メルセデス・ベンツ・W196(オープンホイールボディーVer.)をドライブするファン・マヌエル・ファンジオ、1986年のニュルブルクリンク。
1955年のF1世界選手権は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第6回大会である[1]。1月16日のアルゼンチンで開幕し、9月11日のイタリアにおける最終戦まで全7戦で争われた。ファン・マヌエル・ファンジオが連覇、自身3度目のタイトルを獲得した。
シーズン概要[編集]
メルセデスが再びシーズンを支配し、ファンジオが4勝、新たなチームメイトのスターリング・モスが1勝を挙げた。 フェラーリはモナコにおいてメルセデスが故障、ランチアのアスカリがクラッシュ、海に落ちた後、モーリス・トランティニアンが優勝した。アスカリはこの事故でどうにか無事であったが、4日後モンツァにおいてスポーツカーのテスト中に事故死した。
6月11日に行われたル・マン24時間レースで大事故が発生、ピエール・ルヴェーと80名以上の観客が死亡し、フランス、ドイツ、スイスグランプリがキャンセルされた[2]。
モスがエイントリーで勝利し、タイトル争いはモンツァの最終戦まで持ち越された。モスは最終戦で故障のためリタイア、タイトルはファンジオが獲得した。
開催地及び勝者[編集]
エントリーリスト[編集]
チーム |
コンストラクター |
シャシー |
エンジン |
タイヤ |
ドライバー |
出場ラウンド |
ダイムラー・ベンツ |
メルセデス |
W196 |
メルセデス L8 |
C |
ファン・マヌエル・ファンジオ |
1-2, 4-7 |
カール・クリング |
1, 4-7 |
スターリング・モス |
1-2, 4-7 |
ハンス・ヘルマン |
1-2 |
アンドレ・シモン |
2 |
ピエロ・タルッフィ |
6-7 |
スクーデリア・フェラーリ |
フェラーリ |
625
555 |
フェラーリ L4 |
E |
ウンベルト・マグリオーリ |
1, 7 |
フロイラン・ゴンザレス |
1 |
モーリス・トランティニアン |
1-2, 4-7 |
ハリー・シェル |
2 |
ピエロ・タルッフィ |
2, 4 |
ポール・フレール |
2, 4 |
マイク・ホーソーン |
5-7 |
エウジェニオ・カステロッティ |
5-7 |
ジュゼッペ・ファリーナ |
1-2, 4, 7 |
ランチア |
D50 |
ランチア V8 |
ルイジ・ヴィッロレージ |
7 |
オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ |
マセラティ |
250F |
マセラティ L6 |
P |
ジャン・ベーラ |
1-2, 4-7 |
ロベルト・ミエレス |
1-2, 4-7 |
セルジオ・マントヴァーニ |
1 |
ルイジ・ムッソ |
1-2, 4-7 |
カルロス・メンディテギー |
1, 7 |
クレマール・ブッチ |
1 |
ハリー・シェル |
1 |
チェーザレ・ペルディーサ |
2, 4 |
アンドレ・シモン |
6 |
ピーター・コリンズ |
7 |
ホレース・グールド |
7 |
アルベルト・ウリア |
マセラティ |
A6GCM |
マセラティ L6 |
P |
アルベルト・ウリア |
1 |
スクーデリア・ランチア |
ランチア |
D50 |
ランチア V8 |
P |
アルベルト・アスカリ |
1-2 |
ルイジ・ヴィッロレージ |
1-2, 4 |
エウジェニオ・カステロッティ |
1-2, 4 |
ルイ・シロン |
2 |
ピエロ・ヴァレンツァーノ |
4 |
エキップ・ゴルディーニ |
ゴルディーニ |
T16 |
ゴルディーニ L6 |
E |
エリー・バイヨル |
1-2, 4 |
パブロ・ビルイェル |
1 |
ヘスス・イグレシアス |
1 |
ロベール・マンヅォン |
2, 4-6 |
ジャック・ポレー |
2, 5, 7 |
ヘルナンド・ダ・シルバ・ラモス |
5-7 |
マイク・スパーケン |
6 |
ジャン・ルーカス |
7 |
エキュリー・ロジェ |
マセラティ |
250F |
マセラティ L6 |
P |
ルイ・ロジェ |
2, 4-5 |
ヴァンウォール・プロダクツ・リミテッド |
ヴァンウォール |
VW55 |
ヴァンウォール L4 |
P |
マイク・ホーソーン |
2, 4 |
ケン・ウォートン |
2, 4, 6-7 |
ハリー・シェル |
6-7 |
スターリング・モス・リミテッド |
マセラティ |
250F |
マセラティ L6 |
D |
ランス・マックリン |
2, 6 |
ジョニー・クレエ |
4 |
ピーター・ウォーカー |
5 |
ジョン・フィッチ |
7 |
テッド・ホワイタウェイ |
HWM |
53 |
アルタL4 |
D |
テッド・ホワイタウェイ |
2 |
エキュリー・フィリピネッティ |
ゴルディーニ |
T16 |
ゴルディーニ L6 |
E |
ジャック・スウォーターズ |
4 |
プリンス・ビラ |
マセラティ |
250F |
マセラティ L6 |
P |
プリンス・ビラ |
4 |
エキップ・ナツィオナーレ・ベルゲ |
フェラーリ |
625
500 |
フェラーリ L4 |
E |
オリヴィエ・ジャンドビアン |
4 |
ジョニー・クレエ |
5 |
グールズ・ガレージ |
マセラティ |
250F |
マセラティ L6 |
D |
ホレース・グールド |
5-6 |
コンノート・エンジニアリング |
コンノート |
B |
アルタL4 |
D |
ケネス・マッカルパイン |
6 |
ジャック・フェアーマン |
6 |
ロブ・ウォーカー・レーシング・チーム |
コンノート |
B |
アルタL4 |
D |
トニー・ロルト |
6 |
ピーター・ウォーカー |
6 |
レスリー・マー |
コンノート |
B |
アルタL4 |
D |
レスリー・マー |
6 |
クーパー・カー・カンパニー |
クーパー |
T40 |
ブリストル L6 |
D |
ジャック・ブラバム |
6 |
オーウェン・レーシング・オーガニゼーション |
マセラティ |
250F |
マセラティ L6 |
D |
ピーター・コリンズ |
6 |
ギルビー・エンジニアリング |
マセラティ |
250F |
マセラティ L6 |
D |
ロイ・サルヴァドーリ |
6 |
スクーデリア・ヴォルピーニ |
アルザーニ・ヴォルピーニ |
F1 |
マセラティ L4 |
P |
ルイジ・ピオッティ |
7 |
1955年のドライバーズランキング[編集]
|
色 |
結果 |
金色 |
勝者 |
銀色 |
2位 |
銅色 |
3位 |
緑 |
ポイント獲得 |
青 |
完走 |
規定周回数不足(NC) |
紫 |
リタイア(Ret) |
赤 |
予選不通過(DNQ) |
予備予選不通過(DNPQ) |
黒 |
失格(DSQ) |
白 |
スタートせず(DNS) |
レース中止(C) |
水色 |
プラクティスのみ(PO) |
金曜日テストドライバー(TD)
2003年以降 |
空欄 |
プラクティス出走せず(DNP) |
除外 (EX) |
到着せず (DNA) |
撤退 (WD) |
|
- 斜体:ファステストラップ (1ポイントが与えられた。同タイムのドライバーがいた場合平等に割り当てられた。)
- 太字:ポールポジション
- †:1名以上のドライバーによってドライブされた車両。
- ポイントは1位から順に5位まで 8-6-4-3-2 が与えられた。ファステストラップを記録したドライバーにも1ポイントが与えられた。
- ベスト5戦のみがポイントランキングに数えられた。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
ノンタイトル戦結果[編集]
- ^ 1974 FIA Yearbook, Grey Section, Previous FIA Championship winners, page 118
- ^ Lang, Mike (1981). Grand Prix! Vol 1. Haynes Publishing Group. p. 82. ISBN 0-85429-276-4.
F1世界選手権 |
1950年代 |
|
1960年代 |
|
1970年代 |
|
1980年代 |
|
1990年代 |
|
2000年代 |
|
2010年代 |
|
|