マーク・ボスニッチ

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マーク・ボスニッチ Football pictogram.svg
Mark Bosnich.jpg
名前
ラテン文字 Mark Bosnich
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
生年月日 (1972-01-13) 1972年1月13日(45歳)
出身地 シドニー
身長 185cm
選手情報
ポジション GK
利き足 左足(利き手は右)
代表歴
1991
1991-1992
1993-2000
オーストラリアの旗 オーストラリア U-20
オーストラリアの旗 オーストラリア U-23
オーストラリアの旗 オーストラリア
6 (0)
6 (0)
17 (1)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マーク・ボスニッチMark Bosnich1972年1月13日 - )は、オーストラリアシドニー出身の元サッカー選手。ポジションはGK

経歴[編集]

1988年16歳の時にイングランドへ行きマンチェスター・ユナイテッドFCと契約。1990年4月30日ウィンブルドンFC戦でプロデビュー。1991-92シーズンにはユース時代を過ごしたシドニー・ユナイテッドFCへ戻り、1992年2月8日フリー移籍でアストン・ヴィラFCへ加入した。

ここでは正守護神として活躍。特に1993-94シーズンのリーグ杯準決勝トレンメア・ローヴァーズFC戦では相手のPKを3本も止めるなどの活躍を見せ、タイトル獲得に貢献した。1995-96シーズンには全38試合に出場してチームをリーグ4位に導くと、リーグ杯でも決勝でリーズ・ユナイテッドAFCを破り2度目の栄冠を手にした。1997年にはオセアニア年間最優秀選手賞を受賞。アストン・ヴィラFCでは7年半で227試合に出場した。

1999年、ヴィラでの活躍からピーター・シュマイケルの後釜としてマンチェスター・ユナイテッドFCへフリー移籍で復帰。同年のインターコンチネンタルカップではSEパルメイラスを破る原動力となり、リーグ優勝にも貢献した。

しかし、その後の地位は安泰とは言えず、翌2000-01シーズンにフランス代表ファビアン・バルテズが加入。セルティックFCへ一年間レンタルの話があったがこれを拒否、正GK争いするために残ることを決意[1]したもの正GK争いに敗れただけではなく、第2GK争いでレイモンド・ファン・デル・ホウロイ・キャロルにも敗れ出場機会がなかった。また、代表でもマーク・シュワルツァーの後塵を拝しクラブ・代表共に居場所を失った。

2001年1月18日チェルシーFCへ移籍したが、怪我の影響でカルロ・クディチーニエド・デ・フーイに次ぐ第3GKに甘んじてほとんどピッチに立てない状態が続いた。2002-03シーズンの9月にはドーピング検査で陽性反応が示され9ヶ月の出場停止処分となり、クラブからも解雇された[2]。この解雇が不当としてチェルシーFCを訴えたものの棄却された[3]

その後、2008年に母国で現役復帰し、翌年でのプレーを最後に引退した。

エピソード[編集]

1996年、FAカップ トッテナム戦で相手サポーターに対してナチス式敬礼を行ない問題になった[4]

のちにセルティックFCへの移籍拒否をボスニッチは後悔したことを語った[5]

チェルシー解雇後、週に5000ドルも使ってコカインを購入。しばらくはコカイン中毒だったことを告白[6][7]

プロサッカークラブをつくろう!シリーズの架空選手グレンコビッチはボスニッチをもとに作成された[8]

出典[編集]

  1. ^ Bosnich turns down loan switch to Celtic
  2. ^ Triumph and despair
  3. ^ プレミアリーグ、チェルシー側の勝訴を発表
  4. ^ Bosnich salute beyond a joke
  5. ^ Mark Bosnich: I missed out on move to Celtic after being too stubborn to leave Man United
  6. ^ Bosnich admits cocaine addiction
  7. ^ Mark Bosnich lifts lid on drug hell
  8. ^ 【サカつく】マイナー選手列伝〜その弐・グレンコビッチ〜

外部リンク[編集]

FIFA.comによるFIFA公式大会出場記録

National-Football-Teamsによるクラブ記録