「香月良仁」の版間の差分
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{{By|2015年}}には、[[香月一也]][[外野手]]の入団を機に、スコアボードの表記を「香月良」に変更。一軍公式戦では、ビハインドの場面を中心に、入団後最多の40試合に登板した。シーズン通算の防御率は2.92で、1勝1敗2ホールドをマーク。[[10月5日]]の対[[北海道日本ハムファイターズ]]戦([[千葉マリンスタジアム|QVCマリンフィールド]])では、一軍での初セーブも記録した。 |
{{By|2015年}}には、[[香月一也]][[外野手]]の入団を機に、スコアボードの表記を「香月良」に変更。一軍公式戦では、ビハインドの場面を中心に、入団後最多の40試合に登板した。シーズン通算の防御率は2.92で、1勝1敗2ホールドをマーク。[[10月5日]]の対[[北海道日本ハムファイターズ]]戦([[千葉マリンスタジアム|QVCマリンフィールド]])では、一軍での初セーブも記録した。 |
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{{by|2016年}}には、一軍公式戦11試合の登板で1ホールドを記録したが、[[10月1日]]に球団から[[戦力外通告]]を受けた<ref>{{Cite web |date=2016-10-01 |url=http://www.marines.co.jp/news/detail/18214.html |title=来季契約について |publisher=千葉ロッテマリーンズ公式サイト |accessdate=2016-10-01}}</ref>。[[12月2日]]付で、[[NPB]]から[[自由契約選手]]として公示<ref>{{Cite web |date=2016-12-02 |url=http://npb.jp/announcement/2016/pn_released.html |title=自由契約選手|2016年度公示 |publisher=NPB.jp 日本野球機構 |accessdate=2016-12-03}}</ref>。この年には、兄の良太も、読売ジャイアンツから戦力外通告を受けている。 |
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===アマチュア球界への復帰=== |
===アマチュア球界への復帰=== |
2016年12月21日 (水) 19:58時点における版
鮮ど市場ゴールデンラークス | |
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2011年 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県久留米市 |
生年月日 | 1984年1月22日(40歳) |
身長 体重 |
180 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2008年 ドラフト6位 |
初出場 | 2010年4月29日 |
年俸 | 2,090万円(2016年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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香月 良仁(かつき りょうじ、1984年1月22日 - )は、福岡県久留米市出身の元プロ野球選手(投手)で、2017年から社会人野球・鮮ど市場ゴールデンラークスのコーチ兼投手[1]。2016年年まで読売ジャイアンツに在籍していたプロ野球選手の香月良太投手は、実兄に当たる。
経歴
アマチュア球界時代
良山中では久留米明球クラブで投手。柳川高校2年生時の2000年春には、兄の良太とともに、第72回選抜高等学校野球大会へ出場した。チームは夏の第82回全国高等学校野球選手権大会でも福岡県代表として本大会へ出場したが、良仁自身はベンチ登録から外れた。
高校卒業後に第一経済大学へ進学すると、硬式野球部でプレーを続けた。しかし、在学中に右ひじを故障した影響で、プロ野球ドラフト会議での指名には至らなかった。
大学卒業後の2006年に、鮮ど市場へ入社。同社が発足させたばかりの硬式野球部・熊本ゴールデンラークスにも入部したため、鮮ど市場店舗の惣菜売場で毎日コロッケを8時間揚げながら、野球を続けた。同年は右ひじの回復が遅れ、登板機会がほとんどなかったが、翌2007年からは同僚の川畑正明と左右2枚看板として活躍。第78回都市対抗、第34回日本選手権初出場の原動力となった。2008年もエースとしてチームを第79回都市対抗に導いた。
2008年のNPBドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズから6巡目で指名。契約金3,000万円、年俸900万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は42で、熊本ゴールデンラークスの選手がNPBの球団へ入団した事例は初めてであった。
ロッテ時代
2009年には、イースタン・リーグ公式戦で9勝を記録。最多勝利のタイトルを獲得したが、一軍公式戦へのデビューには至らなかった。
2010年には、4月29日の対埼玉西武ライオンズ9回戦(西武ドーム)で、先発投手として一軍公式戦にデビュー。5回4失点という内容ながら、一軍での初勝利を挙げた。一軍公式戦全体では、3試合の登板で、1勝1敗、防御率10.45を記録した。
2011年には、イースタン・リーグ公式戦13試合で、4勝4敗、防御率5.47をマーク。しかし、一軍公式戦への登板機会はなかった。
2012年には、イースタン・リーグ公式戦18試合に登板。6勝無敗、防御率1.21という好成績を残した。一軍公式戦にも2年振りに登板すると、2試合で1勝1敗、防御率5.40を記録した。
2013年には、一軍公式戦7試合で1勝0敗、防御率3.72を記録。イースタン・リーグ公式戦では、35試合に登板すると、チームで最も多い11セーブを挙げた。
2014年には、イースタン・リーグ公式戦で42試合に登板。4勝2敗、防御率3.27を記録するとともに、リーグ最多の19セーブを挙げた。一軍公式戦では、2試合に登板すると、通算投球回数3イニングながら無失点でシーズンを終えた。
2015年には、香月一也外野手の入団を機に、スコアボードの表記を「香月良」に変更。一軍公式戦では、ビハインドの場面を中心に、入団後最多の40試合に登板した。シーズン通算の防御率は2.92で、1勝1敗2ホールドをマーク。10月5日の対北海道日本ハムファイターズ戦(QVCマリンフィールド)では、一軍での初セーブも記録した。
2016年には、一軍公式戦11試合の登板で1ホールドを記録したが、10月1日に球団から戦力外通告を受けた[2]。12月2日付で、NPBから自由契約選手として公示[3]。この年には、兄の良太も、読売ジャイアンツから戦力外通告を受けている。
アマチュア球界への復帰
2017年からは、ロッテへの入団前に所属していた鮮ど市場ゴールデンラークス(旧「熊本ゴールデンラークス」)の投手コーチへ就任。投手としてもプレーを続ける[1]。
選手としての特徴
ストレートの球速は140km/h前後だが、縦のカーブやチェンジアップといった緩急を使い、打者を打ち取っていくスタイル。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010 | ロッテ | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 57 | 10.1 | 23 | 1 | 4 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | 12 | 12 | 10.45 | 2.62 |
2012 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 40 | 8.1 | 10 | 0 | 6 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 8 | 5 | 5.40 | 1.98 | |
2013 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 43 | 9.2 | 13 | 1 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 4 | 3.72 | 1.55 | |
2014 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 11 | 3.0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.33 | |
2015 | 40 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 2 | .500 | 221 | 52.1 | 51 | 4 | 16 | 0 | 2 | 36 | 0 | 0 | 18 | 17 | 2.92 | 1.28 | |
2016 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ---- | 51 | 10.2 | 16 | 2 | 4 | 0 | 4 | 0 | 0 | 11 | 10 | 8.44 | 1.87 | ||
通算:5年 | 65 | 5 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 1 | 3 | .571 | 423 | 94.1 | 114 | 8 | 32 | 1 | 3 | 55 | 0 | 0 | 54 | 48 | 4.58 | 1.55 |
- 2015年度シーズン終了時
記録
- 投手記録
- 初登板・初先発・初勝利:2010年4月29日、対埼玉西武ライオンズ9回戦(西武ドーム)、5回4失点
- 初奪三振:同上、2回裏に高山久から空振り三振
- 初セーブ:2015年10月5日、対北海道日本ハムファイターズ25回戦(QVCマリンフィールド)、9回表に4番手で救援登板、完了、1回無失点
- 打撃記録
- 初安打・初打点:2012年5月28日、対広島東洋カープ2回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、5回表にブライアン・バリントンから右前適時打
背番号
- 42 (2009年 - 2016年)
登場曲
- 「Now That We Found Love」Heavy D and the Boyz
脚注
- ^ a b “元ロッテ香月良仁が古巣・鮮ど市場で兼任コーチ就任”. nikkansports.com. (2016年12月6日) 2016年12月6日閲覧。
- ^ “来季契約について”. 千葉ロッテマリーンズ公式サイト (2016年10月1日). 2016年10月1日閲覧。
- ^ “自由契約選手|2016年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2016年12月2日). 2016年12月3日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 香月良仁 - NPB.jp 日本野球機構