鮎川純太

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鮎川 純太(あゆかわ じゅんた、1960年9月14日 - )は日本の実業家である。テクノベンチャー株式会社代表取締役会長で、米国マサチューセッツ州ボストン出身のカトリック教徒である。鮎川義介は祖父に、鮎川弥一は父にそれぞれあたる。

経歴[編集]

成蹊大学経済学部を経てマサチューセッツ工科大学大学院で経営学を修めて帰国後に、山一證券企業開発部でサンスイの英企業への売却や日系企業による米国ベンチャー企業の買収等、国内外のM&Aを担当する。

1991年に父弥一の死に伴い石川六郎石原俊三澤千代治、石坂一義らの後援で1992年にテクノベンチャー代表取締役会長として入社し、1993年6月に代表取締役社長を兼務する。 日本アジア投資元常務岡崎善郎とジェネンテック創業者ロバート A. スワンソンを社外取締役に招聘する。ネットスケープ創設に際し出資業務に関わり、クライナー・パーキンス・コーフィールド・アンド・バイヤーズ日本人スペシャルリミテッドパートナーと、リチャード・リーの依頼でパシフィック・センチュリー・サイバーワークス・ジャパン創業時取締役を務め、日産公益財団法人や国内外の企業、財団及びNGO等の理事・役員も兼務している。豊田章一郎大賀典雄の招請で大賀が座長する経団連専門部会でロバート A. スワンソンと共に講演する。義介が日産コンツェルンの創始者であることからそれら企業に関わりがある。

2005年1月11日に杉田かおると結婚して8月11日に離婚し、関西テレビの番組内で離婚に関する杉田の過剰な発言を「事実関係を歪曲しており、自分の名誉を毀損・侮辱するものである」として関西テレビに訂正放送謝罪を要求し、放送倫理・番組向上機構人権委員会に同内容の人権救済の措置を申し立てる。鮎川の主張は全面的に認められて関西テレビは再発防止を求める勧告が処分される。

企業[編集]

テクノベンチャーは、鮎川義介が第二次大戦終戦後にベンチャー企業およびベンチャー企業家の発掘と育成の重要性を痛感し、1952年に中小企業助成会なる名称で発起して第一生命を中心とする生命および損害保険各社が出資する会社型ファンドの満州投資証券が前身にあたる。義介は東京通信工業創業時に井深大から依頼を受けて満州投資証券の事務所があった日本橋白木屋で使われていない電話交換室の一部などを事務所として提供して出資し、東都銀行を中小企業助成銀行に改組して中小企業向けの直接金融間接金融を手掛ける。鮎川弥一は義介没後にベンチャー育成を受け継いでマサチューセッツ工科大学など米国で幅広いネットワークを作り、日本のベンチャーキャピタル業務のあり方を提案する。

親族[編集]