カーリアン

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カーリアン
ロバート・サングスターの勝負服
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1980年3月27日
死没 1998年2月2日
Nijinsky II
Foreseer
母の父 Round Table
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 クレイボーンファーム
馬主 ロバート・サングスター
調教師 ヴィンセント・オブライエン(アイルランド)
競走成績
生涯成績 8戦4勝
獲得賞金 138,585ポンド
1,000,000フラン
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カーリアン (英語: Caerleon) は、アイルランド競走馬種牡馬1980年代にアイルランド・イギリスフランスで出走し活躍、種牡馬としても成功した。19881991年のイギリス・アイルランドリーディングサイアー。馬名はイギリスにある地名より。

ニジンスキーは最後のイギリスクラシック三冠馬で、母フォアシアーはアメリカで走り3勝を挙げた競走馬である。1980年、この両親の間にクレイボーンファームで生まれた。1歳下の全弟にセクレタリアトステークス(G1)に勝ち、日本に種牡馬として輸出されたヴィジョンがいる。

戦績[編集]

カーリアンはアイルランドのヴィンセント・オブライエンに調教を受け1982年カラ競馬場でデビューした。蹄が小さいという弱点を抱え、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスはこれが原因で落鉄し最下位に敗れている。G1実績はフランスのダービーに当るジョッケクルブ賞ベンソン&ヘッジス金杯に優勝し、アイリッシュダービーでもシャリーフダンサーの2着に入ったのが好成績である。ベンソン&ヘッジス金杯後に高額のシンジケートが組まれ引退した。

競走成績[編集]

  • 1982年(2戦2勝)
    • アングルシーステークス (G3)
  • 1983年(6戦2勝)
    • ジョッケクルブ賞、ベンソン&ヘッジス金杯、2着 - アイリッシュダービー

引退後[編集]

引退後は当初早熟傾向が強いと見られていたが、1991年にはジェネラスが英愛ダービーとキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスを制し、同年サドラーズウェルズから種牡馬ランキングトップの座を奪取した。その後も凱旋門賞マリエンバード等を輩出しニジンスキーの後継種牡馬の1頭となっている。日本にも持ち込み馬外国産馬として多数の馬が導入され東京優駿(日本ダービー)に勝ったフサイチコンコルドを始め5頭がG1馬となった。そのため日本で人気が高く、前述のジェネラス、マリエンバードの他テンビー等が日本に輸入された。1998年2月2日、心臓麻痺により死亡。

主な産駒[編集]

GI級競走優勝馬のみ。*(アスタリスク)の付いた馬は日本輸入馬。

日本登録馬[編集]

フサイチコンコルド

母父としての主な産駒[編集]

太字はGI級競走

血統表[編集]

カーリアン血統ニジンスキー系 / 5代内アウトブリード (血統表の出典)

Nijinsky II
1967 鹿毛
父の父
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
父の母
Flaming Page
1959 鹿毛
Bull Page Bull Lea
Our Page
Flaring Top Menow
Flaming Top

Foreseer
1969 黒鹿毛
Round Table
1954 鹿毛
Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Knight's Daughter Sir Cosmo
Feola
母の母
Regal Gleam
1964 鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Miz Carol Stymie
No Fiddling F-No.1-s


外部リンク[編集]

先代

アメリカ合衆国の旗ミルリーフ
アメリカ合衆国の旗サドラーズウェルズ
リーディングサイアー
(イギリス&アイルランド)
1988年
1991年
次代

フランスの旗ブラッシンググルーム
アメリカ合衆国の旗サドラーズウェルズ