戦争遺跡

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戦争遺跡(せんそういせき)は、戦争の痕跡、戦跡、戦蹟。戦争のために造られた施設や、戦争で被害を受けた建物などで、現在もそのままないし遺構として残っているものを含む。かつての戦争の時代を物語る遺跡であり、後世に伝えることで歴史の生きた教材になりうる。

世界の戦争遺跡[編集]

日本には平和博物館が100以上あるが、欧米ではとても少なく、海外では軍事博物館が主流となっており、自国の軍事行動を礼賛するかたちで、加害の部分にはあまり目を向けない傾向がある[1]。行政学の十菱駿武(戦争遺跡ネットワーク)は、「加害と被害を平等に取り上げ過去の歴史から学び平和の問題を考える視点があるのは中国韓国だが、両国を除けばフランスドイツベルギーオランダぐらいである」と述べている[1]

日本における戦争遺跡[編集]

日本には全国におよそ2万から3万か所の戦争遺跡があるといわれ[1]、1980年代半ば頃から、戦争体験を伝える一環として、各地の戦争遺跡の調査や記録、保存運動などが行われてきた。(1987年に戦争体験を記録する会『大阪の戦争遺跡ガイドブック』が刊行された)自治体による文化財指定の最古は1977年沖縄県伊江島公益質屋の指定である。

戦争遺跡が文化財の指定を多く受ける流れに変化したのは、戦後50年を経た1995年だったという[1]。戦争体験者が減り、戦争の記憶を語り継ぐ語り部が"ひと"から"もの"へと移行する中で、戦争遺跡の保存・活用の流れが強まった。また戦争遺跡が都市開発などによって消滅するスピードが速まり、歴史の証人である戦争遺跡を失えば、平和の価値や未来への指針もわからなくなるという危機感から、「戦争遺跡ネットワーク」が結成されるなどの動きも生じ、文化財指定も広がった[1]

指定を受けたものには、第二次世界大戦期のものが多いが、西南戦争の戦跡なども含まれる。近年では保存措置が講じられたり、文化財として指定される事例も出ている。しかしながら、その価値が十分に理解されているとは言えず、特に近世の建築遺構と戦争遺跡がかち合う場合、戦争遺跡の調査・保存が軽視されがちなのも事実である。

おもな戦跡[編集]

近現代の軍事遺跡[編集]

その他の戦争遺跡[編集]

現存する熊谷陸軍飛行学校桶川分教場

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e 稗田和博「すその広い戦争遺跡保存運動、学術的、歴史的な価値いかし、町づくりへも」、『ビッグイシュー日本版』第124号、有限会社ビッグイシュー日本、大阪市、2009年8月1日、 16頁、2017年5月17日閲覧。

関連項目[編集]

参考図書[編集]

  • 十菱駿武・菊池実(編集)『しらべる戦争遺跡の事典』柏書房、2002年6月。ISBN 4760122168
  • 十菱駿武・菊池実(編集)『続 しらべる戦争遺跡の事典』柏書房、2003年6月。ISBN 4760123903