はなバス

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現行の専用車(西武バス) (A8-554)
かつて使用されていた日野・リエッセ (A4-999)

はなバスは、東京都西東京市を走るコミュニティバスである。

2001年(平成13年)1月21日に保谷市田無市が合併して「西東京市」が発足し[1]2002年(平成14年)3月に西東京市「はなバス」として運行を開始した[2]。運行開始日は第1・4ルートが30日、第2・3ルートが23日だった[2]1996年(平成8年)に開業した旧・保谷市コミュニティバス「キャンバス(Can Bus)[3]」を継承・発展させる形で開業したもので[4][5]、この記事では、「キャンバス(Can Bus)」についても記述する。

運行は第1~3ルートが西武バス滝山営業所、第4ルートが関東バス武蔵野営業所が受託している[6]

沿革[編集]

キャンバスの開業[編集]

「はなバス」の前身となった「キャンバス(Can Bus)」は旧・保谷市1996年(平成8年)3月に運行を開始したコミュニティバスで[7]、保谷市役所(現・西東京市役所保谷庁舎)まで遠い新町地区の住民の利便を図るため運行していた。合併前の田無市と保谷市の位置関係は田無市が保谷市に食い込むような形で、保谷市の南部と北部で細く伸びた区域が田無市を包み込み、あたかも上下に腕を広げて抱き込むような形になっていた[8]。面積の狭い二つの市が複雑に入り組んだ位置関係にあったことが、二つの市を合併させる大きな要因の一つになった。新町地区は旧・保谷市の最南端部分で西武新宿線田無駅のさらに南側に位置し、東西に細長く伸びた町域が田無市と武蔵野市の隙間に挟み込まれるような形になっており、特に西端は小金井公園付近にまで伸びていた。西武池袋線保谷駅近くにある保谷市役所からは非常に遠く、アクセスが極めて不便な地域だった。そのため、新町六丁目から西武新宿線東伏見駅を経由して保谷市役所へ向かうコミュニティバスとして、「キャンバス」が運行された。このキャンバスが運行される保谷市を含めた多摩地域では、1980年代に開業した武蔵村山市内循環バス日野市ミニバス1995年(平成7年)に隣接する武蔵野市で開業した「ムーバス」があり[9]、キャンバスの開業はこれに続く4番目だった。多摩地域では勿論、全国的に見ても早い開業で、1997年(平成9年)には多摩市ミニバス町田市民バス「まちっこ」が開業しており、2000年代にかけてコミュニティバスの開業が相次いだ[9]

西武バス上石神井営業所のコミュニティバス受託としては、1991年(平成3年)8月に運行を開始した「旧・練馬区シャトルバス」に続く2番目で[10]、保谷駅の敷地の一部は練馬区にも跨っている。なお、西武バス全体ではキャンバスに先駆け、新座営業所1994年(平成6年)に朝霞市内循環バス1995年(平成7年)に新座市シャトルバス(現在廃止)の受託も開始している[10]

キャンバスからはなバスへ[編集]

はなバスの停留所はラインカラーで色分けされている

保谷市2001年(平成13年)1月に田無市と合併し、「西東京市」が誕生した。西東京市は21世紀で最初に合併新設によって発足したで、東京都で最も新しい市である。多摩地域における市町村合併による市の新設は1995年(平成7年)のあきる野市に続くものである。発足した西東京市は市内に西武鉄道鉄道駅を5駅を擁することになったが[5][11]、合併以前より各駅から西武バス関東バスによる一般路線バスが運行されているために交通の便は比較的充実していた[5][11]。しかし市域には狭隘道路が多いことから定時性が損なわれがちで[11]、既存のバス路線網から外れた交通空白地帯も存在していた[5]

合併後も「キャンバス」は保谷市時代のキャンバスをそのまま引き継ぎ、「西東京市キャンバス」として運行が継続された。運行事業者も西武バス上石神井営業所が担当してきたが、キャンバスは一般路線と同様の多区間運賃制で一般路線バスとの競合区間も多いことから利用率が芳しくなく、田無市と合併したことで新町地区の住民は近隣の西東京市役所田無庁舎(旧・田無市役所)を利用するようになったため、キャンバスそのものの存在意義が薄れてしまった。そのため、以前からの課題である一般路線バスが通行できない公共交通空白地域の解消も含めて、合併後の市民の利便性向上を図るためにコミュニティバスの再編が求められた[5][11]。これは新たに誕生した西東京市の四大事業とされ、「キャンバス」は2002年(平成14年)3月に「西東京市はなバス」へ生まれ変わった。キャンバスから「はなバス」へ変更された際に担当は上石神井営業所から滝山営業所へ移管され、新設された第4ルートに関しては関東バスの一般路線との競合を避けるために関東バス武蔵野営業所に運行受託されることとなった。車体の色も「はなバス」専用の水色を基調とした新デザインに改められ、新車も導入された。ただし、キャンバス時代から使用されてきた車両は廃車にならず、塗装変更の上で引き継がれた[11]。運行開始にあたり、新たに誕生した市制のイメージアップも重要視されたために乗務員の新規採用時には4名の女性運転士が採用され、運転技術や接遇教育を徹底して行ったとされる[11]

西東京市の足として定着[編集]

「はなバス」は合併後の新しい市の事業として、運行開始翌月の2002年(平成14年)4月から乗車人数・輸送収入が徐々に増加し[11]、市民の足として定着した。同年12月2日には早くも利用者が50万人を突破し[12][13]2003年(平成15年)には国土交通省が調査した報告書「全国のバス再生事例集[14]」における「バス再生事例 コミュニティバス関係[15]」において、はなバスが日本全国のコミュニティバスの中でも「導入効果が認められる事例[15]」の一つとして取り上げられた[11]

2004年(平成16年)5月21日には利用者数が累計で200万人を達成し[16][17]、同年6月1日から8月31日までの間に専用車(クセニッツ・CITY)に赤いリボンの装飾を施した記念の車両を各ルートに1台ずつ運行した[17]。9月1日には第5ルートを新設させ[18]、これによって西東京市内の公共交通空白地域はほとんど消滅したが、ひばりが丘北東部は未だに交通の不便な地域が存在しているため、西東京市では今後も都市計画道路の開通にあわせ、はなバスネットワークを拡大・順次見直ししていく考えを明らかにした[18]

2007年(平成19年)と2010年(平成22年)に西東京市が市民を対象に実施したアンケートの結果では、「(合併して)西東京市になって良かったと感じること」の第1位として「はなバスの運行など、交通の便が良くなったこと」が挙げられており[19]、はなバスの存在は合併の成果として、市民から非常に高く評価されている[19]

年表[編集]

3月1日 - 保谷市コミュニティバス「キャンバス」運行開始[7]西武バス上石神井営業所が運行受託し、専用車として日野・リエッセ2台導入。
1月21日 - 田無市と保谷市が合併して「西東京市」が発足[1]
8月 - 西東京市が西武バス、関東バスに対してコミュニティバス企画提案書の説明を行う[11]
12月1日 - 西東京市報にて新コミュニティバスの愛称を公募[20]
2月1日 - 新コミュニティバスの愛称が「はなバス」に決定[21][20]。車両デザインとルートを発表[21][20]
2月15日 - 各ルートの停留所の位置を決定、運賃や運行時間帯などを発表[22][23]
3月15日 - 専用車両と時刻表など、運行内容の詳細について発表[24][25][26]
3月20日 - 路線図・時刻表を掲載した利用案内パンフレットを作成し、市庁舎などで配布開始[25]
3月23日 - 西東京市コミュニティバス「はなバス」が開業、第2ルート・第3ルート運行開始[11]
3月30日 - 第1ルート、第4ルートが運行開始。第4ルートを関東バス武蔵野営業所が運行受託。
12月2日 - 利用者50万人を達成[12][13]
5月21日 - 利用者200万人を達成[16][17]
9月1日 - 第5ルートが運行開始[18]
10月1日 - 従来から利用客が少なかった第3ルートの東伏見循環を廃止。
8月1日 - 第3ルートの経路変更と、第4ルートを除く全てのルートでダイヤ改正[27]。同時に運賃改定が行われる[28]
4月1日 - 地元の小学生による車内アナウンス(停留所案内)を開始[29]
1月25日 - 西東京市マスコットキャラクター「いこいーな」のラッピングバスが運行開始[30]。当日は「西東京市いこいの森公園」でデビューイベントを開催しラッピングバス2台を展示[30]。関東バスのマスコットキャラクター「かんにゃん。」の着ぐるみも登場した[30]
4月1日 - 経路変更を含めた運行ルートの見直しを行う[31]。従来の第2・5ルートを整理・統合し、第4ルートの南北ルートを分離、小平市内の花小金井駅へ乗り入れを開始する[31]

現行路線[編集]

路線は第4ルートのみ関東バス武蔵野営業所、それ以外は全て西武バス滝山営業所が運行を受託している。路線の案内は一部の主要停留所のみで、停留所番号などは省略している。

第1ルート[編集]

  • 保谷駅北口 → あらやしき公園北 → 北宮ノ脇 → 北荒屋敷 → 北町四丁目住宅 → 下保谷二丁目住宅西 → ポケットパーク → 下保谷四丁目 → あらやしき公園北 → 保谷駅北口(北町循環)
  • 下保谷二丁目住宅西 → ポケットパーク → 下保谷四丁目 → あらやしき公園北 → 保谷駅北口

2002年(平成14年)3月30日に運行が開始された最初期の路線で、西武池袋線保谷駅から市北部の下保谷・北町地域を反時計回りに循環運行する「北町循環」である。運行開始当初は保谷駅北口ロータリーが未完成だったため、約300メートルほど離れた「保谷駅北入口」(現・あらやしき公園北)停留所が起点だった。2010年(平成22年)10月1日までは当路線の一部区間にスクールゾーンの設定があり、平日早朝の一部便は下保谷住宅付近で迂回運行を行っていたが、当該区間を都市計画道路(都道25号)経由としたことで迂回運行は終了した。下保谷二丁目住宅西始発の区間便は早朝のみ運行される。

第2ルート[編集]

ひばりヶ丘駅に到着した第2ルート (A8-321)
  • ひばりヶ丘駅南口 - 又六 - 消費者センター・商工会前 - 保谷郵便局 - 西東京市役所保谷庁舎 - 天神山 - 東伏見団地東 - 東伏見駅北口
  • ひばりヶ丘駅南口 → 又六 → 保谷高校 → 中町交差点北 → 西東京市役所保谷庁舎 → 保谷郵便局 → 消費者センター・商工会前 → 又六 → ひばりヶ丘駅南口(住吉・泉町循環)

2002年(平成14年)3月23日に開業したルートで、西武池袋線ひばりヶ丘駅と西武新宿線東伏見駅を結ぶ。旧・第2ルートは「キャンバス」の経路を一部引き継ぎ、東伏見駅と保谷駅を保谷庁舎経由で結ぶ路線を変更させたものである。2016年(平成28年)4月1日のダイヤ改正で旧・第2ルートと旧・第5ルート(ひばりヶ丘駅南口 - 保谷郵便局 - 保谷庁舎、ひばりヶ丘駅 → 保谷高校 → 保谷郵便局 → ひばりヶ丘駅南口)を統合させ、現行経路に変更したのが現在の第2ルートである。

第3ルート[編集]

  • 田無駅北口 - 田無庁舎前 - 田無特別支援学校 -(←小金井公園東 / 新町五丁目→)- 境橋 -(柳橋→)- 武蔵野大学 - 武蔵野北高校前 - 東伏見 - 東伏見駅南口
  • 田無駅北口 → 田無庁舎前 → 田無特別支援学校 → 田無高校 → おおぞら公園西 → 向台町三丁目 → 向台中央通り → 田無特別支援学校 → 田無庁舎前 → 田無駅北口(向台循環)

2002年(平成14年)3月23日に開業したルートで、こちらも旧・キャンバスの経路を引き継いでいる。本線は1時間に1便程度で、東伏見停留所は一般路線バスの「東伏見稲荷神社」とは離れた位置にある。田無駅 - 東伏見駅間は西武新宿線を利用するより割安のため、全区間を乗り通す乗客に加えて沿線に位置する武蔵野大学の学生や損保ジャパン事務センターへの通勤客で終日に渡って混雑している。小金井公園東および新町五丁目付近は関東バスの既存路線と重複しているが、停留所の位置は一致していない。

時間帯によっては、終点の田無駅北口の手前で西武新宿線の開かずの踏切を渡るため、長時間停車することがあるが、田無駅へ急ぐ際は1つ手前の田無庁舎前(田無駅南口徒歩3分)も利用可能である。

2010年(平成22年)10月1日の改正で、向台町のIHI跡地再開発エリア内に延伸する経路変更を行い、向台町四丁目経由から向台町三丁目経由に変更された。

第4ルート[編集]

田無駅に停車中の第4北ルート (BN-6)
  • 北ルート:田無駅北口 - 田無警察署前 -(←田無総合福祉センター)- 田無橋場西 -(←北芝久保)- 西原町四丁目 - 多摩六都科学館 - 小平合同庁舎 - 花小金井駅北口
  • 北ルート:花小金井駅北口 → 小平合同庁舎 → 多摩六都科学館 → 北芝久保 → 田無橋場西 → 田無総合福祉センター → 田無警察署前 → 田無駅北口
  • 南ルート:田無駅 - 田無庁舎前 - 南町六丁目 - 府中道 - 芝久保運動場 - 芝久保二丁目 - 西武住宅北 - 芝久保 - 小平合同庁舎 - 花小金井駅
  • 南ルート:田無駅 - 田無庁舎前 - 南町六丁目 - 府中道 - 芝久保運動場

2002年(平成14年)3月30日に「第4ルート」として運行を開始した。主に日曜・休日に運行されていた鷹04(三鷹駅北口 - 多摩六都科学館)などの関東バスの一般路線との競合を避けるために当ルートのみ関東バス武蔵野営業所へ運行が受託された。関東バスのバスロケーションシステムに対応している。

北ルートは田無駅北口から市西部の芝久保町を経由して多摩六都科学館・花小金井駅へ至る路線で、関東バスでは唯一の田無駅北口乗り入れ路線である。ただし、田無駅北側の青梅街道上にある「田無駅入口」停留所には関東バスの一般路線バスが発着する。全体的に狭隘区間のために芝久保運動場で行き違いを行うのが特徴で、路線分割前の旧・第4ルートの時代は早朝のスクールゾーン実施時間帯のみ田無駅 - 芝久保運動場間の折返し運行を行っていた。路線分割後は時間帯問わず折返し運行を行うようになり、芝久保運動場での停留所位置も変更された。

2016年(平成28年)4月1日のダイヤ改正によって旧・第4ルートが分割され、「第4北ルート」「第4南ルート」に変更された。これは田無駅付近などの踏切渋滞や芝久保運動場 - 多摩六都科学館間の利用者減少に伴い、開業時より維持されてきた第4ルートを大幅に見直し、芝久保運動場経由の南ルートと多摩六都科学館経由の北ルートに分割したものである。同時に小平市内への乗り入れが開始され、両ルートと共に小平合同庁舎を経由して西武新宿線花小金井駅北口を起終点とする経路へ変更された。その際に北ルートで新設された「北芝久保」停留所[32]は、再編の計画時点では両方向が停車予定で停留所まで設置されていたが、諸般の理由により、[要出典]田無駅方向が停車するようになっている。使用していない停留所はカバーで覆われた状態で設置されている。

廃止路線[編集]

  • キャンバス:保谷市役所 → 天神山 → 東伏見駅 → 境橋 → 新町六丁目 → 小金井公園東 → 新町五丁目 → 新町六丁目 → 境橋 → 東伏見駅 → 天神山 → 保谷市役所
1996年(平成8年)に保谷市コミュニティバスとして開業したキャンバス時代の運行経路で、はなバス第2・第3ルートに継承された。はなバスとしては東伏見駅を境として南北に分割され、保谷駅へ延伸されて駅間を結ぶ連絡路線となった。
  • 旧・第2ルート(初代):東伏見駅南口 - 東伏見団地東 - 天神山 - 文理台公園 - 保谷庁舎 - 保谷駅南口
  • 旧・第2ルート(初代):保谷庁舎 → 保谷駅南口
  • 旧・第2ルート(初代):保谷庁舎 → 文理台公園 → 天神山 → 東伏見団地東 → 東伏見駅南口
2002年(平成14年)3月23日に運行が開始した旧・第2ルートで、キャンバスの経路を継承している。保谷庁舎始発は午後1便が東伏見駅へ、夕方1便が保谷駅へ向かっていた。西武新宿線の踏切による渋滞によって東伏見駅北口発着へ変更された。
  • 旧・第2ルート(二代):東伏見駅北口 - 東伏見団地東 - 天神山 - 文理台公園 - 保谷庁舎 - 保谷駅南口
  • 旧・第2ルート(二代):保谷庁舎 → 保谷駅南口
  • 旧・第2ルート(二代):保谷庁舎 → 文理台公園 → 天神山 → 東伏見団地東 → 東伏見駅北口
2016年(平成28年)4月1日のダイヤ改正で旧・第5ルートとの路線調整が行われ、新・第2ルートへ経路変更された。
  • 第3ルート:東伏見駅南口 → 東伏見坂上 → 東伏見 → 伏見通り → 電通裏 → 東伏見四丁目 → 東伏見駅南口
東伏見駅から南部の伏見地区を経由して戻る循環路線だが本数が少なく、2010年(平成22年)10月1日に廃止された。最末期は1日2便が運行される程度でコミュニティバスとしての役割を果たせていなかった。
  • 旧・第4ルート:田無駅北口 - 田無庁舎前 - 府中道 - 芝久保一丁目 - 芝久保運動場 - 芝久保二丁目 - 西武住宅南 - 芝久保 - 東京街道・科学館南 - 多摩六都科学館
  • 旧・第4ルート:田無駅北口 - 田無庁舎前 - 府中道 - 芝久保一丁目 - 芝久保運動場(土曜・休日運休)
西武新宿線の踏切による渋滞によって2016年(平成28年)4月1日のダイヤ改正で北ルートと南ルートに分割し、多摩六都科学館発着の北ルートは花小金井駅発着へ延伸された。
  • 旧・第5ルート:ひばりヶ丘駅南口 → 谷戸北 → 消費者センター・商工会前 → 保谷高校 → 保谷庁舎 → JA東京みらい保谷支店 → 如意輪寺 → 消費者センター・商工会前 → 谷戸北 → ひばりヶ丘駅南口(住吉・泉町循環)
  • 旧・第5ルート:ひばりヶ丘駅南口 - 谷戸北 - 消費者センター・商工会前 - 如意輪寺 - JA東京みらい保谷支店 - 保谷庁舎
2004年9月1日に新設された旧・第5ルートで[18]、2016年(平成28年)4月1日のダイヤ改正で旧・第2ルートと共に新・第2ルートに統合されて廃止された。

車両[編集]

2015年から運行が始まった「いこいーな」ラッピングバス (A2-751)
日野・ポンチョはショートボディとロングボディが在籍する。側面扉の違いに注目。
一般路線車のエアロミディMEによる代走 (A155)
ムーバス専用車のポンチョによる代走 (024)

「はなバス」で用いられる専用車は水色を基調に、大人から子供まで様々な人のイラストと花があしらわれたデザインが採用されている。これは地域のネットワークを表現しており、鮮やかでかわいらしいデザインは市民からも好評である[11]2015年(平成27年)1月からは西東京市のキャラクター「いこいーな」を描いたラッピングバスも運行を開始した[30]。全ルートで小型車による運行を行っているが、道路事情や運行を受託している事業者の違いから使用する車種やサイズは異なっていた。各車両とも社番(事業者内で付番した管理番号)が屋根上に記載され、車椅子での乗車の際にはリフトやスロープ板を装備した車両で対応していた。

1996年(平成8年)の保谷市コミュニティバス「キャンバス」で使用されていた車両も「はなバス」の運行開始に合わせて塗装変更された。当初はクセニッツ・CITYなどの輸入車を含めて多種多様な車両が配置されていたが、クセニッツに故障が相次いだことや日本国内で生産される車両に集約する影響もあって、西武バスは2007年(平成19年)から、関東バスは2016年(平成28年)から車種は日野・ポンチョに統一し始め、2023年(令和5年)現在では全て統一されている。

西武バスでは第1ルートと第2・3ルートで使用する車両が異なっている。第1ルートには車幅が2メートル以内と非常に狭い区間が存在するため、開業当初はオーストリア製のクセニッツ・CITY-II[33]が3台(A2-797~799)導入された。これは全幅1.84メートルの特殊サイズで、後面にスロープ板を装備した扉があり、車椅子はここから乗降する。側扉は前方に1ヶ所あり、前乗り前降りで運行していた。このクセニッツは2007年(平成19年)6月に日野・ポンチョ(ショートサイズ)に代替されたが、ポンチョにおいても前方1ヶ所の側扉のため、乗降方式は引き続き前乗り前降りで運行される。第2・3ルートは日野・リエッセおよび日産ディーゼル・RNが使用され、リエッセは「キャンバス」時代から引き続き使用されたが日産ディーゼル・RNは「はなバス」の運行開始時に2台(A2-794・795)が新車で導入された。なお、リエッセは元キャンバスの専用車を含めて以下の4台が在籍した。

保谷市コミュニティバス「キャンバス」時代からの車両
  1. 1996年式のKC-RX4JFAAが2台在籍(A6-312・A6-397)[33]
  2. 車椅子用のリフトが無く、中扉は折戸仕様で行先表示は方向幕を装備していた。
  3. 後乗り整理券方式だったため、側面方向幕は中扉の脇に設置されていた。
  4. キャンバス時代の塗装は白を基調として後方に色が入り、その部分に大きく「Can Bus」の文字が入った(A6-312はピンク、A6-397は水色)。側面には保谷市の花・サザンカが大きく描かれ、前面には「Hoya City Can Bus」、側面には「Hoya City」と書かれていたが、「西東京市キャンバス」として運行していた時期は塗装はそのままに「Hoya」の文字を「Nishi Tokyo」に書き換えて使用していた。
  5. 上石神井営業所から滝山営業所へ転属後、「はなバス」塗装に変更されて除籍まで使用された。
新車として導入された車両
  1. KK-RX4JFEAの新車が1台導入(A2-796)された[33]
  2. 環境に配慮して室内CNG車での導入となった(フラットフィールド改造によるすぎ丸ちゅうバスと同様の仕様)。
  3. ステップリフトを装備し、行先表示はLED式による行先表示器となった。
  4. 2004年(平成16年)の第5ルート新設時に同仕様の増備車が1台登場した(A4-999)[33]。こちらはディーゼル車での導入だがその他の使用は全て同じ。

2007年(平成19年)3月にキャンバスから引き継いだリエッセの代替で日野・ポンチョ(A7-186~187[10])が導入され、リエッセは1台が除籍、1台は予備車として残ったものの翌年に除籍されている。2012年(平成24年)9月には日野・ポンチョ(A2-749〜751[10])が導入され、日産ディーゼル・RNを代替した。この車両は塗装を白一色に変更して西武観光バスへ移籍した。CNG車のリエッセ(A2-796)は、2013年(平成25年)に開業したイオンモール東久留米のシャトルバス専用車に転用(その後除籍)されたため、同年3月時点ではリエッセが1台、ポンチョが6台での運行だった。このリエッセは2016年(平成28年)2月に導入された日野・ポンチョ(A6-891)によって代替された。

第2・3ルートでは専用車の点検時に、西武バスの一般路線カラーの中型車(日産ディーゼル・スペースランナーRM、はなバス専用予備車)が代走することがあった。

関東バスでは、西武バスの第1ルート開業時と同様に当初はクセニッツ製の車両(CITY-III)が3台投入された。全幅は同様だったが車体長が少し長く、前後扉で前乗り後降り仕様だった。車椅子用のスロープは後扉に装備されていた。クセニッツを使用していた際には予備車が確保できず、その場合は一般路線用の小型ノンステップバス(エアロミディME、五日市街道営業所から借用)や、小型貸切車日野・レインボーRBもしくはリエッセ(青梅街道営業所から借用)が代走した。貸切車が使われる場合は案内・運賃収受の都合上、車掌が乗務していたほか、貸切車での代走時は車椅子の乗車が出来なかった。

2007年(平成19年)2月に三菱ふそう・エアロミディME(PA-ME17DF)が3台(BN-5~7)導入され、クセニッツCITY-IIIを代替した。通常は2台で運行して1台は予備車となる。2014年(平成26年)7月末より、ごく稀にムーバス専用車両が代走する場合がある。

2016年(平成28年)の第4ルート再編に伴い、関東バスでもポンチョ(ロングボディ)の導入を開始した。2019年(平成31年)からは新規導入された日野・ポンチョにより、エアロミディMEの置き換えが始まっている。

運賃など[編集]

現行運賃[編集]

2013年(平成25年)8月1日より実施されている現行運賃は、大人150円・小児100円均一(未就学児童は保護者1名につき2名まで無料)である。西東京市内の一般路線バスとは異なり、前乗り先払い方式である。西武バス・関東バスともに一日乗車券は利用できず、定期券は設定されていない。運賃改定と同時にPASMOSuicaなど交通系ICカードの利用可能となった[28]がバス利用特典サービスのポイントは付与されなかった[28]

75歳以上の西東京市民に限り、後期高齢者医療被保険者証の提示で「敬老回数券」(10枚1000円)が購入できる[28]。ただし、東京都シルバーパスは利用できない。

障害者手帳身体障害者手帳療育手帳精神障害者保健福祉手帳)を提示した場合は大人1名:100円となる。小児運賃の障害者割引は無い[28]身体障害者手帳の第1種、精神障害者保健福祉手帳所持者、知的障害者で東京都発行の民営バス乗車割引証所持者は介助者も1名まで100円で乗車できる[28]。また車椅子利用者で介助が必要な場合は、介助者は1名まで100円で乗車できる[28]

過去の運賃[編集]

運行開始より2013年(平成25年)7月31日までは運賃は大人・小児とも100円均一(未就学児童、障害者の介助者は無料、障害者本人は割引なし)だった[25]。しかし、赤字を埋めるための財政負担が大きいことから運賃値上げに踏み切った[28]。この改定では大人運賃のみ値上げし、小児運賃・障害者割引運賃は据え置きとなった。無料となる対象についても見直しとなり、利用者に一部負担を求める形となっている[28]。また、はなバス専用回数券(11枚1,000円)を車内で販売していたが[25]、運賃改定により廃止された(改定後も50円を追加すれば利用可能)[28]。その代替措置として「敬老回数券」が新設された[28]

運行開始時はバス共通カードは利用できず[25]、2013年7月31日の運賃改定までは交通系ICカードも利用できなかった[28]

ダイヤは各ルートや時間帯によっても異なるが、1時間に1便から4便程度となっている。年中無休で運行、平日・休日も同一ダイヤとなっている。

脚注[編集]

  1. ^ a b 田無市・保谷市合併協議会 西東京市公式サイト
  2. ^ a b 市報 西東京 2002年3月15日号 No.31”. 西東京市Web. pp. 4-5 (2002年3月15日). 2020年8月26日閲覧。
  3. ^ 平成29年版 統計にしとうきょう 付録:年表 (PDF) 西東京市公式サイト
  4. ^ 広報 西東京 2002年1月15日号 No.27”. 西東京市Web. p. 2 (2002年1月15日号). 2020年8月26日閲覧。
  5. ^ a b c d e 広報 西東京 2002年1月15日号 No.27「西東京市はいま - 6 - コミュニティバスのスタートに向けて」”. 西東京市Web. p. 2. 2020年8月26日閲覧。
  6. ^ はなバス関連情報 忘れ物についてのお問い合わせ先 西東京市公式サイト
  7. ^ a b 「国内ニュース:保谷キャンバス運行開始」『バスラマ・インターナショナルNo.35』第7巻第3号、ぽると出版、1996年4月25日、93頁、ISBN 4-938677-37-7 
  8. ^ 保谷市と田無市の略図
  9. ^ a b 土屋正忠『ムーバスの思想 武蔵野市の実践』東洋経済新報社、2004年8月19日、66頁。ISBN 4-492-22252-9 
  10. ^ a b c d バスジャパンハンドブックシリーズ S83 西武バス』BJエディターズ、2014年2月1日。ISBN 978-4-434-18845-9 
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参考文献・資料[編集]

参考文献[編集]

参考資料[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]