選り抜き記事
神戸外国人居留地は、安政五カ国条約に基づき、1868年1月1日(慶応3年12月7日)から1899年(明治32年)7月16日までの間、兵庫津の約3.5km東に位置する神戸村(後の兵庫県神戸市中央区)に設けられた外国人居留地である。神戸居留地ともいう。
東を(旧)生田川(後のフラワーロード)、西を鯉川(後の鯉川筋)、南を海、北を西国街道(後の花時計線)に囲まれた広さ約7万8000坪の区域が合理的な都市計画に基づいて開発され、「東洋における居留地としてもっともよく設計されている」と評された。一定の行政権・財政権などの治外法権が認められ、居留外国人を中心に組織された自治機構によって運営された。運営は円滑に行われ、日本側と外国側との関係も概ね良好であったと評価されている。貿易の拠点、西洋文化の入り口として栄え、周辺地域に経済的・文化的影響を与えた。……
- 脊髄くも膜下麻酔とは、くも膜下腔に局所麻酔薬を注入し、脊髄の前根、後根をブロックする区域麻酔の一種である。脊椎麻酔または腰椎麻酔とも呼ばれる。他にくも膜下ブロック (Sub-arachnoid Block: SAB)と呼ばれることもある……
- 我国将来の建築様式を如何にすべきやは、1910年(明治43年)、日本の「建築学会」(現:日本建築学会)が2度にわたり主催した討論会である。その議題から「様式論争」とも呼ばれる。建築学会が発足して以来はじめての討論会であるこの論争は……
- 鷗外・ナウマン論争とは、森鷗外とハインリッヒ・エドムント・ナウマンの間で起きた論争。1886年(明治19年)、ドイツ帝国のドレスデンでのナウマンの講演に、晩餐会の場で鷗外が反論したことに端を発し、その後、ミュンヘンの新聞において両者が意見を戦わせた……