デヴィルズバッグ

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デヴィルズバッグ
英字表記 Devil's Bag
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1981年
死没 2005年
Halo
Ballade
母の父 Herbager
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国メリーランド州
生産 E. P. Taylor
馬主 Hickory Tree Stable
調教師 Woody Stephens
競走成績
生涯成績 9戦8勝
獲得賞金 445,860ドル
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デヴィルズバッグDevil's Bag1981年 - 2005年)は、アメリカ合衆国サラブレッド競走馬、および種牡馬1983年エクリプス賞最優秀2歳牡馬を受賞した馬で、種牡馬としても実績を残している。

経歴[編集]

出生[編集]

エドワード・プランケット・テイラーの所有するウィンドフィールズファームメリーランド支場で、1981年に生まれたサラブレッドの牡馬である。父ヘイロー、母バラッドとの間に生まれた馬で、全姉にグローリアスソング、全弟にセイントバラードがいる。

デヴィルズバッグは1歳のときにキーンランドのジュライセレクトセールに出品され、325000ドルでヒッコリーツリーステーブルに購入された。

2歳[編集]

デヴィルズバッグはヒッコリーツリーステーブル名義で登録され、ウッディ・ステファンズ調教師のもとで競走馬となった。2歳時は東海岸から始動し、初戦として迎えた8月20日の未勝利戦(サラトガ競馬場・ダート6ハロン)において、後続を7馬身半も突き放す圧勝で初勝利を挙げた。このとき騎乗していたエディ・メイプルは以後もほとんどの競走でデヴィルズバッグの鞍上を務めている。

同年、デヴィルズバッグは負け知らずの5連勝を記録した。その競走内容も濃く、3戦目のカウディンステークスで記録した1分21秒40のタイムは当時のベルモントパーク競馬場のダート7ハロン(約1408メートル)でのトラックレコード、翌戦シャンペンステークスでは1976年にシアトルスルーが記録していた記録を破る同競馬場ダート8ハロン(約1609メートル)のトラックレコードであった。さらに同年最終戦のローレルフューチュリティにおいてもローレルパーク競馬場ダート8.5ハロン(約1709メートル)で1分42秒20のタイムを叩きだし、スペクタキュラービッドの保持していたトラックレコードを塗り替えた。全競走で平均して5馬身半の差を付けており、その世代において圧倒的な力を持っていることを示し続けた。

本来は同年の最終戦として12月のレムゼンステークスへ登録されていたが、挫石のため出走を取りやめ、翌年までの休養に入った。この12月の20日、クレイボーンファーム総帥のセス・ハンコックはデヴィルズバッグに対する、1株100万ドル、合計3600万ドルの種牡馬シンジケートを結成したことを発表した[1]。この金額は2歳馬にかけられたものとしては史上最高額のもので、アメリカの全競走馬においても歴代3位という大規模なものであった。また、ハンコックは同馬を3歳シーズン終了後にクレイボーンファームへと引退させること予定を語り、種付け初年度(1985年)の種付け料を100万ドルにするとも宣言した。

3歳[編集]

前年の活躍からデヴィルズバッグは大いに人気を集め、冬時点でのアメリカクラシック三冠シリーズ展望において大本命に推されていた。1984年1月2日号のタイムにおいては「次代のセクレタリアト」とも評されていた[2]

1984年はフロリダ州から始動し、2月20日のハイアリアパーク競馬場で行われた一般競走において7馬身差の圧勝で年初を飾った。翌戦にフロリダにおける最大のプレップレースである3月7日のフラミンゴステークスが登録されたが、この競走において突然不可解な失速で先頭からずるずると後退、7馬身差の4着に沈み、初の敗北を喫してしまった。12日のスポーツ・イラストレイテッド誌はこの競走について、「近年の競馬における、1973年のセクレタリアトのそれ以来の衝撃的な事件であった。」と評している。

4月19日、デヴィルズバッグはキーンランド競馬場のフォアランナーステークスを15馬身差で圧勝してやはり力のあるところを見せつけた。さらに4月28日のチャーチルダウンズ競馬場のダービートライアルステークスでも優勝したが、ケンタッキーダービーを4日後に控えた5月1日ステファンズはダービーの回避を発表し、プリークネスステークスより本戦に加わるとした。

しかし、5月7日にデヴィルズバッグを担当した獣医のアレックス・ハーシルは、デヴィルズバッグの右前脚の膝に亀裂が入っていることを発見したと報告し、これによってクラシック出走を目前としながら引退が決定した。

引退後[編集]

引退後は予定通りクレイボーンファームでの種牡馬となり、生涯で40頭のステークス競走勝ち馬を輩出した。アメリカ国内における代表産駒として名の挙がる馬にデヴィルヒズデューDevil His Due 1989年生、牡馬)がおり、サバーバンハンデキャップガルフストリームパークハンデキャップなどハンデキャップ競走路線で活躍、G1競走4勝を挙げた。

国外での活躍馬の代表として、日本で競走馬となったタイキシャトル(1994年生、牡馬)がいる。同馬は日本国内でマイルチャンピオンシップ連覇などの実績を重ね、さらにフランスに遠征してジャック・ル・マロワ賞に優勝、1998年の年度代表馬に選出された。

このほかでは、アイルランドとアメリカの2か国で競走生活を送ったトワイライトアジェンダ(Twilight Agenda 1986年生、牡馬)、サンタモニカハンデキャップなどに勝ったデヴィルズオーキッド(Devil's Orchid 1987年生、牝馬)、ガゼルハンデキャップなどに優勝したバイザスポーツ(Buy the Sport 2000年生、牝馬)などがいる。

後継の種牡馬も多く、その血統は現在も各地に広まっている。前述のデヴィルヒズデューやタイキシャトルのほか、戦績こそG2勝ちどまりながら種牡馬として重賞勝ち馬を輩出したディアブロDiablo 1987年生、牡馬)などもいる。

2005年2月3日、デヴィルズバッグは馬房内で右後脚を骨折したため、安楽死の処置がとられた。24歳であった。

評価[編集]

主な勝鞍[編集]

1983年(2歳) 5戦5勝
カウディンステークス (G2)、シャンペンステークス (G1)、ローレルフューチュリティ (G1)
1984年(3歳) 4戦3勝
フォアランナーステークス、ダービートライアルステークス

年度代表馬[編集]

表彰[編集]

血統表[編集]

デヴィルズバッグ血統ヘイロー系 / Mahmoud 4x4=12.50%、 Blue Larkspur 5x5x5=9.38%、 Firdaussi 母内5x5=6.25%)

Halo
1969 青毛 アメリカ
Hail to Reason
1958 青鹿毛 アメリカ
Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Nothirdchance Blue Swords
Galla Colors
Cosmah
1953 鹿毛 アメリカ
Cosmic Bomb Pharamond
Banish Fear
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator

Ballade
1972 黒鹿毛 アメリカ
Herbager
1956 鹿毛 フランス
Vandale Plassy
Vanille
Flagette Escamillo
Fidgette
Miss Swapsco
1965 黒鹿毛 アメリカ
Cohoes Mahmoud
Belle of Troy
Soaring Swaps
Skylarking F-No.12-c

母バラッドは現役時代に8戦2勝と、競走馬としての実績はなかったが、繁殖牝馬としてデヴィルズバッグなどステークス競走勝ち馬4頭を出した名牝であった。1994年7月22日にブルックデールファームにて老衰のため安楽死処分された。

バラッドの代表産駒といえるものがデヴィルズバッグの全姉弟たちであるが、このほかで特筆できる産駒にエンジェリックソング(Angelic Song 1988年生、牝馬)がいる。同馬は未出走ながらも、繁殖牝馬としてハリウッドターフカップステークス勝ち馬のスライゴベイ(Sligo bay 1998年生、牡馬)や、日本でクイーン賞などに勝ったレディバラード(1997年生、牝馬)などを出している。

備考[編集]

  1. ^ Devil's Bag Syndicated - New York Times(1983年12月21日、英語)
  2. ^ Sport: A Ticket to Green Pastures - TIME(1984年1月2日号、英語)

外部リンク[編集]