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2014年4月17日 (木) 10:43時点における版
福岡ソフトバンクホークス #65 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 島根県松江市 |
生年月日 | 1993年4月28日(31歳) |
身長 体重 |
186 cm 88 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 2011年 ドラフト4位 |
年俸 | 480万円(2014年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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白根 尚貴(しらね なおき、1993年4月28日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(内野手)。
経歴
松江市立乃木小学校3年の時に「乃木ライオンズ」に所属し、野球を始める。松江市立湖南中学校時代には、「乃木ライオンズシニア」でプレーし、2年時に西日本大会優勝。3年時はベスト8。
開星高時代は、1年時の春から公式戦に出場。秋には、エースとしてほぼ全試合に出場した。2年時もエースとして春夏連続で甲子園に出場。春の選抜は、1回戦で21世紀枠の向陽高に1-2で敗退。夏の選手権では、1回戦の仙台育英高に5-6で敗れた。
3年時、夏の島根県予選で3本塁打を記録するなど優勝に貢献。第93回全国高等学校野球選手権大会では、1回戦の柳井学園高戦で3安打完封を記録し5-0で勝利。続く2回戦で同大会で優勝した日大三高に乱打戦の末、8-11で敗退するも、その後、優勝投手となったエース吉永健太朗から広角に4安打を放つ活躍を見せた。
2011年10月27日、プロ野球ドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスから内野手として4位指名を受けた[1]。
1年目の2012年は、新人合同自主トレ中に右肘に違和感を覚え、精密検査を行ったところ、右肘関節の内側側副靱帯損傷、肘頭骨棘、尺骨神経障害と診断され、2月に手術を行なった[2]。その後はリハビリに費やし、この年は一軍二軍共に出場はなかった。
プレースタイル・人物
体格通り豪快なバッティングが持ち味でレフト方向に巻き込んでいく打球が多い。芯で捉えた時の打球の速さ・飛距離は圧巻で、2年時夏の甲子園で木村謙吾からレフトへ特大のホームランを放っている。また、上述の吉永から広角に4安打したように器用なバットコントロールもでき、センターから右方向へも打てる。フォームは、グリップを高めに置き、揺らしながら構える。高校通算40本塁打。
遠投116メートル、50メートル6秒8。
高校時代に務めていた投手としては、ノーワインドアップからインステップしてテークバックを大きく取ってリリースしていく最速149km/hを記録した球質の重いストレートが持ち味。変化球はスライダー・ フォーク・シュートと多彩で、大柄な体格ながら器用に操る[3]。
ホウレンソウが好物[3]。俳優・佐野史郎と、プロテニスプレイヤー・錦織圭は、小学校の先輩。
詳細情報
背番号
- 55 (2012年)
- 65 (2013年 - )
脚注
- ^ “ドラフト会議で高校生No.1の武田投手ら12人を指名!武田投手「やるからには頂上を!」と早くも意気込み”. 福岡ソフトバンクホークス (2011年10月28日). 2012年6月5日閲覧。
- ^ “新人白根 右肘手術へ 2週間のリハビリ後合流”. 西日本新聞 (2012年1月31日). 2012年6月5日閲覧。
- ^ a b “【ソフトB4位】白根尚貴 “山陰のジャイアン” ホウレンソウがパワーの源”. スポニチ Sponichi Annex (2011年10月27日). 2012年6月5日閲覧。