コンテンツにスキップ

鈴木裕紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鈴木裕紀
Yukinori Suzuki
岩手ビッグブルズ HC
役職 ヘッドコーチ
基本情報
愛称 ユキ
ミスターデビルズ[1]
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1977-05-27) 1977年5月27日(47歳)
出身地 神奈川県横浜市戸塚区
身長(現役時) 181cm (5 ft 11 in)
体重(現役時) 70kg (154 lb)
キャリア情報
高校 湘南工科大附属高校
大学 日本体育大学
ドラフト 2005年 10位
プロ選手期間 2001–2011
ポジション PG/SG
指導者期間 2011–現在
経歴
選手時代:
2001-2005新潟アルビレックスBB
2005-2011大分ヒートデビルズ
コーチ時代:
2011-2015大分ヒートデビルズ
2015-2017金沢武士団
2017-2020島根スサノオマジック
2022-岩手ビッグブルズ
受賞歴
  • 最高3ポイントシュート成功率(2005-06,2007-08
  • ベストファイブ(2005-06)

鈴木 裕紀(すずき ゆきのり、1977年昭和52年〉5月27日-)は、日本の元プロバスケットボール選手で、現在は指導者。神奈川県横浜市戸塚区出身。現役時代のポジションはポイントガード/シューティングガードB3リーグ岩手ビッグブルズにヘッドコーチとして所属している。

2001年に新潟アルビレックスに入団しプロ選手となる。2005年にはbjリーグ大分ヒートデビルズに移籍し、最高3ポイントシュート成功率を2度獲得、ベストファイブにも1度選ばれた。

2011年に現役を引退すると同時に大分のヘッドコーチに就任しbjリーグ 2014-15シーズンまで指揮を執った後、bjリーグ 2015-16シーズンより金沢武士団、2017-18シーズンから2020年10月まで島根スサノオマジック、2022-23シーズンより岩手ビッグブルズのヘッドコーチを歴任している。

来歴

[編集]

5歳の時にバスケットボールを始め、名瀬中学校を卒業後、湘南工科大附属高校に進学する。高校卒業後は日本体育大学に入学し、ユニバーシアード日本代表にも選ばれた。

プロ入り後

[編集]

大学卒業後、当時JBL1部リーグだった大和証券に内定していたが、大和証券ホットブリザーズの休部に伴うチーム譲渡により新潟アルビレックス(後の新潟アルビレックスBB)に入団する。新潟では貴重な控え選手として存在感を見せていたが、同じポジションに庄司和広らがいたため、レギュラー選手としての出場機会は多くなかった。

2005年、新潟が中心となって発足したbjリーグのドラフト会議においては、新潟のプロテクト選手枠から漏れたが、大分ヒートデビルズから2巡目(全体第10位)指名を受けて入団するとともに初代キャプテンに就任した。

迎えたbjリーグ初年度・2005-2006シーズンは前半戦に低迷していた大分だったが、桶谷大ヘッドコーチ代行(後にヘッドコーチ昇格)が指揮を執ることになった後半戦にプレイオフ進出争いを演じた。最後は息切れして5位に終わりプレーオフ進出はならなかったが、鈴木もリーグ日本人選手最多の1227分に出場するとともに3ポイントシュート成功率1位を記録し、日本人選手で唯一のベスト5に選出された。

2006-07シーズン、チームは3位に躍進。

2007-08シーズンにも2度目の3ポイント王を獲得している。チーム創設初年度から長く在籍し、「ミスターデビルズ」とも呼ばれていた。

引退後

[編集]

2011年7月に現役を引退し、大分ヒートデビルズのヘッドコーチに就任し、bjリーグ 2014-15シーズンまで4シーズン指揮を執った後、退任。

bjリーグ 2015-16シーズン、新規に参入する金沢武士団の初代ヘッドコーチに就任し、創設1シーズン目からプレイオフ進出に導いた。2016-17シーズンのBリーグ発足後、金沢はその下部となるB3リーグ所属となるが、同シーズン29勝3敗の成績でチームをB2昇格に導いた後に退任した。

金沢を退団した2017年オフ、B1昇格を果たした島根スサノオマジックのヘッドコーチに就任した[2]。就任1シーズン目の2017-18シーズンは苦戦し、B2降格したが、翌2018-19シーズンは1シーズンでB1復帰を果たした。

2019-20シーズンも引き続き島根のHCを務めていたが、2020年1月21日、鈴木がチームスタッフおよび選手に対してパワハラ行為を行っていたとして、Bリーグより2ヶ月間の公式試合に関わる職務全部停止の制裁処分を受けた[3]。鈴木が深い反省の意を示したことにより、処分明けの3月20日にゼネラルマネジャー付き特任コーチとしてクラブに復帰した。フロント職であり、試合でのベンチ入りや選手への指導は行わない[4]

2020-21シーズンより島根のヘッドコーチに復職した[5]。開幕から10戦で5勝をあげていたが、本人の意向により10月31日付で退任した[6]

2022年2月7日、岩手ビッグブルズのチームアナリストとして現場復帰[7]。島根時代のパワハラに関しても反省のコメントをしている。2022-23シーズンから岩手のヘッドコーチとして指揮を執る[8]

個人成績

[編集]
略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック   TO  平均ターンオーバー  PPG  平均得点
 太字  キャリアハイ  *  リーグリーダー  †  優勝シーズン
シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
2005-06 大分 39 31.46 .427 .437 .820 2.41 4.10 0.51 0.00 2.03 8.00
2006-07 大分 34 33.03 .400 .337 .780 1.74 3.53 0.62 0.00 2.03 9.41
2007-08 大分 35 30.80 .425 .504 .776 1.69 3.20 0.49 0.00 1.94 9.69
2008-09 大分 48 38 28.31 .401 .369 .705 2.33 3.52 0.65 0.02 1.83 5.90
2009-10 大分 52 23.06 .431 .344 .778 1.65 1.88 0.52 0.00 1.17 5.69
2010-11 大分 48 19 13.77 .360 .268 .778 0.79 0.81 0.15 0.00 0.54 2.46
Career 256

脚注

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]