「バロン・タガログ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
ページ「Barong tagalog」の翻訳により作成
タグ: 曖昧さ回避ページへのリンク コンテンツ翻訳 コンテンツ翻訳バージョン2
(相違点なし)

2022年1月22日 (土) 11:58時点における版

ピナ布製のバロンタガログ。刺繍はペチェラ(シャツの前身頃)と袖のサボア(散らし柄)の両方がある例。(19世紀後半、ホノルル美術館収蔵)

バロンタガログタジク語: Barong tagalog)、通称バロン(時にはバロ baroとも)は、フィリピンの男性の正装用シャツ。刺繍が入った長袖の民族衣装である。植民地になる以前の先住文化と植民したスペイン帝国の服装の両方から要素を取り入れたスタイルを取り入れてある。伝統的に薄手の布地(タガログ語: nipis)を使い、素材はピニャまたはマニラアサである。現代ではシルクラミーポリエステルなど安価な布地も使う。バロン・タガログはフィリピン語に定着したスペイン語英語カミサ・フエラ(「アウターシャツ」)とも呼ばれていた[1]

フィリピンの習俗英語では一般礼装またはセミフォーマルと位置付けされている。生地が透けるため下にアンダーシャツを着用、必ずズボンのベルトをとめた上に裾を出すことと、足元はドレスシューズを履くことが正装の条件であった。バロト・サヤは女性の正装で2パターンあり、そのうちドレススタイルのマリア・クララはバロン・タガログと同格の礼装である[2]

語源

本来は「バロンタガログ」と呼んだが、現代のフィリピン語では通常「バロン」に短縮される。タガログ語で「服」または「衣類」を意味する単語「バロ」baro から派生した[3][4][5]言葉であり[注釈 1]、バロンは通常、文中で頭文字を大文字で記さない[6]

名称の由来については、字句通りなら「タガログ族の衣装」を指すものの、現実には民族集団の違いを超えた、いわば同じ国民共通の衣装として認識される。歴史を見るとスペイン植民地時代、フィリピンの低地地方に暮らしてキリスト教に入信した人々は、男女ともに西洋風の礼服が整い、男性用のこのシャツと女性用のバロトサヤが定着した。「自分たち先住民(西: indio)の衣装」、西洋人の衣装と区別して名付けられた[7]

成り立ち

:サラコット(en)をかぶりバロン・タガログを着た男性。:女性の衣装は礼装の「テルノ(バロト・サヤ)。

通常、この礼装用のシャツは「二ピス」と呼ばれる布地(ピナマニラ麻の織物)で縫い、薄く軽量でありながらパリッとしている。その透けるシャツの下には「カミソン」または「カミセタ」という半袖または長袖のアンダーシャツを着る[注釈 2]。礼装はベルトを着用するズボンとドレスシューズを揃え、もし帽子をかぶるときは傘形のサラコット(Salakot)またはブンタル(Buntaro[注釈 3]が適している。この取り合わせはフィリピン固有の文化とスペインの伝統双方の要素の合成である[8][9][10]

礼装で「イオタ・カガヤナ」を踊るブンタル帽(男性)とトライェ・デ・メスティツァ(en=女性)

バロン・タガログには長袖、刺繡、ボタン(胸の上半分または前あき)、ポケットを付けないという特徴と、ゆったりとしたサイズ、裾の両側にスリットがある点も共通する。スタイルにはデザインや素材によりかなり幅があり、これまで素材は着用者の社会階級と、着ていく場所のフォーマル度によって決まっていた。ニピスをふくむ上質で薄手の素材は主に上流階級が求め、着る機会は祭礼である。綿やシナマイなど、安価で透け感のない素材は社会階級が中流より低い人または日常着に用いた。素材の質と刺繡の複雑さを見ると、着用者の地位と富をおおよそ推測できるとされる[7]

刺繡をほどこすシャツの前側を「ペチェラ」と呼ぶ。スペイン語の「ペチョ=胸」が語源で、鎖骨から下の前身頃の中心をはさんだ長方形の部分である。さらにシャツ全体に縫い取りをする「サボグ」[注釈 4]もある。刺繍には糸を抜いて刺繍で補強するドロンワーク(カラド)ベヴェネツィアンレースという手法が見られる。また生地の裏側にわたす糸の密度で表面に模様が透けるシャドウ刺繍を組み合わせたり、「スクスク」と呼び、生地を細かく折って糸で縫いとめたり、自由なデザインをステッチで表現するなど、装飾も認められている[10]

男性用の衣装を女性用にアレンジしたものもあり、特権意識(プレタポルテ)がない象徴つまりオートクチュール感覚を表和すために場合がある。あるいはまた、説得力のある権威を目に見える形で示すパワードレッシング英語版のひとつとして、たとえば女性政治家なら大統領時代のコラソン・アキノが活用した[11]。しかし、正式には男性礼装に対する女性礼装はバロトサヤ、さらに上位のトライェ・デメスティーサであり、どちらも起源は植民される前にさかのぼる[12][13]

歴史

植民前

タガログ・マギヌー(貴族)がバロを着用した姿。(1590年前後、ボクサーコーデックス)

タガログ語の「バロ」は「シャツ」または「衣類」を意味し、地方によりバルやバユと呼ぶ。植民化以前のフィリピン(900年1565年頃(英語)でほとんどの民族グループで男女の別なく着用した。フィットした長袖の襟なしのシンプルなシャツやジャケットをバロと呼び、地域で産するアバカ(マニラアサ)から繊維をとって織った布の風合いは、粗いリネンに似ている。その他に輸入生地で仕立てることもあり、シルク綿カポック繊維の布で縫った 。スペイン人は「カンガ」または「チャメレッタ」と呼んだ。タガログの男性はこのシャツと、一般にたっぷりと装飾したサラウアルあるいはサラワル(タガログ語: salaual・salawal)という長方形の布を腰に巻き膝丈に調整した。布端を後ろから足の間を通して前で止める着装は、インドのドウティに似て、丈は短めである。女性はタピス(Tapis(英語)という巻きスカートを身につけた[3][4]

バロ(シャツ)の丈は通常は腰の少し下までである。ビサヤ諸島の習俗ではバロの袖は短めで、やはり腰布を巻いた。また男性用のローブともマントとも言える色鮮やかなものがあり(西: marlota・baquero)、丈は膝下まで達する。時には腰にベルトを巻いた。タガログ族の間で貴族(maginoo(英語))または戦士のカースト(maharlika(英語))のみ衣装に赤く染めた布と金の縁取りを採用して良いと認められた[7][14]。古来のバロのデザインには交易や近隣地域との接触が影響を与え、中でも南アジアの長袖で襟なしのシャツクルタ英語版(女性用はクルティ)の特徴が反映された[15]

スペイン植民地時代

伝統的なタガログ族(en)のバロン・タガログの上下で、労働者階級の庶民が着た。雨合羽とサラコット帽を合わせた。(スペイン植民地時代の1855年頃)

スペイン植民地時代(1565年-1898年)(英語)のフィリピン服飾史の初期は記録が多くなく、植民地時代以前のバロから現代まで、バロンタガログの正確な進化を示すことはできない。それでも挿絵や文面で残された説明に基づくと、バロはまだ庶民ばかりが身につけており、植民地時代前のバロとほとんど変わっていなかった。素材は透明感のないリネンに似たマニラアサの織地を使ったり、まだ襟もなくボタンや刺繡などはない。仕立て服(クチュリエ)のホセ「ピトイ」モレノによると、この過渡期のバロ(シャツ)は、のちの世紀の「カミサ・ド・チノ」(中国風カミサ)を経てバロン・タガログへと発展したという仮説を立てた。18世紀に「プリンキパリア」と呼ばれた上流階級は、先住民とメスティーソで構成され常にヨーロッパ風の服を着ていたことがわかった[7][10]

ひだ襟付きのバロン・マハバ。フスティニャーノ・アスンシオン(en)著『エル・メスティソ』掲載(1841年頃)

最初に現れたバロンは、1820年代から目立つようになった「バロン・マハバ」(「(丈の)長いバロ」)で、先住民とメスティーソのエリートの間で支持を得た。膝の少し上まで届き、現代のバロンタガログよりもはるかに丈が長かった。また通常、青や赤、緑など大胆な色で縞模様を織り出してあり、すでに薄手のニピス素材に刺繡、長袖と両側にスリットのあるゆったりしたシルエットなど、現代のバロンタガログの特徴を示す。ただしバロンマハバの初期にボタンを使った例はほとんど見られず、高い襟や、幅の細いクラバット(Cravat)のついたエリザベス朝の襞襟(ひだえり)を備えた。合わせるズボンは縞柄や市松模様、格子縞など織り柄入りのカラフルなストレートカットで、輸入生地のマドラス木綿(カンバヤ)、ラヤディロ(Rayadillo)、キャラコで縫った。シルクハットに足元はスリッポンシューズで、刺繍入りのベルベットあるいは革靴(コルチョ)であったバロン・マハバはゆったりと着用し、シャツのウエスト周りに開口部が3つあり、シルクの紐でシャツの上からまたは下を縛ることもあった。薄手の生地で縫ったバロン・マハバには必ずアンダーシャツを着用し、一般の人々はそれだけを身につけて暮らしていた[7][16]


they were sometimes fastened by silk strings through three openings around the waist, either over or under the shirt. The sheer fabric used by barong mahaba also necessitated the wearing of an undershirt, known as camisón or camiseta, which was also worn on its own by commoners

1840年代までに、バロンマハバはほとんど時代遅れになりました。この時期に、それは現代の「古典的な」バロンタガログに進化し、薄手の生地や他のバロンの特徴を維持しながら、はるかに短く、派手な折り襟が少なくなりました。山高帽sombrero hongo )やネイティブのバンタルハットなどの小さな帽子も着用していました。彼らは19世紀の終わりまでに徐々に現代のズボンの寸法を想定していましたが、最初はより緩いズボンとペアになりました。バロンタガログの色も、以前の数十年のカラフルなバロンマハバアンサンブルとは対照的に、より落ち着いた単色になりました。 19世紀半ば以降のバロン・タガログ族のアンサンブルは、通常、黒と白、青と白、またはすべて白の組み合わせでした。庶民が着用するバロも、通常は白いシルクのズボンと組み合わせて、茶色や青などの暗い色を好みました。 [7]

19世紀後半の濃い色のバロン・タガログ姿のフィリピン人(スペイン国立図書館所蔵、1870年頃)

このタイプのバロンタガログは、通常はジャケット(チャケタ)の下に身に着けていた公務員やビジネスマンの間で一般的でした。薄手のバロは、フィエスタ、ダンスなどのレジャー活動、または教会のために、先住民やメスティーソによっても着用されていました。しかし、西洋スタイルのスーツは急成長の学生の間で多くの人気となったilustrado教育を受けたクラス。 [7]

この時期のバロンタガログの注目すべき変種は、バロセラーダ(文字通り「閉じたバロ」)でした。その名前は、その閉じた首の襟に由来しています。それは不透明な素材(白または暗い色にすることができます)から作られ、白いズボンとペアになりました。このスタイルのバロは、1900年代初頭まで人気がありました。 [7]

よく繰り返されるが誤った信念は、スペインの植民者が先住民にバロンタガログを着させ、支配階級と区別するためにシャツの尾をぶら下げたというものです。その半透明の生地は、着用者が下に武器を隠していないことを示していると言われています。 16世紀から19世紀後半までのいつでもこれの歴史的な記録はありません。薄手の素材の使用を義務付けたり、メンズシャツの押し込みを禁止したりする規制はありません。植民地時代以前でも、バロは常にアンタックで着用されていました。そして19世紀まで、それらは半透明のニピス生地から作られていませんでした。 [4]

さまざまな階級が着用するスタイルとテキスタイルはスペイン植民地時代によって異なりましたが、これは法律ではなく、ファッション、富、階級の区別によるものでした。植民地時代のほとんどの庶民は、安価で耐久性のある不透明な織物で作られたバロを着ていましたが、高価なニピスの生地は主に上流階級が着用していました。ネイティブ(precolonial貴族の子孫インディオ)とmestizos日本語Españolデ両方mestizossangleyデmestizosは)も貴族アッパークラス(の一部であったprincipalia )、それがヨーロッパに限定されませんでした。 [4]

インディオmestizosは、クラスにかかわらず、彼らは余裕ができるかに応じて、バロンタガログ語とヨーロッパスタイルの服を着ていたし、一度にファッショナブルなそのうち。バロンタガログ語の着用混合されていないヨーロッパ系のほとんどの人(以降、しかし人種的な意味合いを持っていたinsularescriollos 、およびpeninsularesが)自分のドレスのスタイルとほとんど無視ネイティブファッションを保持しました。 [7] [4]

バロ・セラーダで正装したエミリオ・アギナルドと息子(1906年)

バロンタガログの人気は、アメリカ植民地時代にさらに衰退しました。ほとんどのフォーマルな機能では、スーツ(フィリピンではアメリカーナとして知られています)とタキシードに置き換えられました。対照的に、女性が着用天然に持続terno (の近代化及び統一バージョンbaro'tのさや、その後に関連していた)、 suffragistsを。しかし、バロセラーダは非公式のレジャーウェアとして人気がありました。 [10] [4] [17]

この時期の注目すべきバロン・タガログは、マニュエル・L・ケソン大統領が着用した「連邦バロン・タガログ」であり、フィリピン米国の連邦の旗の刺繡が特徴でした。しかし、これ以外は、ケソンは主にアメリカンスタイルのフォーマルウェアを着ており、バロンタガログを宣伝していませんでした。 [10] [4] [17]

近代

ラモン・マグサイサイと(のちの)後継 者カルロス・P・ガルシア副大統領。1953年12月30日の就任式。

フィリピン独立の1946年7月4日ののちも、マニュエル・ロハスエルピディオ・キリノ両大統領が着用した洋装のスーツとネクタイ(アメリカーナ)は引き続き、正装の主流であった[10]。しかし1953年に「大衆の代表」としてラモン・マグサイサイが大統領選挙に勝ち、わざわざバロン・タガログを着用して就任式に臨んだ。マスコミは独立国フィリピンとその植民地時代の過去との「断絶」の象徴として、西洋風のスーツ姿で退任する前任者キリノと、バロン・タガログ姿で就任するマグサイサイを対比した。その後も、大統領は公務でも私人としても国事にはバロンタガログ姿を貫いた。現代のフィリピンの公人でこれほどバロンタガログで通した人物は前例がなかった。やがて代々のフィリピン大統領英語が踏襲し、1960年代のディオスダド・マカパガルの任期には正装としての地位を取り戻した。わけてもフェルディナンド・マルコスはほぼどの場面でもバロンタガログを着ており、1975年にバロンタガログとバロトサヤを公式の民族衣装にすると法制化した。合わせて6月5日から11日を「バロンタガログ週間」として宣言した[10][3][4][17]


マルコスの命令を受けて、バロンタガログは公的機関と民間企業の従業員の制服および学校の制服として広く義務付けられ、1970年代から1980年代には、フィリピン航空アヤラ・コーポレーション、アライド銀行などの企業が制服に採用した。同期間にさまざまな準正装や略装のバロンタガログが開発され、半袖(ポロバロン)や麻布のバロンがある[10]。1998年には最高裁判所判事ヒラリオ・ダビデ・ジュニア(Hilario_Davide_Jr.)の命令により当時のフィリピン司法府(Judiciary of the Philippines)の全従業員はバロン・タガログの着用を義務化された[18]

バロンタガログは正装と見なされるが、戦後まもないフィリピンではまだ結婚式の花婿の服装として人気はなかった。ほとんどの結婚式に花嫁は伝統衣装テルノで、新郎は洋装で臨んだ。ところが1990年代に状況は逆転し、ほとんどの花婿はバロンタガログ、花嫁は洋風のウェディングドレスを好むようになった[10]

さまざまな素材

バロンタガログの生地と刺繡(拡大)
結婚式用の典型的なバロンタガログ(オーガンジー)

最高級のバロンタガログは、国産のさまざまな薄手の生地で作る。最も一般的な伝統の素材は以下のとおり。生地は、2種の異素材(綿とジュシまたはシルクピニャなど)の組み合わせもできる。さらに略装のバロンは綿、リネン、ポリエステルまたはラミーなど透け感のない一般的な織地も利用できる[19][20]

  • ピニャ - 伝統的な薄手の生地。パイナップルの葉から糸をとり、手織りする。シルクのような上質な光沢があり、色味は自然な黄っぽさが特徴。生地製造の難しさ、品質および希少性により、バロンタガログの最も高価で非常に貴重な素材。繊維の太さが不均一なため、生地に縞模様があるように見える[21][22]
  • ピニャセダ - ピニャとシルク(セダ)の繊維を織り交ぜた伝統の生地。100%ピニャ繊維で織ったものより安価で、他の素材より高価。ピナ繊維の特徴が横糸に、絹繊維を縦糸に使い、ピニャ織よりも色味は明るい[21] [22] [23]
  • ジュシ - マニラアサの糸を手織りした伝統の薄手の生地。上品な質感と自然なオフホワイトの色が特徴。古典的な素材の一つでピーニャより安価。経年変化に弱く糸が切れやすくなる。一般に絹、綿または他の繊維を織り交ぜる。バナナ繊維が減量というのは誤認である[19]。1960年代以降「ジュシ」とラベルに記してある製品のほとんどはジュシリン(jusilyn)またはオーガンジーである。これらは伝統の生地ではないものの、主に中国製の安価な機械織りの代替品[24]
  • ピナjusi -ピナのSEDAに似て、それはjusi繊維とピナ繊維を織り交ぜ。それは純粋なピナよりも安価であるが、純粋なjusiよりも高価です。 [25]
  • Pinukpok-アバカ繊維から作られた伝統的な粗く不透明な生地。これは主にBicolRegionの製品です[26]
  • Sinamay-ゆるく織られたアバカ繊維から作られた伝統的な不透明な生地。他のアバカ素材よりも安く、ざらざらした食感です。
  • Jusilyn-シルクまたは綿とポリエステルで作られた現代の機械的に織られた生地で、特にjusi生地に似せて作られています。ジュシよりも安価で不透明です。ピーニャとは異なり、均一な質感とオフホワイトの色の繊維があり、ピーニャジュシの特徴的な縞模様がありません。化学的に塗装して伝統的な生地に近い外観を与えることもあり、偽造ピニャまたはピニャセダ生地として販売されることもあります。 [19] [27] [23]
  • オーガンザ-中国のシルクまたはポリエステルで作られたモダンな機械織りの生地。光沢が強すぎるとは言えますが、磨き上げられた均一な質感です。フォーマルなバロンタガログに使用される最も安価な素材です。 [19] [24]

バリエーション

バロンと一般に呼ばれるカジュアルなスタイルに対して、正装版はバロン・タガログをほぼ100%あてる。バリエーションには次のものがある。

1979年のクラーク空軍基地交代式に列席したフェルディナンド・マルコスピエール・カルダン製バロン・タガログ)とイメルダ・マルコステルノ
  • バロンマハバ(lit. "long baro ")は、19世紀初頭に人気のあったバロンタガログの一種です。それらは現代のバロンタガログよりもはるかに長く、膝のすぐ上の長さに達しました。それらは薄手の素材(通常は縦縞)でできており、通常は縞模様のストレートカットパンツとペアになっています。通常はゆったりと着用していましたが、腰を締めることもあります。彼らはエリザベス朝スタイルのラフを含むさまざまな襟のスタイルを特色にしました。 [7]
  • また、アメリカーナcerradaとして知られているBAROのcerradaは、1890年代初期のアメリカの植民地時代に流行したバロンタガログ語の一種です。名前は「クローズドシャツ」を意味し、そのクローズドネックカラーを指します。それらは不透明な素材(白または暗い色の場合があります)でできており、通常は白いズボンと一緒に着用していました。アメリカの時代には、アメリカンスタイルのスーツとは対照的に、フォーマルではない日常着として着用されていました。
  • Pinukpokは、19世紀半ばからのバロンタガログの長いコートのようなバージョンでした。その名前(文字通り「殴られた」)は、使用された生地、 pinukpokに由来します。これは、粗い不透明な織物に織り込まれる前に、手作業でストランドに叩かれたアバカ繊維でした。それらは、 tenientes del barrio (村の指導者)やgobernadorcillos (市知事)のような政府関係者がオーバーコートとして着用していました。 [16]今日、この名前は、同じアバカ素材から作られた従来のカットを備えた正式な不透明なバロンタガログにも適用されています。 [26]

現代

  • ピエール・カルダンのバロン・タガログは、フェルディナンド・マルコスが愛用した独特のタイプの現代的礼服。同社ファッションデザイナー、ジャン=ポール・ゴルチェが作り、カットは体にフィット、芯地を貼った特大のポイントカラー(「エルヴィス・プレスリー風」)とカフス、幅広の袖など 1970年代のファッションを反映した。合わせるスラックスはすそ幅が広い[10][21][8][28]
  • ポロ・バロンとは半袖のバロン・タガログのこと。素材は麻、ラミーまたは木綿。いちばんカジュアルで、オフィス用のスーツとネクタイに相当する。
  • バージ素材はョンを指し、多の場合、の生地。ています。これはバロ形ォーマルでながバージョンであり、男性のオィいる。して頻繁に使用されます(西た扱い。ネクタイに似ています)。
  • グソット・マヤマン Gusót-mayaman とリネン・バロンは使う生地がリネンまたはリネンに近いもの(ラミーなど)。名前を大まかに翻訳すると「金持ちのしわくしゃ(シャツ)」。生地の特性から、着ているうちに紙のようにしわが寄る。みっともないのに公の場で着用する人々の社会的地位を揶揄する意味もあった。バロン・タガロよりもフォーマルではないと考えられており、日常のオフィスウェア用にも適用される[29][30]
  • の)る[シャツ]しわになりやすい麻系の素材は着用しているあいだに紙のようにし
  • シャツジャック・バロンは、通常、ポリエステル混紡の綿、綿麻混紡そして典型的なグソットマヤマン用生地からシャツジャック式に裁断する。選挙活動や選挙区視察に着て出かける政治家に人気があり、外観はカジュアルからドレスアップまで、いろいろな印象を与える。ただし、このタイプのシャツは結婚式など非常にフォーマルな機会には不向きと見なされる。

グアヤベラとの関係

ラテンアメリカのコミュニティで19世紀後半から広まった「グアヤベラ」Guayabera というシャツは、バロン・タガログが基本とも考えられる。南米航路マニラ・ガレオンを介して最初にメキシコに導入された可能性があり、ピーニャやアバカがない場合は地元の生地を使って適応してきた。ユカタン州の伝統衣装はグアヤベラの変種で、今も現地の言葉では「フィリピンのシャツ」と呼ばれる[31]

ギャラリー

脚注

出典

  1. ^ Garnett, Lucy M.J. (1898). “The Philippine Islanders”. The Fortnightly Review (Leonard Scott Publication Company) LXIV (July to December): 83–84. オリジナルの2022-01-20時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220120092559/https://books.google.co.jp/books?id=lGtPAQAAMAAJ&pg=PA84&redir_esc=y%23v%3Donepage&q=barong&f=false#v=onepage&q=barong&f=false. 
  2. ^ Philippine Costumes: Costume at the Fin de Siecle - Maria Clara”. www.koleksyon.com (2011年7月13日). 2011年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月20日閲覧。 “(前略)マリア・クララは昔からあるバロトサヤに基づく。4つの要素で構成され、襟なしのウェストまでのブラウス(カミサ=袖は釣鐘型)、床までのギャザースカート(サヤ)、張りのある生地で仕立てたうなじを隠す上着(パヌエロ)、腰回りはぴったりした足首までのオーバースカート(タピス)である。当時は慎み深さに価値が置かれたため、襟ぐりの大きなカミサにパヌエロを重ねた。生地の厚みはなるべく薄いほうが貴ばれたため、ピニャとフシ(piņa、jusi)で作った。 同様に、タピスを重ね、透ける素材のスカートをおおって下半身が見えないようにしており、素材も透けないモスリンマドラス木綿を用いた。(後略)”
  3. ^ a b c Barong Tagalog”. SEAsite. 2020年2月20日閲覧。 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "sea"が異なる内容で複数回定義されています
  4. ^ a b c d e f g h Beltran, Sam (2019年6月27日). “The Weird and Wonderful History of the Barong Tagalog”. Esquire. https://www.esquiremag.ph/style/fashion/barong-tagalog-history-a1942-20190627-lfrm2 2020年2月20日閲覧。  引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "Beltran"が異なる内容で複数回定義されています
  5. ^ Quismundo, Tarra (2015年6月26日). “LIST: 40 Filipino-coined words added in Oxford dictionary”. Philippine Daily Inquirer. https://globalnation.inquirer.net/125278/list-40-filipino-coined-words-added-in-oxford-dictionary 2020年2月20日閲覧。 
  6. ^ barong tagalog”. Merriam-Webster. 2020年2月20日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j (Thesis). {{cite thesis}}: |title=は必須です。 (説明) 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "coo"が異なる内容で複数回定義されています
  8. ^ a b Ong, Vincent (2018年1月23日). “What You Need To Know Before Buying A Barong”. Esquire. https://www.esquiremag.ph/style/fashion/what-you-need-to-know-before-buying-a-barong-a2011-20180123 2020年2月20日閲覧。 
  9. ^ Skerston, Sabrina; McKinney, Ellen C. (2014). “Barong tagalog”. In Lynch, Annette; Strauss, Mitchell D.. Ethnic Dress in the United States: A Cultural Encyclopedia. Rowman & Littlefield. pp. 19–21. ISBN 9780759121508. https://books.google.com/books?id=tiEvBQAAQBAJ 
  10. ^ a b c d e f g h i j Roces, Mina (2008). “Gender, Nation, and the Politics of Dress in Twentieth-Century Philippines”. In Roces, Mina; Edwards, Louise. The Politics of Dress in Asia and the Americas. Sussex Academic Press. pp. 19-42. https://www.academia.edu/220831  引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "Roces"が異なる内容で複数回定義されています
  11. ^ Radio Television Malacañang. “Corazon C. Aquino, First State of the Nation Address, July 27, 1987” (Video). RTVM. 2013年9月6日閲覧。
  12. ^ “A Guide to the Philippines' National Costume”. Philippine Primer. (2013年5月13日). https://primer.com.ph/tips-guides/2017/05/13/expats-guide-to-the-philippines-national-costume/ 2020年2月19日閲覧。 
  13. ^ Baro't Saya”. Philippine Folklife Museum Foundation. 2020年2月19日閲覧。
  14. ^ “The Rich and Interesting History of the Barong Tagalog(バロンタガログの興味深く豊かな歴史)”. Vinta Gallery. (2019年9月25日). オリジナルの2021年5月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210509230539/https://vintagallery.com/blogs/news/the-rich-and-interesting-history-of-the-barong-tagalog 2020年2月20日閲覧。 
  15. ^ Saran, Shyam (2018). Cultural and Civilisational Links between India and Southeast Asia: Historical and Contemporary Dimensions. Springer. p. 102. ISBN 9789811073175. https://books.google.com/books?id=Ye1lDwAAQBAJ 
  16. ^ a b History of the Barong Tagalog”. MyBarong. 2020年2月21日閲覧。
  17. ^ a b c History of Barong Tagalog”. BarongsRus. 2020年2月20日閲覧。
  18. ^ Robles. “Administrative Circular No.10-99”. ChanRobles Virtual Law Library. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  19. ^ a b c d Get to Know Barong Tagalog Fabrics – Organza, Jusi, Pina, and More”. Barong Warehouse. 2020年2月19日閲覧。
  20. ^ Fabric Selection”. Heritage Barong. 2020年2月19日閲覧。
  21. ^ a b c Olives, Monchet (2019年9月15日). “Your burning questions on wearing barongs answered—from when to wear it to what goes best with it”. ANCX. https://news.abs-cbn.com/ancx/style/necessary-style/09/15/19/your-burning-questions-on-wearing-barongs-answeredfrom-when-to-wear-it-to-what-goes-best-with-it 2020年2月20日閲覧。 
  22. ^ a b Fabric Selection”. Heritage Barong. 2020年2月29日閲覧。
  23. ^ a b Sarmiento. “AGHAM Rep: Beware of fake pina barong”. MindaNews. 2020年2月29日閲覧。
  24. ^ a b What are the differences among common Barong fabrics: polyester organza jusi fabric piña fabric?”. MyBarong. 2020年2月29日閲覧。
  25. ^ Karthik, T.; Rathinamoorthy, R.; Ganesan, P. (2015). “Sustainable Luxury Natural Fibers-Production, Properties and Prospects”. In Gardetti, Miguel Angel; Muthu, Subramanian Senthilkannan. Handbook of Sustainable Luxury Textiles and Fashion. 1. Springer. pp. 89–91. ISBN 9789812876331. https://books.google.com/books?id=SyZcCgAAQBAJ 
  26. ^ a b Barcia, Rhaydz B. (2019年10月5日). “Albay designer uses 'pinukpok' to promote Bicol culture”. Rappler. https://www.rappler.com/move-ph/241768-albay-designer-pinukpok-creations-promote-bicol-culture 2020年2月21日閲覧。 
  27. ^ Cruz, Eric V. (1992). The Barong Tagalog: Its Development and Identity as the Filipino Men's National Costume. CHE Monographs. University of the Philippines. p. 11 
  28. ^ Blain, Marc (2015年11月19日). “There are hundreds of years of history in the "silly shirts" world leaders are wearing at the APEC summit”. Quartz. https://qz.com/552727/there-are-hundreds-of-years-of-history-in-the-silly-shirts-world-leaders-are-wearing-at-the-apec-summit/ 2020年2月26日閲覧。 
  29. ^ Power Dressing and the Office Barong: Everything You Need to Know”. The Manila Survival Guide. 2020年2月19日閲覧。
  30. ^ Tan, Michael L. (2017年10月25日). “Weaving a nation”. Philippine Daily Inquirer. https://opinion.inquirer.net/108176/weaving-a-nation 2020年2月19日閲覧。 
  31. ^ Herrera-Sobek, Maria (2012-07-16). Celebrating Latino Folklore: An Encyclopedia of Cultural Traditions [3 volumes]: An Encyclopedia of Cultural Traditions. ISBN 9780313343407. https://books.google.com/books?id=lY-tY62V1FIC&q=guayabera%20filipina&pg=PA62 

 

関連項目

Template:Symbols of the Philippines


引用エラー: 「注釈」という名前のグループの <ref> タグがありますが、対応する <references group="注釈"/> タグが見つかりません