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* [[ハワイ・ウインターリーグ]]に派遣され、同じドラフト7巡目の先輩[[林昌範]]の[[グアム]]自主トレに同行し迎えた[[2007年]]シーズンは、ファームのセットアッパーとして活躍、27試合に登板し[[防御率]]1.74という好成績を収める。[[9月13日]]には1軍に初登録、直後の[[東京ヤクルトスワローズ]]戦で初登板を果たした。しかし[[9月18日]]、阪神戦にてベンチ入りメンバーから外される。この際[[原辰徳]]監督に「お前は近い将来、巨人を引っ張っていくピッチャーだ。だが、今じゃない」と声をかけられ、これが励みになったという。 |
* [[ハワイ・ウインターリーグ]]に派遣され、同じドラフト7巡目の先輩[[林昌範]]の[[グアム]]自主トレに同行し迎えた[[2007年]]シーズンは、ファームのセットアッパーとして活躍、27試合に登板し[[防御率]]1.74という好成績を収める。[[9月13日]]には1軍に初登録、直後の[[東京ヤクルトスワローズ]]戦で初登板を果たした。しかし[[9月18日]]、阪神戦にてベンチ入りメンバーから外される。この際[[原辰徳]]監督に「お前は近い将来、巨人を引っ張っていくピッチャーだ。だが、今じゃない」と声をかけられ、これが励みになったという。 |
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* [[2008年]]は[[オープン戦]]で先発として活躍、[[野間口貴彦]]、[[門倉健]]と先発6番手を争うものの、最終登板で結果を残せず開幕2軍となった。ちなみにこの年の先発6番手は野間口、門倉共にオープン戦で活躍出来なかったため[[オークランド・アスレチックス]]戦で活躍した[[栂野雅史]]となった。シーズン途中から一軍に帯同し、中継ぎで実績を積む。[[9月17日]]の[[横浜ベイスターズ]]第22回戦でプロ入り初先発。そして6回を投げ2[[安打]]7[[奪三振]]2[[四球]]2[[失点]](自責点2)でプロ入り初勝利を達成。9月23日、延長12回裏に登板して18球を投げ、ゲームを締めくくる。翌[[9月24日]]の[[広島東洋カープ]]第23回戦にて連投で先発マウンドに上がり、6安打9奪三振2四球2失点(自責点2)の成績でプロ初完投を記録するなど活躍。11月17日、来シーズンからの背番号を''' |
* [[2008年]]は[[オープン戦]]で先発として活躍、[[野間口貴彦]]、[[門倉健]]と先発6番手を争うものの、最終登板で結果を残せず開幕2軍となった。ちなみにこの年の先発6番手は野間口、門倉共にオープン戦で活躍出来なかったため[[オークランド・アスレチックス]]戦で活躍した[[栂野雅史]]となった。シーズン途中から一軍に帯同し、中継ぎで実績を積む。[[9月17日]]の[[横浜ベイスターズ]]第22回戦でプロ入り初先発。そして6回を投げ2[[安打]]7[[奪三振]]2[[四球]]2[[失点]](自責点2)でプロ入り初勝利を達成。9月23日、延長12回裏に登板して18球を投げ、ゲームを締めくくる。翌[[9月24日]]の[[広島東洋カープ]]第23回戦にて連投で先発マウンドに上がり、6安打9奪三振2四球2失点(自責点2)の成績でプロ初完投を記録するなど活躍。11月17日、来シーズンからの[[背番号]]を'''15'''に変更することを発表。12月には[[磯山さやか]]と共に地元鉾田市から初代「鉾田大使」に任命された。 |
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* 2009年7月14日のヤクルト戦で、プロ入り初の完封勝利を挙げた。 |
* 2009年7月14日のヤクルト戦で、プロ入り初の完封勝利を挙げた。 |
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* 球団内でも有名なヘビースモーカーとなるほどの喫煙者であり、現在も禁煙には至っていない。また、度々インタビューなどで原監督が禁煙を促す発言をしている。東野本人は、本数を減らしてきたがやめたいと前向きに答えている。原監督は、先発ローテーションの条件では禁煙を挙げており、東野の課題となっている。 |
* 球団内でも有名なヘビースモーカーとなるほどの[[喫煙]]者であり、現在も[[禁煙]]には至っていない。また、度々インタビューなどで原監督が禁煙を促す発言をしている。東野本人は、本数を減らしてきたがやめたいと前向きに答えている。原監督は、先発ローテーションの条件では禁煙を挙げており、東野の課題となっている。 |
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== プレースタイル == |
== プレースタイル == |
2009年9月23日 (水) 08:49時点における版
読売ジャイアンツ #15 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 茨城県鉾田市 |
生年月日 | 1986年7月11日(37歳) |
身長 体重 |
186 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2004年 ドラフト7巡目 |
初出場 | 2007年9月13日 |
年俸 | 1,560万円(2009年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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東野 峻(とうの しゅん、1986年7月11日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(投手)。茨城県鹿島郡鉾田町(現・鉾田市)出身。
経歴
- 大竹小3年で外野手として野球を始め6年時に投手転向。鉾田南中では主将を務め春の県大会3位。鉾田一高では1年春からベンチ入りし、3年夏の県大会は4回戦で常総学院に敗退。打撃でも高校通算36本塁打を記録。
- 2005年、2006年と故障が重なり、2軍でも打ち込まれることが多かった。
- ハワイ・ウインターリーグに派遣され、同じドラフト7巡目の先輩林昌範のグアム自主トレに同行し迎えた2007年シーズンは、ファームのセットアッパーとして活躍、27試合に登板し防御率1.74という好成績を収める。9月13日には1軍に初登録、直後の東京ヤクルトスワローズ戦で初登板を果たした。しかし9月18日、阪神戦にてベンチ入りメンバーから外される。この際原辰徳監督に「お前は近い将来、巨人を引っ張っていくピッチャーだ。だが、今じゃない」と声をかけられ、これが励みになったという。
- 2008年はオープン戦で先発として活躍、野間口貴彦、門倉健と先発6番手を争うものの、最終登板で結果を残せず開幕2軍となった。ちなみにこの年の先発6番手は野間口、門倉共にオープン戦で活躍出来なかったためオークランド・アスレチックス戦で活躍した栂野雅史となった。シーズン途中から一軍に帯同し、中継ぎで実績を積む。9月17日の横浜ベイスターズ第22回戦でプロ入り初先発。そして6回を投げ2安打7奪三振2四球2失点(自責点2)でプロ入り初勝利を達成。9月23日、延長12回裏に登板して18球を投げ、ゲームを締めくくる。翌9月24日の広島東洋カープ第23回戦にて連投で先発マウンドに上がり、6安打9奪三振2四球2失点(自責点2)の成績でプロ初完投を記録するなど活躍。11月17日、来シーズンからの背番号を15に変更することを発表。12月には磯山さやかと共に地元鉾田市から初代「鉾田大使」に任命された。
- 2009年7月14日のヤクルト戦で、プロ入り初の完封勝利を挙げた。
- 球団内でも有名なヘビースモーカーとなるほどの喫煙者であり、現在も禁煙には至っていない。また、度々インタビューなどで原監督が禁煙を促す発言をしている。東野本人は、本数を減らしてきたがやめたいと前向きに答えている。原監督は、先発ローテーションの条件では禁煙を挙げており、東野の課題となっている。
プレースタイル
- 現在はほとんど投げ手のいない、大きく縦に割れるドロップ、切れ味の鋭いスライダーが持ち味。2007年に参加したハワイ・ウインターリーグでも披露しアメリカのスカウトから絶賛された。また、ストレートも威力があり、150km/h前後をマークしている。
- 同期の木村正太と並び将来を嘱望される投手であり、2009年には開幕から先発ローテーションの一角を務めるようになる。
- 体力測定で背筋力315キロを記録。ちなみに松井秀喜の入団時が240キロ、松坂大輔が280キロ。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007 | 巨人 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 4 | 0.2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 3.00 |
2008 | 28 | 2 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 1.000 | 213 | 54.0 | 35 | 7 | 16 | 1 | 3 | 53 | 3 | 0 | 17 | 17 | 2.83 | 0.94 | |
通算:2年 | 29 | 2 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 1.000 | 217 | 54.2 | 36 | 7 | 17 | 1 | 3 | 53 | 3 | 0 | 17 | 17 | 2.80 | 0.97 |
- 2008年度シーズン終了時
背番号
- 93 (2005年 - 2008年)
- 15 (2009年 - )
個人記録
投手記録
- 初登板:2007年9月13日、対東京ヤクルトスワローズ23回戦(明治神宮野球場)
- 8回裏に救援登板、2/3回無失点
- 9回裏に金本知憲から
- 6回2安打2失点
- 9回6安打2失点
- 初完封勝利:2009年7月14日、対東京ヤクルトスワローズ9回戦(福島県営あづま球場)
打撃記録
- 初安打:2009年4月29日、対広島東洋カープ5回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)
- 4回表に齊藤悠葵から左前安打