1971年ドイツグランプリ
レース詳細 | |||
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1971年F1世界選手権全11戦の第7戦 | |||
ニュルブルクリンク北コース (1967-1982) | |||
日程 | 1971年8月1日 | ||
正式名称 | XXXIII Großer Preis von Deutschland | ||
開催地 |
ニュルブルクリンク 西ドイツ ニュルブルク | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 22.835 km (14.189 mi) | ||
レース距離 | 12周 274.02 km (170.268 mi) | ||
決勝日天候 | 晴(ドライ)[1] | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | ティレル-フォード | ||
タイム | 7:19.0 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | フランソワ・セベール | ティレル-フォード | |
タイム | 7:20.1 (10[1]周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | ティレル-フォード | ||
2位 | ティレル-フォード | ||
3位 | フェラーリ |
1971年ドイツグランプリ (1971 German Grand Prix) は、1971年のF1世界選手権第7戦として、1971年8月1日にニュルブルクリンクで開催された。
背景
[編集]前年のドイツGPはコースの安全性の問題からホッケンハイムリンクで開催されたが、路面を再舗装し、追加のランオフエリアが設置され[2]、一部のコーナーの再設計[3]に加え、バリアとキャッチフェンスが設置されたことにより安全性を向上させ、2年ぶりのF1開催にこぎ着けた[2]。レース距離は12周に短縮された[4]。
ブラバムのロン・トーラナックは、バーニー・エクレストンへのチーム売却をほぼ完了させた。新たにオーナーとなるエクレストンは既に翌年の構想を練っていた。ティレルに端を発したインダクションポッドは、新たにマーチも採用した[3]。
エントリー
[編集]前戦イギリスGPが終わった後、CSI(国際スポーツ委員会)[注 1]はジャン=ピエール・ベルトワーズに対し、1月10日に行われたブエノスアイレス1000kmレースの事故[注 2]の責任を改めて問われ、事故の日から8ヶ月間のライセンス停止処分を科した。したがって、ベルトワーズは実質的に2ヶ月間の出場停止処分が新たに科せられたことになる[5]。マトラはベルトワーズの出場停止が解けるまでクリス・エイモン1台のみ参加する。BRMは亡くなったペドロ・ロドリゲスの後任として、ビック・エルフォードを起用した。フェラーリはアメリカのレースがなかったマリオ・アンドレッティも参加する[2]。マーチはアンドレア・デ・アダミッチとナンニ・ギャリのためにアルファロメオエンジンを搭載した711を2台用意した。これにより、フォード・コスワース・DFVエンジン搭載の711を走らせるのはロニー・ピーターソンのみとなった。ロータスは従来の72Dのみを走らせる[3]。マクラーレンは、コスワースの工場が休暇中だったことによりジャッキー・オリバーのDFVエンジンを用意できず、デニス・ハルムとピーター・ゲシンの2台が参加する[4]。ヨアキム・ボニエは自身のチームでボニエ自身とこの年のル・マン24時間レースを制したヘルムート・マルコがマクラーレン・M7Cを走らせるつもりであったが、マルコ用のM7Cは利用可能なパーツが不足したため、ボニエ用のM7Cのみで参加する[3]。サーティースはディーター・クエスターにTS7を走らせる予定であったが実現しなかった[3]。
エントリーリスト
[編集]- 追記
予選
[編集]観客はジャッキー・スチュワートとジャッキー・イクスのポールポジション争いを期待していたが、両者はその予想の上を行く走りを練習中から見せ、スチュワートがイクスに0.2秒差でポールポジションを獲得した。スチュワートのタイムは7分19秒0で、2年前にイクスがポールポジションを獲得したタイムより23秒速く、3番手以下はフロントローの2人より3秒以上遅かった[3]。2列目はジョー・シフェールとクレイ・レガツォーニ、3列目はフランソワ・セベールとデニス・ハルムが占め、ロニー・ピーターソン、エマーソン・フィッティパルディ、ティム・シェンケン、アンリ・ペスカロロがトップ10に入った[2]。ヘルムート・マルコはヨアキム・ボニエのマシンを走らせたが、最初のラップで燃料が切れたためタイムを記録できなかった[2]。
予選結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
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1 | 2 | ジャッキー・スチュワート | ティレル-フォード | 7:19.0 | - | 1 |
2 | 4 | ジャッキー・イクス | フェラーリ | 7:19.2 | +0.2 | 2 |
3 | 21 | ジョー・シフェール | BRM | 7:22.4 | +3.4 | 3 |
4 | 6 | クレイ・レガツォーニ | フェラーリ | 7:22.7 | +3.7 | 4 |
5 | 3 | フランソワ・セベール | ティレル-フォード | 7:23.4 | +4.4 | 5 |
6 | 18 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 7:26.0 | +7.0 | 6 |
7 | 15 | ロニー・ピーターソン | マーチ-フォード | 7:26.5 | +7.5 | 7 |
8 | 8 | エマーソン・フィッティパルディ | ロータス-フォード | 7:27.5 | +8.5 | 8 |
9 | 25 | ティム・シェンケン | ブラバム-フォード | 7:29.8 | +10.8 | 9 |
10 | 14 | アンリ・ペスカロロ | マーチ-フォード | 7:30.3 | +11.3 | 10 |
11 | 5 | マリオ・アンドレッティ | フェラーリ | 7:31.7 | +12.7 | 11 |
12 | 12 | ロルフ・シュトメレン | サーティース-フォード | 7:34.7 | +15.7 | 12 |
13 | 24 | グラハム・ヒル | ブラバム-フォード | 7:36.1 | +17.1 | 13 |
14 | 23 | ハウデン・ガンレイ | BRM | 7:36.6 | +17.6 | 14 |
15 | 7 | ジョン・サーティース | サーティース-フォード | 7:36.7 | +17.7 | 15 |
16 | 10 | クリス・エイモン | マトラ | 7:37.3 | +18.3 | 16 |
17 | 9 | レイネ・ウィセル | ロータス-フォード | 7:39.96 | +20.96 | 17 |
18 | 22 | ビック・エルフォード | BRM | 7:39.98 | +20.98 | 18 |
19 | 20 | ピーター・ゲシン | マクラーレン-フォード | 7:41.4 | +22.4 | 19 |
20 | 16 | アンドレア・デ・アダミッチ | マーチ-アルファロメオ | 7:41.7 | +22.7 | 20 |
21 | 17 | ナンニ・ギャリ | マーチ-アルファロメオ | 7:47.5 | +28.5 | 21 |
22 | 28 | マイク・ボイトラー | マーチ-フォード | 7:42.6 | +31.6 | 22 |
23 | 27 | ヨアキム・ボニエ | マクラーレン-フォード | 8:17.0 | +58.0 | DNQ |
24 | 27 | ヘルムート・マルコ 1 | マクラーレン-フォード | No time | - | DNQ |
ソース:[8][9][10] |
- 追記
決勝
[編集]レース当日は大観衆が集まり、スタートを前にグラハム・ヒルとレイネ・ウィセルがマシンに問題を抱えたため、グリッドには20台のマシンが並んだ。
スタートでジャッキー・イクスがリードを奪ったが、すぐにジャッキー・スチュワートがリードを取り戻し、クレイ・レガツォーニ、デニス・ハルム、ジョー・シフェール、ロニー・ピーターソン、フランソワ・セベールがイクスを追う[2]。イクスは2周目にウィッパーマンコーナーでスピンオフし、ガードレールに激突した[2][11]。レガツォーニはイクスを避けようとしてコース外に逃れた。これにより、スチュワートはハルムを抜いたシフェールを大きく引き離した。レガツォーニは3位でコースに復帰し、やはりハルムを抜いたピーターソンが4位となった。ハルムはすぐにマリオ・アンドレッティとセベールにも抜かれ、セベールはすぐにアンドレッティを抜いて5位に浮上した。セベールはその後ピーターソン、レガツォーニに抜かれて3位となっていたシフェールを抜き、そしてレガツォーニも抜いて2位に浮上する注目すべき走りを見せた[2]。
スチュワートはレースを支配し、ティレルは2度目の1-2フィニッシュを達成した[12]。3連勝で今季5勝目を挙げたスチュワート[13]は獲得ポイントを51とし、リタイアに終わったイクスに対し32点の差を付け、2度目のドライバーズチャンピオンを確実なものとした[3]。レガツォーニは3位、アンドレッティはピーターソンを抜いて4位でフィニッシュした[2]。ティム・シェンケンは6位で初入賞を果たし[14]、ブラバムはようやく今季初のポイントを獲得した。マイク・ボイトラーはスタート/フィニッシュライン直後の南カーブでパンクしてしまい、コースをショートカットしてピットに戻ったため失格となった[3]。
レース結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | ジャッキー・スチュワート | ティレル-フォード | 12 | 1:29:16.3 | 1 | 9 |
2 | 3 | フランソワ・セベール | ティレル-フォード | 12 | +30.1 | 5 | 6 |
3 | 6 | クレイ・レガツォーニ | フェラーリ | 12 | +37.1 | 4 | 4 |
4 | 5 | マリオ・アンドレッティ | フェラーリ | 12 | +2:05.0 | 11 | 3 |
5 | 15 | ロニー・ピーターソン | マーチ-フォード | 12 | +2:29.1 | 7 | 2 |
6 | 25 | ティム・シェンケン | ブラバム-フォード | 12 | +2:58.6 | 9 | 1 |
7 | 7 | ジョン・サーティース | サーティース-フォード | 12 | +3:19.0 | 15 | |
8 | 9 | レイネ・ウィセル | ロータス-フォード | 12 | +6:31.7 | 17 | |
9 | 24 | グラハム・ヒル | ブラバム-フォード | 12 | +6:37.0 | 13 | |
10 | 12 | ロルフ・シュトメレン | サーティース-フォード | 11 | +1 Lap | 12 | |
11 | 22 | ビック・エルフォード | BRM | 11 | +1 Lap | 18 | |
12 | 17 | ナンニ・ギャリ | マーチ-アルファロメオ | 10 | +2 Laps | 21 | |
Ret | 8 | エマーソン・フィッティパルディ | ロータス-フォード | 8 | オイル漏れ | 8 | |
Ret | 21 | ジョー・シフェール | BRM | 6 | イグニッションコイル[1] | 3 | |
Ret | 10 | クリス・エイモン | マトラ | 6 | アクシデント | 16 | |
Ret | 14 | アンリ・ペスカロロ | マーチ-フォード | 5 | サスペンション | 10 | |
Ret | 20 | ピーター・ゲシン | マクラーレン-フォード | 5 | アクシデント | 19 | |
Ret | 18 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 3 | 燃料漏れ | 6 | |
DSQ | 28 | マイク・ボイトラー | マーチ-フォード | 3 | 失格(コース逆走)[1] | 22 | |
Ret | 23 | ハウデン・ガンレイ | BRM | 2 | エンジン | 14 | |
Ret | 16 | アンドレア・デ・アダミッチ | マーチ-アルファロメオ | 2 | 燃料噴射装置 | 20 | |
Ret | 4 | ジャッキー・イクス | フェラーリ | 1 | アクシデント | 2 | |
DNQ | 27 | ヨアキム・ボニエ | マクラーレン-フォード | 予選不通過 | |||
WD | 27 | ヘルムート・マルコ | マクラーレン-フォード | ボニエのマシンをドライブ | |||
- 優勝者ジャッキー・スチュワートの平均速度[7]
- 184.191 km/h (114.451 mph)
- フランソワ・セベール - 7:20.1(10周目)
- ジャッキー・スチュワート - 12周 (全周回)
- 達成された主な記録
- ドライバー
- 初エントリー: ヘルムート・マルコ[19]
- 初入賞: ティム・シェンケン[14]
- 初ファステストラップ: フランソワ・セベール[3]
- 10回目のポールポジション: ジャッキー・スチュワート[3]
ギャラリー
[編集]-
アンドレア・デ・アダミッチがドライブするマーチ・711
-
ピーター・ゲシンがドライブするマクラーレン・M19A
-
エマーソン・フィッティパルディがドライブするロータス・72D
第7戦終了時点のランキング
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- 注: トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半5戦のうちベスト4戦がカウントされる。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1978年に国際自動車スポーツ連盟(FISA)に改編され、1993年に国際自動車連盟(FIA)へ吸収された。
- ^ ベルトワーズがマシンを止めたところにイグナツィオ・ギュンティが突っ込み、ギュンティが亡くなった。この件に対し、フランス自動車競技連盟(FFAS)はベルトワーズに3ヶ月間のライセンス停止を科している。
出典
[編集]- ^ a b c d (林信次 1993, p. 115)
- ^ a b c d e f g h i j k “German GP, 1971”. grandprix.com. 2020年2月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k “Germany 1971”. STATS F1. 2020年2月9日閲覧。
- ^ a b “The 33rd German Grand Prix”. Motor Sport Magazine. 2017年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月11日閲覧。
- ^ a b “Britain 1971”. STATS F1. 2020年2月9日閲覧。
- ^ “Germany 1971 - Race entrants”. STATS F1. 2020年2月11日閲覧。
- ^ a b c “Germany 1971 - Result”. STATS F1. 2020年2月11日閲覧。
- ^ Pritchard, Anthony (1972). The Motor Racing Year No3. ISBN 0393085023
- ^ “Germany 1971 - Qualifications”. STATS F1. 2020年2月9日閲覧。
- ^ “Germany 1971 - Starting grid”. STATS F1. 2020年2月9日閲覧。
- ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 265)
- ^ (林信次 1993, p. 19)
- ^ (林信次 1993, p. 17)
- ^ a b “戦績:T.シェンケン”. F1 DataWeb. 2020年2月10日閲覧。
- ^ “1971 German Grand Prix”. formula1.com. 16 October 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。22 December 2015閲覧。
- ^ “1971 German Grand Prix - RACE RESULT”. formula1.com. 2019年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月11日閲覧。
- ^ “Germany 1971 - Best laps”. STATS F1. 2020年2月11日閲覧。
- ^ “Germany 1971 - Laps led”. STATS F1. 2020年2月11日閲覧。
- ^ “戦績:H.マルコ”. F1 DataWeb. 2020年2月11日閲覧。
- ^ a b “Germany 1971 - Championship”. STATS F1. 18 March 2019閲覧。
参照文献
[編集]- Wikipedia英語版 - en:1971 German Grand Prix(2019年9月9日 4:34:47(UTC))
- 林信次『F1全史 1971-1975 [名手スチュワートの退場/若手精鋭たちの新時代]』ニューズ出版、1993年。ISBN 4-938495-05-8。
- アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2。
外部リンク
[編集]- “Formula One World”. 16 January 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。19 January 2008閲覧。
- Germany 1971 - STATS F1
- German GP, 1971 - grandprix.com
前戦 1971年イギリスグランプリ |
FIA F1世界選手権 1971年シーズン |
次戦 1971年オーストリアグランプリ |
前回開催 1970年ドイツグランプリ |
ドイツグランプリ | 次回開催 1972年ドイツグランプリ |