林昌範

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林 昌範
20120310 masanori Hayasi pitcher of the Yokohama BayStars, at Seibu Dome.JPG
2012年3月10日、西武ドームにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県船橋市
生年月日 (1983-09-19) 1983年9月19日(34歳)
身長
体重
186 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 ドラフト7位
初出場 2003年6月28日
最終出場 2015年7月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

林 昌範(はやし まさのり、1983年9月19日[1] - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手投手)、野球解説者。左投左打。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

父親が自動車教習所を経営しているため、林は18歳で既に運転免許を取得していた。

小学生の時に飯山満シーホークスで野球を始め、船橋市立七林中学校3年時にはエースで4番を務めた。千葉県総合体育大会で2位に入り、茨城で行われた関東大会に出場した。高校は船橋市立船橋高等学校に進学し[1]、大型左腕として評価されたものの、公式戦で足に重度の骨折を負った。2001年のプロ野球ドラフト会議で他球団が指名を回避するなか、読売ジャイアンツから7巡目で指名されて入団。同ドラフトでの巨人の「隠し球」だった。背番号は96

巨人時代[編集]

2002年、一軍登板はなく、二軍で12試合に登板して防御率6.38だった。

2003年、序盤に二軍のローテーション投手として9試合に先発し1完投・防御率3.22を記録、6月28日に一軍の先発左腕投手の不足を補うため、初昇格して即先発。140キロ前後の球速ながら、ゆったりとした球の出所の見にくいフォームを武器に相手打線を7回1安打無失点に抑え、そのままローテーションに定着する。7月5日中日ドラゴンズ戦では8回表に中継ぎで登板するも、立浪和義に右前安打を放たれ、日本プロ野球史上30人目となる通算2000本安打を献上している。8月14日にはプロ入り初勝利を挙げるなど15試合登板で3勝3敗・防御率3.22の成績を残した。

2004年、背番号が30となり、先発投手として25試合に登板するが、3勝9敗・防御率4.89と前年より数字を下げる。

2005年池谷公二郎の指導で投球フォームをスリークォーター気味に改造。先発ローテーション内海哲也と争ったが敗れ、中継ぎに転向すると、フォーム改造の効果も相まって平均球速が140キロ台後半まで上昇。セットアッパー、シーズン中盤以降は抑えとして安定した投球を見せ、2勝2敗18セーブ、防御率1.61の成績を残す。この年のオフに原辰徳が監督に復帰するが、引き続きリリーフでの起用となる。

2006年、原の構想では久保裕也から林に繋ぎ、新加入の豊田清で締めることになっていたが、久保と豊田のピッチングが不安を見せる中、林は1年を通して安定した投球を続けた。しかし一方でシーズン終盤には慢性的な肘痛を訴えた。同年オフの検査で肘に遊離軟骨を抱えている事が判明したが、クリーニング手術[2]などの外科的処置を採らずに様子を見た。オフには後輩の東野峻を伴ってグアムで自主トレを行った。

2007年、原から「岩瀬仁紀のような投手に成長して欲しい」と期待をこめて背番号を13に変更された。オープン戦終盤にチームに復帰したが、開幕直後に不調の豊田をカバーするため4試合連続登板したのち数日ブルペンに入らないなど、持病を抱えながらの変則的な登板となり、7月ごろから調子を落とした。オールスターゲームにファン投票で選出されて出場したものの直後に登録抹消、8月に再昇格するが1試合に登板すると左肩甲骨に違和感を訴え、再び登録抹消された。10月のクライマックスシリーズ第2ステージにて戦線復帰。第1戦にワンポイント登板、第2戦にはイニングをまたぎ1回1/3登板。打者6人を被安打0、2奪三振、1四球に抑えている。シーズン終了後まもない同月末に肘のクリーニング手術を行った。同シーズンは持病の肘痛を抱えながらも、序盤戦で唯一の勝ちパターンで信頼できるリリーフとして、前半戦の左のセットアッパーとしてリーグ優勝に貢献。離脱した時期とチーム成績が下降した時期がほぼ一致しているが公傷と認められず、年俸微減で更改した。12月7日、当時テレビ東京のアナウンサーだった亀井京子と結婚。2008年10月には第一子となる長女が誕生。

2008年、前年末の肘手術の影響で、キャンプインから二軍で調整。5月20日に一軍復帰したものの制球が乱れ、2試合で二軍に降格した。その後、ウィルフィン・オビスポと共に二軍の守護神として起用されながら再調整を続けた。8月17日の対広島東洋カープ戦で2ヶ月ぶりに復帰し、9月10日までに7試合に登板、その全てで三振を奪い、計7.2イニングを投げ自責点2、1イニング3奪三振を含む奪三振13という数字を残し、球速の最高値は146キロを記録した[3]11月14日マイケル中村工藤隆人との交換トレードで二岡智宏と共に北海道日本ハムファイターズに移籍した。背番号は19に決まった。

日本ハム時代[編集]

日本ハム時代(2010年)

2009年、抑え候補としても期待されたが、練習試合で打ち込まれるなど不調でファームで調整することになる。開幕は二軍で迎えたが5月に一軍昇格、5月2日に初登板。5月20日には古巣である対読売ジャイアンツ戦で移籍後初勝利を飾った。なおこの勝利は巨人時代の2007年6月11日以来709日振りで、その時の対戦相手は日本ハムであった。以降は勝ちパターンでゲーム中盤の左腕リリーフとして起用されるようになった。

2010年、春季キャンプに先発に挑戦するも怪我などを理由に前年どおり中継ぎとしての登板となった[4]。前半戦は失点する場面が目立った上故障にも苦しんだ。しかし8月に登録されて以降の自責点はわずか1だった。最終的に主にワンポイントで起用され、防御率2.64の成績を残し、WHIPは1を切った。しかし、登板数、投球回数が前年度よりも10以上少なくなった。9月2日、第2子となる長男が誕生した。

2011年、さらに登板数が減少し、一軍デビューしてからワーストとなる5試合の登板に留まった。11月17日戦力外通告を受け退団[5]12月11日、同じく日本ハムを戦力外となった菊地和正と共に横浜DeNAベイスターズの入団が発表された。背番号は24に決まった。

横浜DeNA時代[編集]

2012年、移籍後初登板の4月4日中日ドラゴンズ戦で1/3イニングを2安打2四球と打ち込まれ、翌日に二軍落ちした。2012年は結局32試合に登板し0勝でシーズンを終えたが、防御率は1.91だった。

2013年、6月に一軍に昇格したが、16日の埼玉西武ライオンズ戦、25日の東京ヤクルトスワローズ戦と連続で失点して二軍落ちした。その後8月に再昇格を果たすも、前年度を下回る14試合の登板に留まった。

2014年6月21日の西武戦で延長10回2死から登板し、その裏に味方が逆転サヨナラ勝ちしたためシーズン初勝利とともに全球団勝利を達成した。その後も左のセットアッパーとして活躍を見せ、56試合に登板、15ホールドの成績を残した。11月3日にFA権を行使せず残留する意向を表明した[6]

2015年、開幕一軍入りを果たしブルペンの柱としての活躍を期待されたが、不安定な投球が続いていた。7月21日のヤクルト戦で1回もたず7失点と炎上し二軍降格となりそのままシーズンを終えた。8月下旬に左肘の手術を行った。

2016年、足の負傷で春期キャンプから出遅れた。夏場から復帰し二軍では15試合の救援登板で1失点だったが、1軍昇格はなかった。

2017年、2年続けて一軍昇格を果たせず9月下旬に来季の戦力構想から外れていることが報道され、10月5日戦力外通告を受けた。

DeNA退団後[編集]

11月15日に行われた12球団合同トライアウトに参加したが、獲得球団は現れず、12月29日に現役引退を発表した。今後は、実家業である船橋中央自動車学校で経営学を学ぶ[7]

2018年2月5日より、週刊ベースボールONLINEにて「林昌範コラム」の連載を開始した[8]。また、同年2月6日には、学生野球の指導資格の回復が認定された[9]4月1日からはAbemaTVのプロ野球中継専任の野球解説者としても活動している[10]

人物[編集]

趣味の一つにジグソーパズルがあり、500ピースを1日で完成させるほどである[11]

2014年オフの契約更改の際、契約とは別に本拠地横浜スタジアムのブルペンの虫の駆除を要求して話題となった[12]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2003 巨人 15 11 0 0 0 3 3 0 -- .500 316 72.2 73 10 25 1 5 87 1 0 28 26 3.22 1.35
2004 25 17 0 0 0 3 9 0 -- .250 483 106.2 117 14 49 3 6 91 5 0 65 58 4.89 1.56
2005 54 0 0 0 0 2 2 18 15 .500 280 67.0 45 6 35 5 2 67 6 1 13 12 1.61 1.19
2006 62 0 0 0 0 4 4 0 20 .500 227 56.1 45 4 16 2 2 54 3 0 22 18 2.88 1.08
2007 41 0 0 0 0 2 1 3 13 .667 157 38.1 34 6 9 3 0 42 1 0 14 14 3.29 1.12
2008 11 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 62 10.2 15 3 12 0 1 14 2 0 12 8 6.75 2.53
2009 日本ハム 46 0 0 0 0 3 2 0 9 .600 197 46.0 35 3 25 3 3 42 4 0 17 17 3.33 1.30
2010 36 0 0 0 0 2 2 0 14 .500 123 30.2 20 3 9 1 0 25 0 0 12 9 2.64 0.95
2011 5 0 0 0 0 0 0 0 2 ---- 22 4.0 10 0 3 0 0 2 0 0 6 6 13.50 3.25
2012 DeNA 32 0 0 0 0 0 0 0 4 ---- 132 33.0 26 2 12 1 0 26 4 1 7 7 1.91 1.15
2013 14 0 0 0 0 0 0 0 2 ---- 48 12.0 9 1 4 1 2 8 1 0 4 4 3.00 1.25
2014 56 0 0 0 0 2 2 1 15 .500 175 40.0 45 4 14 2 0 34 1 0 17 14 3.15 1.48
2015 24 0 0 0 0 1 1 0 4 .500 89 18.2 26 1 6 1 0 10 2 0 15 15 7.23 1.71
NPB:13年 421 28 0 0 0 22 26 22 99 .458 2311 536.0 500 57 219 23 21 502 30 2 232 208 3.49 1.34

記録[編集]

投手記録
  • 初登板・初先発登板:2003年6月28日、対中日ドラゴンズ13回戦(ナゴヤドーム)、7回無失点
  • 初奪三振:同上、1回裏に福留孝介から空振り三振
  • 初勝利・初先発勝利:2003年8月14日、対中日ドラゴンズ23回戦(ナゴヤドーム)、8回0/3を1失点
  • 初ホールド:2005年4月5日、対横浜ベイスターズ1回戦(横浜スタジアム)、9回裏に3番手で救援登板、2回無失点
  • 初セーブ:2005年4月9日、対中日ドラゴンズ2回戦(東京ドーム)、9回表2死に5番手で救援登板・完了、1/3回無失点
打撃記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 96 (2002年 - 2003年)
  • 30 (2004年 - 2006年)
  • 13 (2007年 - 2008年)
  • 19 (2009年 - 2011年)
  • 24 (2012年 - 2017年)

登場曲[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『プロ野球カラー名鑑 2008』 ベースボール・マガジン社2008年、11頁。ISBN 978-4-583-61526-4
  2. ^ 内視鏡による遊離軟骨摘出手術、骨棘除去手術。
  3. ^ ただし速球は制球が利かず、高い奪三振率は時速130キロ台の速球を「見せ球」に変化球で奪ったものであった。球数が増えたことで四球・エラーからの失点も増加しており、無失点に抑えた試合は7試合中3試合となっている。
  4. ^ 北海道日本ハムファイターズ チーム情報 2010春季キャンプ情報 春季キャンプ動画 寒い中でも、選手は熱く!!
  5. ^ 選手退団のお知らせ”. 北海道日本ハムファイターズ公式サイト (2011年11月17日). 2011年11月18日閲覧。
  6. ^ DeNA 林 FA権行使せず 3年契約で合意 多村は…スポニチアネックス 2014年11月3日掲載
  7. ^ “引退の林、父親が運営の自動車教習所で経営を学ぶ”. スポーツ報知. (2017年12月29日). http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20171229-OHT1T50228.html 2017年12月31日閲覧。 
  8. ^ 元DeNA・林が現役時代に衝撃を受けた球は「山口俊」”. 林昌範コラム. 週刊ベースボールONLINE (2018年2月5日). 2018年2月25日閲覧。
  9. ^ “西本聖氏、山本昌広氏ら107人が指導資格回復”. スポーツ報知. (2018年2月6日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201802060000582.html 2018年2月25日閲覧。 
  10. ^ 元DeNA・林昌範が初解説で19歳右腕の京山を絶賛。「もう少し笑えよと思うぐらい大人びていた」”. 林昌範コラム. 週刊ベースボールONLINE (2018年4月2日). 2018年6月26日閲覧。
  11. ^ 林昌範 オフィシャルブログ おはよー
  12. ^ 虫駆除、入場料値下げ…契約更改での珍要求 日刊スポーツ(2015年12月6日)、同日閲覧。[リンク切れ]
  13. ^ 日刊スポーツ 2014年6月22日付8面

外部リンク[編集]