1955年のF1世界選手権
表示
| 1955年のFIAフォーミュラ1 世界選手権 |
|||
| 前年: | 1954 | 翌年: | 1956 |
| 一覧: 開催国 | 開催地 | |||
| フォーミュラ1 |
|---|

1955年のF1世界選手権(1955ねんのエフワンせかいせんしゅけん)は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第6回大会である[1]。1月16日のアルゼンチンで開幕し、9月11日のイタリアにおける最終戦まで全7戦で争われた。ファン・マヌエル・ファンジオが連覇、自身3度目のタイトルを獲得した。
シーズン概要
[編集]
メルセデスが再びシーズンを支配し、ファンジオが4勝、新たなチームメイトのスターリング・モスが1勝を挙げた。 フェラーリはモナコにおいてメルセデスが故障、ランチアのアスカリがクラッシュ、海に落ちた後、モーリス・トランティニアンが優勝した。アスカリはこの事故でどうにか無事であったが、4日後モンツァにおいてスポーツカーのテスト中に事故死した。
6月11日に行われたル・マン24時間レースで大事故が発生、ピエール・ルヴェーと80名以上の観客が死亡し、フランス、ドイツ、スイスグランプリがキャンセルされた[2]。
タイトルはファンジオとモスが争った。エイントリーでの第6戦イギリスグランプリはモスが勝利したが、ファンジオがモスに続いて2位でフィニッシュしたことで、最終戦を残してファンジオの2年連続3回目のタイトルが確定した。
開催地及び勝者
[編集]| ラウンド | レース | サーキット | 開催日 | ポールポジション | ファステストラップ | 優勝者 | コンストラクター | タイヤ | レポート |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | オスカル・ガルベス | 1月16日 | C | 詳細 | |||||
| 2 | モナコ | 5月22日 | E | 詳細 | |||||
| 3 | インディアナポリス | 5月30日 | F | 詳細 | |||||
| 4 | スパ・フランコルシャン | 6月5日 | C | 詳細 | |||||
| 5 | ザントフォールト | 6月19日 | C | 詳細 | |||||
| 6 | エイントリー | 7月16日 | C | 詳細 | |||||
| 7 | モンツァ | 9月11日 | C | 詳細 |
エントリーリスト
[編集]1955年のドライバーズランキング
[編集]
|
|
- 斜体:ファステストラップ (1ポイントが与えられた。同タイムのドライバーがいた場合平等に割り当てられた。)
- 太字:ポールポジション
- †:1名以上のドライバーによってドライブされた車両。
- ポイントは1位から順に5位まで 8-6-4-3-2 が与えられた。ファステストラップを記録したドライバーにも1ポイントが与えられた。
- ベスト5戦のみがポイントランキングに数えられた。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
ノンタイトル戦結果
[編集]| レース | サーキット | 開催日 | 優勝者 | コンストラクター | レポート |
|---|---|---|---|---|---|
| ブエノスアイレス | 1月30日 | 詳細 | |||
| ヴァレンティーノ・パーク | 3月27日 | 詳細 | |||
| ポー | 4月11日 | 詳細 | |||
| グッドウッド | 4月11日 | 詳細 | |||
| ボルドー | 4月25日 | 詳細 | |||
| シルバーストン | 5月7日 | 詳細 | |||
| ポジリポ | 5月8日 | 詳細 | |||
| アルビ | 5月29日 | 詳細 | |||
| スネッタートン | 5月29日 | 詳細 | |||
| デヴィッドストウ | 5月30日 | 詳細 | |||
| クリスタル・パレス | 7月30日 | 詳細 | |||
| チャーターホール | 8月6日 | 詳細 | |||
| スネッタートン | 8月13日 | 詳細 | |||
| エイントリー | 9月3日 | 詳細 | |||
| オールトン・パーク | 9月24日 | 詳細 | |||
| キャッスル・コンブ | 10月1日 | 詳細 | |||
| シラクサ | 10月23日 | 詳細 |
注
[編集]- ^ 1974 FIA Yearbook, Grey Section, Previous FIA Championship winners, page 118
- ^ Lang, Mike (1981). Grand Prix! Vol 1. Haynes Publishing Group. p. 82. ISBN 0-85429-276-4