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遠田誠治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
遠田 誠治
トッキュウ・ブルーローズ 監督
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道増毛郡増毛町
生年月日 (1964-05-11) 1964年5月11日(62歳)
身長
体重
176 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1985年 ドラフト6位
初出場 1988年4月8日
最終出場 1990年5月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
指導者歴

遠田 誠治(えんだ せいじ、1964年5月11日 - )は、北海道増毛郡増毛町[1]出身の元プロ野球選手・現アマチュア野球指導者

来歴・人物

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北海高では、中距離ヒッターの遊撃手として主軸を打っていた。3年春の選抜にエース安田や同じ増毛中出身の河尻と共に出場、北海が久々に(11年ぶり、選抜は19年ぶり)甲子園に戻ってきたと話題になった[1]。本大会ではエース川相昌弘巨人-中日)、3番横谷総一阪神)、4番本間立彦日本ハム)を擁する岡山南高と対戦し2-3で敗れている。その後、春の全道大会は優勝するも夏は南北海道大会準々決勝で延長13回サヨナラ負け。

高校卒業後は、社会人野球新日本製鐵室蘭に入団、2年目から頭角を現し、俊足の内野手として都市対抗野球などで活躍した。

1985年のドラフト会議中日ドラゴンズから6位での指名を受けるも、会社に1年残留し、翌1986年のオフに入団した[1]

プロ入り後は、俊足を活かすために外野手に転向し、代走守備固めが中心だったが、1989年には星野監督に見込まれ先発メンバーに名を連ねることもあった。しかし、若手選手の台頭や新外国人・移籍選手の入団により出番が激減し、1992年に現役を引退した[1]

プロ引退後は、1999年のOBオールスター戦で優秀選手賞を受賞している。

学生野球資格の回復により、2014年4月より札幌創成高の部長に就任[2]2016年4月より同校の監督に就任[3]2019年のドラフト会議で教え子の竹内龍臣投手)が中日ドラゴンズから6位での指名を受けた(記述されているように遠田誠治も1985年のドラフト会議で竹内龍臣と同じ6位での指名を受けている)[4]

2022年の秋季大会をもって札幌創成高校の監督を退任し、翌2023年4月末に同校を退職した[5]。同年5月、北海道岩見沢市の運送会社トッキュウが立ち上げる社会人野球クラブチーム、トッキュウ・ブルーローズの監督に就任[5]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1988 中日 8212000000011000010.000.000.000.000
1989 4131267610071623110050.231.250.269.519
1990 6222000000020000010.000.000.000.000
通算:3年 55352911610071654110070.207.226.241.467

記録

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背番号

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  • 36 (1987年 - 1992年)

脚注

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  1. 1 2 3 4 プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、93ページ
  2. “元中日遠田氏“星野流”で札幌創成初指導newspaper=日刊スポーツ. (2014年4月5日) 2019年10月22日閲覧。 {{cite news}}: URLを指定する場合、タイトルに内部リンクを含めないでください。 (説明)
  3. “札幌創成が創部53年目初の秋全道 元プロ監督導く”. 日刊スポーツ. (2016年9月13日) 2019年10月22日閲覧。
  4. “中日6位竹内「ほっと」無名の札幌創成から初のプロ”. 日刊スポーツ. (2019年10月17日) 2019年10月22日閲覧。
  5. 1 2 西川薫「岩見沢に3四半世紀ぶり社会人野球チーム誕生 「トッキュウブルーローズ」発足へ」『道新スポーツ』2023年4月8日。2023年5月8日閲覧。

外部リンク

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