | 3 | 1 | 40 | 7 |
| 2001 | 神戸 | 5 | J1 | 28 | 0 | 3 | 1 | 2 | 0 | 33 | 1 |
| 2002 | 神戸 | 5 | J1 | 27 | 6 | 6 | 2 | 1 | 0 | 34 | 8 |
| 2003 | 神戸 | 5 | J1 | 30 | 6 | 6 | 1 | 3 | 1 | 39 | 8 |
| 2004 | G大阪 | 2 | J1 | 30 | 3 | 5 | 1 | 3 | 0 | 38 | 4 |
| 2005 | G大阪 | 2 | J1 | 28 | 1 | 11 | 3 | 3 | 1 | 42 | 5 |
| 2006 | G大阪 | 2 | J1 | 31 | 3 | 2 | 0 | 1 | 0 | 34 | 3 |
| 2007 | G大阪 | 5 | J1 | 33 | 2 | 11 | 2 | 3 | 0 | 47 | 4 |
| 2008 | 京都 | 3 | J1 | 33 | 1 | 5 | 0 | 2 | 0 | 40 | 1 |
| 2009 | 京都 | 3 | J1 | ||||||||
| 通算 | ブラジル | ||||||||||
| 日本 | J1 | 269 | 26 | 54 | 10 | 19 | 2 | 347 | 38 | ||
| 日本 | J2 | 35 | 5 | 2 | 1 | 3 | 1 | 40 | 7 | ||
| 日本 | 旧JFL | 49 | 9 | - | 7 | 3 | 56 | 12 | |||
| 総通算 | |||||||||||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2006 | G大阪 | 2 | 6 | 0 |
| 通算 | AFC | 6 | 0 | |
[編集] 受賞歴
- Jリーグ優秀選手賞(2001年、2002年)
[編集] エピソード
- 来日のきっかけは、SEマツバラの紅白戦を観戦した石崎信弘(当時モンテディオ山形監督)直々のオファーだった。石崎は2000年に大分トリニータの監督として再びシジクレイを獲得している。
- 日本での生活が10年以上と長く、最初に入団した山形ではポルトガル語の通訳がいなかった事情もあって、現在は流暢な日本語を話すことができる。また「国籍はブラジルだが、心から日本を愛している」と話す親日家である。そのことがあってからか周囲の信頼も厚く、2005年には外国人選手ながらガンバ大阪のキャプテンを任された。2008年も京都サンガF.C.で試合によってはキャプテンマークを巻いている。
- 練習にも率先して取り組む。とくに若い選手が多いチームでは「プロの鑑」としても非常に頼りにされている。
- 大分時代からのスキンヘッドがトレードマーク。ヴィッセル神戸在籍時代には、同僚DFの土屋征夫、北本久仁衛もスキンヘッドであり、3人並んだ時の神戸DF陣は「フラットスキン」「フラッシュスリー」「ピカッとスリー」などと呼ばれたりしていた。トルシエ・ジャパンの「フラットスリー」がマスコミ紙面を賑わせていた頃の話である。
- 2005年リーグ優勝後、同僚のMFフェルナンジーニョと共にガンバ大阪のチームカラーである青と黒の縦じま模様に髪の毛を染めた。しかし、まだ天皇杯も残っていたため、気を引き締めろと西野朗監督に注意され、元に戻した。
- 2006年10月29日J1第29節清水エスパルス戦で難病の少年をスタジアムに招待した。試合では自ら先制点を決める活躍を見せ、少年を勇気付けるとともに多くのサポーターからの共感を得た。
- 名古屋グランパスエイトのテクニカルディレクターなどを務めた上田滋夢に「Jリーグで最も成功した外国人選手の1人」と言わしめた。
- 清水エスパルスのリーグ通算800得点目となるゴールを自らのオウンゴールで記録してしまった。
[編集] 脚注
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