鯨骨
鯨骨(げいこつ、くじらほね、くじらぼね、英語: whalebone)は、クジラの骨(硬骨および軟骨)、歯を指す言葉である。また、鉱物に置換されて化石化したもの(骨格化石、英語: fossil whalebone)も慣習的に「骨」としてこれを含む。なお、鯨ひげは皮膚が変化したものであり、厳密には歯ではないので鯨骨には含まれない。
古来、世界各地の海浜地域で、海産物としてさまざまに利用されてきたことが、遺跡や貝塚から判明している。また、その大きさから比較的保存性が高く、世界中で多数の骨と化石が発掘されている。
骨格
特徴
全体において陸生の哺乳類と比較すると、泳ぐ上で重要な前肢の指骨や前肢骨から肩甲骨(前鰭)と腰椎から尾椎(尾鰭)は発達しているが、それ以外のさまざまな部位で扁平になっていたり骨の断面形状が単純化されており、部位ごとの個数も少ない傾向にある。陸生哺乳類の骨は重力などによる応力に適応して、負担の多い部分と少ない部分の違いが明確になっているが、鯨の骨は水中生活による浮力により、その必要がないことも骨の扁平や単純化の一端になっている。
各部においては水中生活で獲得された特徴として、呼吸をするときに随時頭をもたげる必要が無いように、テレスコーピング(旧式の縦長の円筒形の望遠鏡を折りたたんだような状態を指す)と呼ばれる鼻孔の位置が頭蓋骨の頭頂部より後方へ移動する現象が起きている。このことによって頭を動かす必要が無くなり、頸椎は哺乳類の特徴である7個であるが、体長に比して短めになっていて、ほとんど動かすことができなくなっている。頚椎が固定され、短くなることは、腰椎から尾椎にかけての発達により、推進力を尾鰭に集中しているため、頭が振れると効率が悪いので、これらの現象は水中を進む上で都合が良いと考えられている。また、水の抵抗を減らすため、突起物や体表面積を減少させる必要や尾鰭に推進力を集中させることで、後肢(後ろの鰭)の必要性も無くなるとともに、推進力の要となる腰椎に大きな骨盤が接近していては、可動性の向上や重量による負担の軽減という観点からも効率が悪いため、骨盤と後肢の骨が一体となって棒状に小さくなり、なおかつ脊椎から離れたところに痕跡として残っている。
ハクジラとヒゲクジラの差異
その他のクジラについての生態は、別項目「クジラ」を参照。
遺骸としての鯨骨
鯨骨生物群集
発見の経緯と学術的考察
鯨骨生物群集とは、死んだクジラが海底に沈んだ時、その遺骸および腐敗の過程で発生する硫化水素を栄養源とする特定の生物が集まり、食物網(食物連鎖)やエネルギー循環を形成した生物群集を指す。1987年、アメリカの深海探査船アルビン号によってサンタ・カタリーナ海盆(Santa Catalina Basin)の水深1,240m地点で発見された「閉じた生物環境」である[1]。日本近海では1992年に、小笠原諸島沖の海底で発見された。
鯨骨生物群集は化学合成生物群集の一つで、海底火山の熱水噴出孔周辺に形成される生物群と同じように、硫化水素還元反応による嫌気性環境のエネルギー循環バイオマスと理解されている。熱水噴出孔に形成されるチムニーとは異なり、チューブワームは少なく、ヒラノマクラなどの二枚貝やエビ類が多く見られ、コトクラゲ(Lyrocteis imperatoris)のように鯨骨に集まる生物を捕食するものもある。化学合成細菌が共生するゴカイの一種や、通常は清浄な水域に棲むナメクジウオの新種(ゲイコツナメクジウオ Asymmetron inferum)など、さまざまな新種の生物が発見されている。
発生の過程と生物群の詳細
人間が利用する鯨骨は基本的に捕鯨や座礁したクジラを解体して得られるものであるが、遺骸としての鯨骨は、クジラの自然死の後に海底へ沈み、ヌタウナギや一部のサメ類(オンデンザメ〈en〉、等)や、ダンゴムシやフナムシに類縁の海棲種であるオオグソクムシなどの等脚類、タラバガニに近縁のエゾイバラガニやタカアシガニなどといったカニ類、等々の深海の死肉漁り(腐肉食動物およびデトリタス食動物〈en〉)によって食べられ、生物分解されることによって生じる。群がる生物は時間とともに変化する。死肉漁りにあらかた肉を食べられた後にはチューブワームに近縁のホネクイハナムシ(俗称:ゾンビワーム)が群がり、鯨骨が硫化水素を放つようになると鯨骨生物群集が生じる。やがては硫化水素を放ちながら鯨骨は徐々に朽ちていく、最後には礁(しょう、かくれいわ。wikt:en)になり深海生物の絶好の棲み処となる。
その他の詳細は、別項目「鯨骨生物群集」を参照。
古代種の化石
クジラの進化系統は、現鯨類(現生するハクジラ亜目とヒゲクジラ亜目、および、両者が共通祖先を含む系統的類縁の化石種群)と、現鯨類より原始的な化石種群である原クジラ亜目とで構成されている。鯨骨(クジラの化石の骨格)における古代種(ムカシクジラ)の定義の条件は、偶蹄目の骨格の特徴を持つことや、内耳骨が骨伝導を基本とした構造になっていることなどが挙げられる。
その他の詳細は、別項目「原クジラ亜目」を参照。
鯨骨の利用
欧米では中世から近代において捕鯨を行ってきたが、その利用は油の採取が主であり、鯨骨の利用はほとんどされていなかった。しかし、日本を始め海洋性の東南アジアおよびポリネシアの人々や北極圏に近い北米先住民は、余す所なく鯨を利用してきたため、鯨骨も多岐に利用してきた歴史と文化がある。
道具・資源
- 道具
- 日本では縄文時代から小型のハクジラを中心に積極的捕鯨が行われており、捕獲の経緯は諸説あるが大型のクジラ類の骨も出土している。これらの骨は加工され、さまざまな形で利用されており、簎(やす〈wikt:en〉。矠とも表記)や銛(もり)、「アワビオコシ」(貝を剥ぎ取る箆〈へら〉)などの漁具から紡錘車や脊椎を利用した(形状や丈夫さが適していた)回転台などの生活用具まで多岐にわたる。
- 資源
- その後、11世紀頃を皮切りに、世界中で大型のクジラに対して積極的捕鯨が行われ、鯨骨の利用がされるようになった。日本での主な利用としては、大量の脂肪分を含んでいるので、抽出できる油から灯火用の燃料や農薬として利用されてきた。また、搾った残り滓の鯨骨は細かく粉砕して肥料とした。
- 建築資材
- カナダやアメリカなどに暮らすイヌイット(厳密にはユピックとイヌピアットと呼ばれる人々の総称。包括的呼称であるエスキモー[2]の代表的民族)はイグルーと呼ばれる家に住むが、夏用のアザラシやセイウチの革を利用したテントと、冬用の半地下または組石造の外壁で作られ、屋根には板や革を張ってその上に土・芝土・苔などで覆い、寒さ対策の前室を供えた住居がある。木などの植物が育たない地域で暮らしているので、これらの住居の骨組みとして、柱や梁に流木や「鯨の骨」が利用されている。ちなみに、「イグルー」という名称で馴染み深い、圧雪をブロック状に切り出し積み上げた丸いドームの家は、カナダのイヌイットだけが作る狩猟の旅先での仮の住居である。
その他のクジラに関する産業は、別項目「捕鯨」「鯨肉」「鯨ひげ」「鯨油」を参照。
文化
先史時代から世界各地の海浜地域で、鯨の骨やその他の動物の骨や角は、生活の道具や狩猟具・漁具として利用されてきたが、世界の貝塚の歴史からも時代とともに、鯨類などの海産物を生活の糧にする傾向が薄れていることが判っており、その後の狩猟から農耕への移行や、金属器などの発達も骨角器(骨や角の道具)の利用の減少の原因となっている。
これらのことにより、日本や一部の北極圏の少数民族、そのほかの東南アジアや南洋諸島の原住民以外では、鯨骨との係わりは11世紀から始まる組織捕鯨まで途絶える。 しかし日本は、農耕の伝播が遅かったことと、海に囲まれているという地理的特性もあって、小型種(主にイルカ)に対しては能動的な捕鯨が太古から続けられ、大型種に対しては突発的な受動的捕鯨や追い込み漁による座礁捕獲が行われてきた。そして、日本人の価値観や宗教観から鯨文化(鯨信仰)および捕鯨文化と呼ばれる食文化、鯨絵巻などの芸術に鯨踊り、鯨唄などの芸能、鯨漁神事や鯨供養祭などの祭礼が誕生し、そのなかで鯨骨は様々なかたちで利用されている。
下記記述以外の鯨食文化は、別項目「鯨肉」を参照。下記記述以外のクジラや捕鯨に関する文化および「鯨ベッコウ細工」については、「捕鯨文化」を参照のこと。
鯨骨料理
クジラの骨は食用には向かないが、軟骨は食用になり現在でも鯨料理として出される物として蕪骨(かぶらぼね)と呼ばれる鯨の頭の軟骨部分があり、魚のそれと同じく俗称で「氷頭(ひず)」とも呼ばれる。古くは延宝2年(1674年)『江戸料理集』の中で紹介されており、そのほかにも、寛延元年(1748年)『歌仙の組糸』や宝暦12年(1762年)の『献立筌』など多数存在し、細く削って乾燥した粕漬けや酒漬け、塩蔵など加工した物を三杯酢や刺身、汁物にしたものなど、加工法も調理法も多岐にわたる。
- 『鯨肉調味方』によればその他の部位の軟骨と思われる名称と調理方法が記載されている。以下はその料理と食材となる骨の種類と名称である。
- 刺身 - 蕪骨、扇骨、要骨、坊主皮骨、筒路骨、咽輪骨、数珠骨、障子骨。
- 酢ぬた和え - 腮骨。
- 辛し和え - 腮骨。
- 玉子とじ - 蕪骨、扇骨、坊主皮骨、筒路骨。
- 吸い物 - 蕪骨、扇骨、坊主皮骨、筒路骨。
- 味噌漬け - 蕪骨、扇骨、坊主皮骨、筒路骨。
- 粕漬け - 蕪骨、扇骨、坊主皮骨、筒路骨。
鯨細工
鯨細工(クジラ工芸品)とは、鯨骨のみならずハクジラの歯も加工した工芸品とその技術を指す。
- 鯨骨刀剣
- 縄文時代から生活必需品として鯨骨の利用があったが、装飾品と見られる鯨骨製の刀剣が日本各地の遺跡から見つかっている。青森県青森市の三内丸山遺跡(約5,500- 約4,000年前〈紀元前3千年紀前後〉、縄文時代中期)では「クジラの骨刀」、長崎県壱岐市の原ノ辻遺跡(約2,200年前〈紀元前3世紀〉)から「鯨骨製骨剣」、延宝4年(1676年)建立された青森県上北郡七戸町見町の見町観音堂には「鯨骨製青竜刀形骨」などがあり、形状も時代もさまざまである。このような技術が継続的に伝承されたかは定かでないが、江戸時代からの組織捕鯨の産業化に伴い、鯨細工という工芸品が巷に流通し、産業となった。
- 日本の鯨細工の用途
- 世界各地の鯨細工
- カナダやアメリカの先住民であり、北極圏に住むイヌイットは古くから捕鯨を生活の糧としてきた。鯨の骨も狩猟具として加工してきた歴史があり、近年においては海獣類や鯨の骨や歯を利用した工芸品を作成していて、その芸術性が高く評価されている。また、数少ない現金収入の手段ともなっているが、原材料の骨や歯は捕獲禁止がなされた種もあり、材料の入手が困難になっているものもある。
- フランクス・カスケット
- ニュージーランドのマオリ族も伝承によれば、約500年前にはすでに座礁した鯨の利用がされており、日本などと同様に食料や油の利用から、鯨の骨を狩猟具として加工してきた歴史があり、現在も残滓としての骨や歯を工芸品として加工し、販売している。ただし、ニュージーランド政府は捕鯨反対の立場から座礁鯨の利用を認めておらず、イヌイット同様に材料の入手が困難になっている。
- フランクス・カスケット(Franks Casket)は、「Auzon Runic Casket (オーゾンのルーンの小箱)」「Auzon Casket (オーゾンの小箱)」「Auzon Franks Casket (オーゾンのフランクの小箱)」「フランクの小さな棺」などといった雅称でも呼ばれる、ルーン文字の記されたドイツの北東部で発掘された7世紀の古代の遺物である。不明な部分の多いルーン文字の体系の研究資料であり、鯨の骨でできており、精巧な装飾も施されている。
鯨骨と寺社
鯨の供養や祀りために遺骸や神体として鯨骨を埋めることは、「鯨塚」や「鯨墓」などに代表され日本各地で見られるが、ここでは鯨骨自体が一種のモニュメントを兼ねている寺や神社などを記述する。宗教的な意味合いはないが、クジラの生息域である南北極圏に近い、キリスト教の教会にも門の装飾やモニュメントとして鯨の骨が、飾られている事例がある。
- 神社
-
- 鯨鳥居
- 鯨鳥居とは神社の鳥居が鯨の骨でできている鳥居である。日本で最古のものは、和歌山県太地町の「恵比須の宮」の鳥居である。このことは井原西鶴の『日本永代蔵』貞享5年(1688年)刊行に「紀路大湊 泰地といふ里の 妻子のうたへり 此所は繁昌にして 若松村立ける中に 鯨恵比須の宮をいはひ 鳥井に 其魚の胴骨立しに 高さ三丈ばかりも 有ぬべし」と記述があり、貞享5年以前から存在していたことが判る。ほかには、長崎県有川町の海童神社に鯨鳥居があり、昭和48年(1973年)に日東捕鯨株式会社によって奉納されたが、記録によれば現在の鳥居は三代目であり、それ以前はどのような材料で鳥居が作られていたか判明していない。これらが現在、日本にある鯨鳥居の全てであるが、当時日本統治下の台湾の最南端の鵞鑾鼻にあった鵞鑾鼻神社、または、樺太にあった札塔恵比寿神社、北方領土の色丹島の色丹神社の3ヶ所に鯨鳥居があった。以上の5ヶ所はそれぞれに、捕鯨に直接的、または、捕鯨基地などの間接的に係わる場所である。
- 鯨絵馬
- 愛媛県川之江市の川之江八幡神社にあり、川之江市で文久3年12月(1864年1月[3])に体長7mと11mの2頭のコククジラが捕獲された。その捕らえたクジラの肩甲骨に「鯨」と大きく筆で記した鯨骨絵馬が奉納されている。
- 寺院
- 教会
書籍
鯨骨に係わる歴史的書物や文献。
- 『勇魚取絵詞』跋(おくがき)、小山田與清
この節の加筆が望まれています。 |
鯨骨の学術的施設
日本
- 鯨の骨格標本を展示している主な施設
-
- 大阪市立自然史博物館(大阪府大阪市東住吉区)
- 日本国内産としては最大の全長19メートルの雄のナガスクジラの骨格標本を展示している。
- 国立科学博物館(東京都台東区)
- マッコウクジラ、ミンククジラ、ほか。ミンククジラの顎の骨の可動する様子を再現した展示もある。
- 太地町立くじらの博物館(和歌山県東牟婁郡太地町)
- シロナガスクジラ、イチョウハクジラ、セミクジラ、ほか。クジラの標本が数多く展示されている。
- 鯨と海の科学館(岩手県下閉伊郡山田町)
- マッコウクジラ、ミンククジラ、全長16メートルの巨大な雄のマッコウクジラの骨格標本を展示。
- 千葉県立中央博物館(千葉県千葉市中央区 )
- ツチクジラ、コビレゴンドウ、マダライルカ、スナメリ、ほか。ハクジラとヒゲクジラの両方の骨格標本が展示されており、双方の差異が良く分かるようになっている。