コンテンツにスキップ

アウレリオ・ヴィドマー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アウレリオ・ヴィドマー
名前
ラテン文字 Aurelio Vidmar
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
生年月日 (1967-02-03) 1967年2月3日(57歳)
出身地 アデレード
身長 180cm
体重 70kg
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1985-1991 オーストラリアの旗 アデレード・シティFC 157 (29)
1991-1992 ベルギーの旗 KVコルトレイク 30 (10)
1992-1994 ベルギーの旗 KSVワレヘム英語版 57 (25)
1994-1995 ベルギーの旗 スタンダール・リエージュ 32 (22)
1995-1996 オランダの旗 フェイエノールト 15 (2)
1996 スイスの旗 FCシオン 13 (7)
1997-1998 スペインの旗 CDテネリフェ 25 (1)
1998-1999 日本の旗 サンフレッチェ広島 24 (6)
1999-2003 オーストラリアの旗 アデレード・シティFC 137 (23)
2001 オーストラリアの旗 クロイドン・キングス英語版 3 (0)
2003-2004 オーストラリアの旗 アデレード・ユナイテッドFC 27 (2)
通算 520 (127)
代表歴2
1991-2001 オーストラリアの旗 オーストラリア 45 (17)
監督歴
2005-2006 オーストラリアの旗 アデレード・ユナイテッドFC(アシスタント)
2007-2010 オーストラリアの旗 アデレードユナイテッドFC
2010-2016 オーストラリアの旗 オーストラリア(アシスタント)
2010-2016  U-23オーストラリア代表
2012  U-20オーストラリア代表
2013 オーストラリアの旗 オーストラリア代行
2016-2017 タイ王国の旗 バンコク・グラス
2019-2021 シンガポールの旗 ライオン・シティ・セーラーズ
2021 タイ王国の旗 BGパトゥム・ユナイテッド
2022 タイ王国の旗 バンコク・ユナイテッド
2023- オーストラリアの旗 メルボルン・シティ
1. 国内リーグ戦に限る。2007年8月14日現在。
2. 2007年8月14日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アウレリオ・ヴィドマー(Aurelio Vidmar、1967年2月3日 - )は、オーストラリア出身の元同国代表サッカー選手FW)、サッカー指導者。実弟は元代表DFトニー・ヴィドマー

なお「ヴィドマー」表記[1] の他に、「ビドマー」表記[2] も用いられている。

来歴

[編集]

現役時代

[編集]

1985年、アデレード・シティFCへ入団[3]。その後ベルギーのクラブチームを転々とし、スタンダール・リエージュに在籍した1994-95シーズンに得点王に輝き、オセアニア年間最優秀選手賞を受賞。その後はフェイエノールトFCシオンCDテネリフェに在籍した[3]

1995年から2001年までサッカーオーストラリア代表のキャプテンを務めている。

1998年に当時監督であったエディ・トムソンの縁もあってサンフレッチェ広島へ移籍し[3]ドナルド・グッドマン山口敏弘と共にJ1参入決定戦回避の切り札として期待された[4]。コンディションがなかなか整わなかったため[5] 目立った活躍はしなかった。なお98年は「ビドマー」[4]、99年は「ヴィドマー」[6] として選手登録している。1999年6月に退団[3][6]

その後はアデレード・シティFCに復帰。2001年、日本と韓国で開催されたコンフェデレーションズカップではオーストラリア代表として再来日。2004年に現役引退。

指導者時代

[編集]

引退後はアデレード・ユナイテッドFCでコーチを経験し、2007年にはジョン・コスミナ英語版監督辞任を受けて暫定監督を務め、シーズン終了後正式に監督に昇格した[7]

AFCチャンピオンズリーグでは2008年2010年と出場を果たし、2008年にはオーストラリア勢として初の決勝進出を決め、FIFAクラブワールドカップ2008出場を果たした。2010年ではかつて在籍した広島とグループリーグで同組になり対戦した。2008/09Aリーグ最優秀監督賞受賞。

2010年6月、W杯後からオーストラリア代表アシスタントコーチ、およびロンドンオリンピックを目指すU-23代表監督に就任する[8]。ただロンドン五輪アジア最終予選で敗退し本大会出場を逃している。

2019年からシンガポールのホーム・ユナイテッドFC(翌2020年にライオン・シティ・セーラーズFCに改名)監督を務める。2021年4月28日にライオン・シティ・セーラーズ監督を辞任し、AFCチャンピオンズリーグ2021出場が決まったBGパトゥム・ユナイテッドFC監督に復帰[9]。しかし11月14日、前監督のデュシット・チャルムセーン英語版のクラブ復帰に伴い、テクニカルディレクター職への異動を要請されたものの、これを断り退団することになった[10]

2022年、バンコク・ユナイテッドFCの監督に就任[11]。同年末に一身上の都合で辞任した。

2023年11月1日、メルボルン・シティFCの監督に就任した。

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
オーストラリア リーグ戦 リーグ杯FFA杯 期間通算
1984-85 アデレード・C NSL 10 2
1985-86 26 2
1986-87 23 2
1987-88 22 5
1988-89 25 5
1989-90 23 9
1990-91 28 4
ベルギー リーグ戦 リーグ杯ベルギー杯 期間通算
1991-92 コルトレイク 1部 30 10
1992-93 ワレヘム 32 18
1993-94 25 7
1994-95 リエージュ 32 22
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
1995-96 フェイエノールト エールディヴィジ 15 2
スイス リーグ戦 スイス杯オープン杯 期間通算
1996 シオン ナショナル 14 7
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
1996-97 テネリフェ プリメーラ 25 1
1997-98 0 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1998 広島 7 J 15 4 - 3 1 18 5
1999 11 J1 9 2 2 1 - 11 3
オーストラリア リーグ戦 リーグ杯FFA杯 期間通算
1999-00 アデレード・C NSL 34 8
2000-01 21 4
2001-02 23 3
2002-03 32 6
2003-04 アデレード・U 27 2
通算 豪州 NSL 294 52
ベルギー 1部 119 57
オランダ エールディヴィジ 15 2
スイス ナショナルリーガ 14 7
スペイン プリメーラ 25 1
日本 J1 24 6 2 1 3 1 29 8
総通算 491 125

個人タイトル

[編集]

代表歴

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 開幕戦を戦う アデレード・ユナイテッドの地元でのメディアでの取り上げられ方を紹介!”. J'sGOAL (2008年12月1日). 2013年8月22日閲覧。[リンク切れ]
  2. ^ 豪州ヘッドコーチ 2位浮上へ日本戦を極秘視察”. スポーツニッポン (2013年5月30日). 2013年8月22日閲覧。
  3. ^ a b c d 残念ながらヴィドマー選手が退団することになりました”. サンフレッチェ広島公式 (1999年5月28日). 2001年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月22日閲覧。
  4. ^ a b 新戦力効果 サンフレ快勝”. 中国新聞 (1998年7月25日). 2013年8月22日閲覧。
  5. ^ サンフレ会心スタート”. 中国新聞 (1998年7月25日). 2013年8月22日閲覧。
  6. ^ a b 6位 強いサンフレ復活”. 中国新聞 (1999年5月29日). 2013年8月22日閲覧。
  7. ^ A-League: AusItalian Aurelio Vidmar appointed Adelaide coach”. ausitalia.com (2007年5月2日). 2013年8月22日閲覧。[リンク切れ]
  8. ^ Aurelio Vidmar and Paul Okon to coach national youth sides”. オーストラリアサッカー連盟 (2009年5月26日). 2013年8月22日閲覧。
  9. ^ Sailors coach Aurelio Vidmar to join Thai champs BG Pathum”. The News Paper (2021年4月28日). 2021年10月10日閲覧。
  10. ^ ไม่ขอรับ ปธ.เทคนิค! "วิดมาร์" แยกทางบีจีกลับออสซี่บ้านเกิด” (タイ語). Goal.com (2021年11月14日). 2021年11月15日閲覧。
  11. ^ Aussie Vidmar gets job to lift fallen Angels

参考資料

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
先代
ジョン・コスミナ
アデレード・ユナイテッドFC監督
2007-2010
次代
フィル・スタビンズ