ロス・アロイージ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロス・アロイージ
名前
ラテン文字 Ross Aloisi
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1973-04-17) 1973年4月17日(51歳)
出身地 アデレード
身長 178cm
選手情報
ポジション MF
利き足 左足
ユース
オーストラリアの旗 アデレード・シティ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1989-1991 オーストラリアの旗 アデレード・シティ 42 (12)
1992 オーストラリアの旗 モドベリー・ジェッツ英語版 6 (0)
1993 オーストラリアの旗 エンフィールド・シティFC英語版 4 (3)
1993 ベルギーの旗 ブーム英語版 4 (0)
1993-1994 オーストラリアの旗 ブランズウィック・ユヴェントス英語版 13 (4)
1994 オーストラリアの旗 トーマスタウン・デヴィルズ 4 (0)
1994-1997 オーストラリアの旗 ウエスト・アデレード英語版 57 (8)
1997-1998 スイスの旗 アーラウ 34 (6)
1998-1999 フランスの旗 ロリアン 1 (0)
1999-2000 オーストリアの旗 グラーツァー 20 (0)
2000-2002 イタリアの旗 アルツァーノ英語版 41 (0)
2002-2003 イタリアの旗 プロ・セスト 29 (3)
2003-2004 オーストラリアの旗 アデレード・ユナイテッド 26 (4)
2004 オーストリアの旗 ホワイト・シティ英語版 9 (3)
2004 マレーシアの旗 セランゴール
2005-2007 オーストラリアの旗 アデレード・ユナイテッド 50 (3)
2007-2008 オーストラリアの旗 ウェリントン・フェニックス 13 (2)
代表歴2
1989  オーストラリア U-17
1994-1996  オーストラリア U-23 14 (4)
1994-1998  オーストラリア 3 (0)
監督歴
2010-2013 オーストラリアの旗 ウエスト・アデレード
2013-2015 オーストラリアの旗 アデレード・ユナイテッド (女子)英語版
2023 オーストラリアの旗 ブリスベン・ロアー
1. 国内リーグ戦に限る。2022年4月10日現在。
2. 2022年4月10日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ロス・アロイージ(Ross Aloisi, 1973年4月17日 - )は、オーストラリアの元プロサッカー選手、サッカー指導者。元オーストリア代表アデレード出身。現役時代のポジションはミッドフィールダー

同じく元プロサッカー選手のジョン・アロイージは弟である。引退後はオーストラリアのクラブで監督、コーチを務め、2022年は横浜F・マリノスのアシスタントコーチを務めた[1]

経歴[編集]

クラブ[編集]

オーストラリアン・ナショナルサッカーリーグ(NSL)のアデレード・シティと契約し、1990-91シーズンは6試合に出場。チームは準決勝で敗れ、3位となった[2]。翌シーズンもアデレード・シティに残り、11試合に出場。準決勝のサウス・メルボルン戦ではゴールを挙げ、チームはリーグ王者となった[3]。シーズンオフには南オーストラリア州プレミアリーグ英語版モドベリー・ジェッツ英語版(1992年)とエンフィールド・シティFC英語版(1993年)でプレイし、1992-93シーズンにアデレード・シティでの最後のシーズンを過ごした後、ベルギーブーム英語版に移籍した。しかし、1993-94シーズンにブランズウィック・ユヴェントス英語版と契約しオーストラリアに戻るまでに、ブームでの出場はわずか4試合であった。

アロイージは13試合で4ゴールを記録したが、ブランズウィック・ユヴェントスは14チーム中13位であった[4]。クラブはボックス・ヒル・ユナイテッド英語版およびブリーン・ライオンズ英語版と合併し、メルボルン・ゼブラズとなった。1994-95シーズン、アロイージは8試合に出場し、メルボルン・ナイツ英語版とのカップ戦でゴールを挙げ、2-0で勝利した[5]。1995-96シーズンはウエスト・アデレード英語版と契約。31試合に出場し4ゴールを挙げたが、チームは勝ち点1差でファイナルシリーズ進出を逃した[6]。翌シーズンも17試合に出場したが、再びファイナルシリーズ進出を逃し、海外移籍を決意した。

1997-98シーズン、スイスアーラウと契約し、38試合に出場し6ゴールを記録。翌シーズンも2試合に出場し[7]、その後フランスロリアンに移籍した。しかしロリアンでは2シーズンで出場は1試合のみで、その後オーストリア・ブンデスリーガグラーツァーに移籍。1999-2000シーズンは18試合に出場、翌シーズンは2試合に出場し、グラーツァーはUEFAカップ2回戦に進出した。その後はイタリアへ渡り、アルツァーノ英語版では2シーズンで41試合に出場、2002-03シーズンはプロ・セストに移籍し、29試合に出場し3ゴールを記録した。

アデレード・ユナイテッドがNSLに加盟し、アロイージはついにオーストラリアに復帰。26試合に出場し4ゴールを挙げ、準決勝まで進んだ若いクラブの重要な戦力となった。しかしNSLの破綻もあり、マレーシアへ渡りセランゴールと契約。設立されたばかりのマレーシア・プレミアリーグでの2位に貢献した[8]。新たにAリーグが設立されると再び母国に戻り、2004年11月、アデレード・ユナイテッドに復帰した。引退したアウレリオ・ヴィドマーに代わってAリーグでの初代キャプテンを務め[9]、24試合中23試合に出場し、2ゴールを挙げ、クラブもリーグ初代チャンピオンとなった。アロイージはLifeFMアデレード年間最優秀選手賞をアンジェロ・コスタンツォと共同で受賞した[10]

2006-07シーズンもアデレード・ユナイテッドのキャプテンとしてリーグを戦い、2007年2月18日にメルボルンで行われたメルボルン・ビクトリーとの決勝戦に臨んだ。しかし、この試合で34分にレッドカードを受け退場。結果は0-6で敗れ、Aリーグの短い歴史において記録的な大敗となり、数的不利の要因となったアロイージは物議を醸した。2か月後、契約解除となった。決勝戦の後、監督のジョン・コスミナ英語版はクラブから辞任を求められていたのである[11][12]。その後、アロイージは完全にクラブから離れ、雑誌のインタビューで「いつか、すべてを話す」と約束した[13]

弟のジョンによれば、2007-08シーズンの中心選手としてユナイテッドからのオファーを拒んだ主な理由は、この円満でない去就にあるとされる。またジョンは、兄が去ったことでユナイテッドでプレイする意欲が薄れたと述べている。兄とともにユナイテッドでキャリアを終えることがその動機だったためである。

2007-08シーズン、アロイージは新たにAリーグに加盟したウェリントン・フェニックスのキャプテンを任されることとなった[14]。フェニックスでの唯一のシーズンで2ゴールを挙げ、シーズン終了後に現役を引退した。

引退後はFOXスポーツのコメンテーターとなった。またサッカー・インターナショナル誌英語版でコラムの執筆も行う他、弟と共同で陶芸品のビジネスを成功させている。インターネットテレビ番組『Two Up Front』では、ジョン・コスミナとともに司会を務めた。

代表[編集]

1989年、スコットランドで開催されたFIFA U-16世界選手権オーストラリア代表として出場。アメリカ戦に途中出場し、39分間プレイ。試合は2-2で引き分けた[15]

1994年、U-23オーストラリア代表に選出され、12試合に出場2ゴールを記録[16]。同年9月のクウェートとの親善試合でA代表デビュー[17]。5日後の日本戦にも出場し、スコアレスドローとなったその試合ではイエローカードを提示された。1995年にもU-23代表としてデンマーク戦と日本戦に出場[18]

1996年、アトランタオリンピックの予選を戦い、5試合で5ゴールを挙げ、オセアニア地区予選通過に貢献[19]カナダとの大陸間プレイオフのアウェイ戦にも出場。合計7-2で勝利し、本大会への出場権を獲得した。オリンピック本大会では全3試合に出場したが、フランススペインに敗れ、グループステージ敗退となった[20]

1998年6月、A代表3試合目となったクロアチアとの親善試合に途中出場したが、試合は0-7で敗れた[21]

1999年半ば、一時帰国しメルボルンで行われたマンチェスター・ユナイテッドとの親善試合2試合に出場した[22]

指導歴[編集]

監督成績[編集]

クラブ シーズン 記録
試合 勝率
ウエスト・アデレード オーストラリアの旗 2010-2013 87 63 4 20 072.41
アデレード・ユナイテッド (女子) オーストラリアの旗 2013-2015 24 6 5 13 025.00
通算 111 69 9 33 062.16

タイトル[編集]

アデレード・シティFC
アデレード・ユナイテッドFC

脚注[編集]

  1. ^ 舩木渉 (2022年4月8日). “横浜F・マリノスに新アシスタントコーチが合流! マスカット監督も期待「指導がより細かくできる」”. FOOTBALL CHANNEL. 2022年4月10日閲覧。
  2. ^ 1990–91 end of season Table”. OzSoccer. 2006年5月21日閲覧。
  3. ^ 1991–92 Season Playoff Matches”. OzSoccer. 2006年5月21日閲覧。
  4. ^ 1993–94 Season Final Table”. OzSoccer. 2006年5月21日閲覧。
  5. ^ 1994–95 Season Cup Matches”. OzSoccer. 2006年5月21日閲覧。
  6. ^ 1995–96 A-League Table”. OzSoccer. 2006年5月21日閲覧。
  7. ^ www.arowa.ch – Ross Aloisi” (ドイツ語). 2006年5月21日閲覧。[リンク切れ]
  8. ^ Malaysia – Premier League – 2004”. Soccerway.com. 2006年5月21日閲覧。
  9. ^ Adelaide United FC Captain Announced”. 2006年8月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年5月21日閲覧。
  10. ^ Carl Veart takes Champions award”. 2006年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年5月21日閲覧。
  11. ^ Four Four Two magazine online”. 2007年7月24日閲覧。[リンク切れ]
  12. ^ "Reds Shocked By Aloisi Axe", Four Four Two magazine online”. 2007年7月24日閲覧。[リンク切れ]
  13. ^ Maddaford, Terry (2007年7月13日). “Soccer: Ross the boss ready to roll”. ニュージーランド・ヘラルド. http://www.nzherald.co.nz/soccer-football/news/article.cfm?c_id=86&objectid=10451190 2011年11月5日閲覧。 
  14. ^ “Aloisi named captain of Phoenix”. シドニー・モーニング・ヘラルド. (2007年6月17日). https://www.smh.com.au/sport/aloisi-named-captain-of-phoenix-20070617-gdqels.html 
  15. ^ Match Report – Australia – USA”. FIFA.com. 2006年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年5月21日閲覧。
  16. ^ Olyroos 1994 Matches”. OzSoccer. 2006年5月21日閲覧。
  17. ^ International Matches 1994”. RSSSF. 2006年5月21日閲覧。
  18. ^ Olyroos 1995 Matches”. OzSoccer. 2006年5月21日閲覧。
  19. ^ 1996 Olympic Qualifying Tournament – Oceania”. OzSoccer. 2006年5月21日閲覧。
  20. ^ Olyroos 1996 Matches”. OzSoccer. 2006年5月21日閲覧。
  21. ^ International Matches 1998 – Intercontinental”. RSSSF. 2006年5月21日閲覧。
  22. ^ International Matches 1999 – Other”. RSSSF. 2006年5月21日閲覧。

外部リンク[編集]