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ワールドカップオブゴルフ World Cup of Golf トーナメント情報創設
1953年 開催地
持ち回り 開催コース
持ち回り 基準打数
持ち回り ヤーデージ
持ち回り ツアー
PGAツアー 競技方法
ストロークプレー 賞金総額
800万米ドル(2013年) 開催月
11月 最新優勝者
ベルギー (2018年、団体) テンプレートを表示
ゴルフ のワールドカップ (英語 :World Cup of Golf )とは1953年 から奇数年行われている国別対抗の団体戦で、世界ゴルフツアーの年間スケジュールが終了した後に行われる。国を代表する2人の選手がチームを組み、世界24カ国が出場する。2009年までは毎年開催されていたが、以降は隔年開催となっている。サッカー のワールドカップ (W杯)のゴルフ版に当たる。
本大会はゴルフを通じた世界各国の善隣友好を願ったカナダ人実業家ジョン・ジェイ・ホプキンスの提唱により国際ゴルフ協会が1953年 にカナダ ・モントリオール の「ビーコンスフィールド・カントリークラブ」で開催したのが始まりで、「カナダ・カップ」(Canada Cup)と名づけられた。1955年 の第3回から開催地はカナダを離れ1956年 の第4回には林由郎 と石井迪夫 のコンビが日本代表として初参加し、団体で4位を獲得する。これが翌1957年 の日本招致のきっかけとなった。1957年の第5回は、日本(霞ヶ関カンツリー倶楽部 )で初めて開催されたゴルフの国際イベントとなった。この大会で小野光一 と中村寅吉 のコンビが団体初優勝、中村が個人優勝を飾り日本の人々にゴルフを紹介する大きなきっかけをつくった。
1967年 に「ワールドカップ」(World Cup)、1993年 に「ワールドカップ・オブ・ゴルフ」(World Cup of Golf)と名称が変遷し2004年 まではスポンサー企業名を冠とする「EMCワールドカップ」という名称であった。2005年 から開催地の名称を冠とし2005年は「アルガーブ・ワールドカップ」、2006年 は「バルバドス・ワールドカップ」、2007年 からは「ミッションヒルズ・ワールドカップ」の名称に変更された(正確にはスポンサーであるスイスの時計メーカーの企業名を冠とする「オメガ ・ミッションヒルズ・ワールドカップ」)。
2000年 から2006年までは、本大会は世界ゴルフ選手権 シリーズに編入されていた。世界選手権編入期間中は各チームの順位に応じた賞金を2人で半額ずつ分ける方式になったが、その金額は賞金ランキングに加算されなかった。その後、主にアメリカPGAツアー の主張に基づきアメリカ国外で開催される2007年開催以降の本大会は世界ゴルフ選手権シリーズから除外されることになった。
これまでの歴代優勝回数は、アメリカ合衆国 が「23度」と抜きん出ている。続いて南アフリカ共和国 の5度、スペイン 、オーストラリア の4度と続く。日本 チームは1957年 と2002年 の2度優勝がある。
2001年 11月15日 から18日 にかけて、「日本ゴルフ100年祭」の最高潮をなすイベントとして「EMCワールドカップ」が静岡県 御殿場市 の「太平洋クラブ御殿場コース」に誘致された。1901年 に日本で最古のゴルフ場 として「六甲コース」が建造されてから100周年の記念行事が多数開催されたが、ワールドカップをそのクライマックスに位置づけたのである。この時はアメリカ代表として(当時)世界ランキング 1位のタイガー・ウッズ と同3位のデビッド・デュバル が来日した。アメリカ・チームは大会3連覇を逃したが、最終日の18番ホール(パー5, 517ヤード )でウッズが放った“ミラクル・チップイン・イーグル”は強烈な印象を残した。この時は4チームのプレーオフ になり、アーニー・エルス とレティーフ・グーセン のコンビによる南アフリカ チームが優勝した。なお、日本チームの伊沢利光 と丸山茂樹 のコンビは11位に終わっている。
日本開催の翌年にあたる2002年、伊沢と丸山のコンビがメキシコ 開催の大会で日本チームに45年ぶり2度目の優勝をもたらした。
2013年 からは、国際スポーツ振興協会 が冠スポンサーとなり『ISPSハンダワールドカップゴルフ』の名称となった[ 1] [ 2] [ 3] 。2013年大会より、2016年オリンピック と同ルールとなる個人戦72ホールストローク方式 に変更され、団体戦は2人の合計スコアで優勝国を決定することとなった。
第1日(木曜日):ベストボール・マッチ、1回目(2人ともそれぞれ自分の球を打ち、各ホールごとにスコアの良い選手の球を記録する競技方式。それが18ホール総計でそのチームのスコアとなる)
第2日(金曜日):フォアサム、1回目(2人の選手が、それぞれ交互に球を打つ競技方式。選手Aがティーショットを打てば、選手Bがその球をセカンド・ショットとして打つ…それを繰り返す。ティーショットを打つ順番は、ホールごとに交代する)
第3日(土曜日):ベストボール・マッチ、2回目
最終日(日曜日):フォアサム、2回目
開催年
優勝国
団体
個人
開催地
ISPS Handa Melbourne World Cup of Golf
2018
ベルギー
トーマス・ピータース & Thomas Detry
None
メルボルン , オーストラリア
ISPS Handa World Cup of Golf
2016
デンマーク
ソレン・ケルドセン & トービヨン・オルセン
None
メルボルン , オーストラリア [ 4]
2013
オーストラリア
ジェイソン・デイ & アダム・スコット
ジェイソン・デイ
メルボルン , オーストラリア
Omega Mission Hills World Cup[ 5]
2011
アメリカ合衆国
マット・クーチャー (英語版 ) & ゲーリー・ウッドランド (英語版 )
None
海口市 , 海南省 , 中華人民共和国
2009
イタリア
エドアルド・モリナリ & フランチェスコ・モリナリ
深圳市
2008
スウェーデン
ロバート・カールソン (英語版 ) & ヘンリク・ステンソン
深圳市
2007
スコットランド
コリン・モンゴメリー & マーク・ウォーレン (英語版 )
深圳市
WGC-World Cup
2006
ドイツ
ベルンハルト・ランガー & マルセル・シーム (英語版 )
None
Sandy Lane Resort, バルバドス
2005
ウェールズ
スティーブン・ドッド (英語版 ) & ブラッドリー・ドレッジ (英語版 )
アルガルヴェ , ポルトガル
2004
イングランド
ポール・ケーシー & ルーク・ドナルド
セビリア
2003
南アフリカ共和国
トレバー・イメルマン & ロリー・サバティーニ (英語版 )
Kiawah Island, SC, USA
2002
日本
伊沢利光 & 丸山茂樹
プエルト・バヤルタ
2001
南アフリカ共和国
アーニー・エルス & レティーフ・グーセン
御殿場市
2000
アメリカ合衆国
デビッド・デュバル & タイガー・ウッズ
ブエノスアイレス
World Cup of Golf
1999
アメリカ合衆国
マーク・オメーラ & タイガー・ウッズ
タイガー・ウッズ
クアラルンプール
1998
イングランド
デビッド・カーター (英語版 ) & ニック・ファルド
スコット・バープランク (英語版 )
オークランド
1997
アイルランド
パドレイグ・ハリントン & ポール・マッギンリー (英語版 )
コリン・モンゴメリー
Kiawah Island, SC, USA
1996
南アフリカ共和国
アーニー・エルス & ウェイン・ウェストナー (英語版 )
アーニー・エルス
ケープタウン
1995
アメリカ合衆国
フレッド・カプルス & デービス・ラブ3世
デービス・ラブ3世
深圳市
1994
アメリカ合衆国
フレッド・カプルス & デービス・ラブ3世
フレッド・カプルス
Dorado, Puerto Rico
1993
アメリカ合衆国
フレッド・カプルス & デービス・ラブ3世
ベルンハルト・ランガー
オーランド , USA
World Cup
1992
アメリカ合衆国
フレッド・カプルス & デービス・ラブ3世
ブレット・オーグル (英語版 )
マドリード
1991
スウェーデン
アンダース・フォースブランド (英語版 ) & パー=ウルリク・ヨハンソン (英語版 )
イアン・ウーズナム
ローマ , イタリア
1990
ドイツ
トルシュテン・ギーデオン & ベルンハルト・ランガー
ペイン・スチュワート
オーランド , USA
1989
オーストラリア
ピーター・ファウラー (英語版 ) & ウェイン・グラディ (英語版 )
ピーター・ファウラー (英語版 )
マルベーリャ
1988
アメリカ合衆国
ベン・クレンショー (英語版 ) & マーク・マッカンバー (英語版 )
ベン・クレンショー
メルボルン , オーストラリア
1987
ウェールズ
デビッド・レウェリン & イアン・ウーズナム
イアン・ウーズナム
マウイ島 , USA
1986
No tournament
1985
カナダ
デーブ・バー & ダン・ホールドーソン (英語版 )
ホワード・クラーク
ラキンタ, CA, USA
1984
スペイン
ホセ・マリア・カニザレス (英語版 ) & ホセ・リベロ (英語版 )
ホセ・マリア・カニザレス
ローマ
1983
アメリカ合衆国
レックス・コールドウェル (英語版 ) & ジョン・クック (英語版 )
デイブ・バー
ジャカルタ
1982
スペイン
ホセ・マリア・カニザレス (英語版 ) & マニュエル・ピネロ (英語版 )
マニュエル・ピネロ
アカプルコ
1981
No tournament
1980
カナダ
ダン・ホールドーソン (英語版 ) & ジム・ネルフォード (英語版 )
サンディ・ライル
ボゴタ , コロンビア
1979
アメリカ合衆国
ヘール・アーウィン & ジョン・マハフィー (英語版 )
ヘール・アーウィン
アテネ , ギリシャ
1978
アメリカ合衆国
ジョン・マハフィー (英語版 ) & アンディ・ノース (英語版 )
ジョン・マハフィー
Hanalei, HI, USA
1977
スペイン
セベ・バレステロス & アントニオ・ガリード (英語版 )
ゲーリー・プレーヤー
マニラ
1976
スペイン
セベ・バレステロス & マニュエル・ピネロ (英語版 )
エルネスト・ペレス・アコスタ (英語版 )
Palm Springs, California , USA
1975
アメリカ合衆国
ルー・グラハム (英語版 ) & ジョニー・ミラー
ジョニー・ミラー
バンコク
1974
南アフリカ
ボビー・コール (英語版 ) & デール・ヘイズ (英語版 )
ボビー・コール
カラカス , ベネズエラ
1973
アメリカ合衆国
ジョニー・ミラー & ジャック・ニクラス
ジョニー・ミラー
マルベーリャ
1972
台湾
謝敏男 &呂良煥
謝敏男
メルボルン
1971
アメリカ合衆国
ジャック・ニクラス & リー・トレビノ
ジャック・ニクラス
Palm Beach, Florida , USA
1970
オーストラリア
ブルース・デブリン (英語版 ) & デビッド・グラハム (英語版 )
ロベルト・デ・ビセンゾ (英語版 )
ブエノスアイレス , アルゼンチン
1969
アメリカ合衆国
オービル・ムーディ & リー・トレビノ
リー・トレビノ
シンガポール
1968
カナダ
アル・ボールディング&ジョージ・ナッドソン
アル・ボールディング
ローマ , イタリア
1967
アメリカ合衆国
ジャック・ニクラス & アーノルド・パーマー
アーノルド・パーマー
メキシコシティ , メキシコ
Canada Cup
1966
アメリカ合衆国
ジャック・ニクラス & アーノルド・パーマー
ジョージ・クヌードソン (英語版 )
東京よみうりカントリークラブ
1965
南アフリカ
ハロルド・ヘニング (英語版 ) & ゲーリー・プレーヤー
ゲーリー・プレーヤー
マドリード , スペイン
1964
アメリカ合衆国
ジャック・ニクラス & アーノルド・パーマー
ジャック・ニクラス
マウイ島 , USA
1963
アメリカ合衆国
ジャック・ニクラス & アーノルド・パーマー
ジャック・ニクラス
パリ
1962
アメリカ合衆国
アーノルド・パーマー & サム・スニード
ロベルト・デ・ビセンゾ (英語版 )
ブエノスアイレス
1961
アメリカ合衆国
ジミー・デマレー (英語版 ) & サム・スニード
サム・スニード
Dorado, Puerto Rico
1960
アメリカ合衆国
アーノルド・パーマー & サム・スニード
フローリー・ファンドンク (英語版 )
Portmarnock, ダブリン
1959
オーストラリア
ケル・ネーグル (英語版 ) & ピーター・トムソン
スタン・レナード (英語版 )
メルボルン
1958
アイルランド
ハリー・ブラッドショー (英語版 ) & クリスティ・オコナー (英語版 )
アンヘル・ミゲル (英語版 )
メキシコシティ , メキシコ
1957
日本
中村寅吉 & 小野光一
中村寅吉
霞ヶ関カンツリー倶楽部
1956
アメリカ
ベン・ホーガン & サム・スニード
ベン・ホーガン
Wentworth, サリー , イングランド
1955
アメリカ
エド・ファーゴル (英語版 ) & チック・ハーバート (英語版 )
エド・ファーゴル
ワシントンD.C. , USA
1954
オーストラリア
ケル・ネーグル (英語版 ) & ピーター・トムソン
No award
モントリオール
1953
アルゼンチン
アントニオ・セルダ (英語版 ) & ロベルト・デ・ビセンゾ (英語版 )
No award
モントリオール
男子主要ツアー 男子シニアツアー 男子2軍ツアー 男子その他のツアー 女子レギュラーツアー 女子シニアツアー 女子二部ツアー 関連項目