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石川県立大聖寺高等学校

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石川県立大聖寺高等学校
地図北緯36度18分34.5秒 東経136度19分9.3秒 / 北緯36.309583度 東経136.319250度 / 36.309583; 136.319250座標: 北緯36度18分34.5秒 東経136度19分9.3秒 / 北緯36.309583度 東経136.319250度 / 36.309583; 136.319250
過去の名称 (大聖寺高女)
江沼郡立実科高等女学校
石川県江沼郡高等女学校
石川県立大聖寺高等女学校
(大聖寺中)
石川県立大聖寺中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 石川県の旗 石川県
学区 全県一学区
併合学校 石川県立大聖寺中学校
石川県立大聖寺高等女学校
設立年月日 1911年
創立記念日 4月15日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード D117220600028 ウィキデータを編集
高校コード 17102G
所在地 922-8510
石川県加賀市大聖寺永町33-1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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石川県立大聖寺高等学校の位置(石川県内)
石川県立大聖寺高等学校

石川県立大聖寺高等学校(いしかわけんりつ だいしょうじこうとうがっこう、: Ishikawa Prefectural Daishoji High School)は、石川県加賀市大聖寺永町にある公立高等学校

概要

通称は「聖高(せいこう)」。北前船主の寄付により1911年明治44年)に地域の女子中等教育を担うべく江沼郡立実科高等女学校として創立された。その後「加賀江沼の地に中学校を」との設置運動がおこり、1923年大正12年)には男子の通う石川県立大聖寺中学校が創立された。高校・大学進学が一般化する前の時代には地域の核を担う人材育成が行われる場という認識が持たれており、「江沼大学」の愛称もあった[1]

スーパーイングリッシュランゲージハイスクール (SELHi) に指定されている。設置学科は普通科のみだが、普通コース、人文国際コース(平成18年度入学生まで)、国際文化コース(平成19年度入学生から)に分かれる。普通コース、国際文化コース(平成23年度より募集停止)は入試の段階から別枠の募集となるが、併願も可能である。平成28年度より普通コース内に特進クラスが設けられた[2]。かつては総合制高校として商業、家庭、定時制と定時制の分校が設置されていた(商業は石川県立大聖寺実業高等学校に、定時制は石川県立加賀聖城高等学校に分離独立。家庭科は廃止)。

校舎

校舎は加賀市大聖寺の中心部にある。大聖寺は加賀藩の支藩大聖寺藩城下町であった。その地縁から旧藩の主であった前田子爵(大聖寺藩第14代藩主前田利鬯)邸敷地を高等女学校校舎用及びいずれ創立されるであろう中学校用に寄付された。敷地内の「貞志庵」はその前田家の茶室であり、現在の校舎敷地に移築し保存しているものである。

現在の校門(正門)は創立80周年記念に同窓会から寄付されたもので大聖寺藩をイメージしている。屋根瓦には(設立順に)高等女学校・中学校・現在の大聖寺高等学校の校章が刻まれている。

校歌

作詞:折口信夫(前身の大聖寺高等女学校の校歌の作詞も手がける)、作曲:清水脩

沿革

石川県立大聖寺高等女学校(前身校)

  • 1911年(明治44年)4月 - 江沼郡立実科高等女学校として創立。校舎は現在の加賀市大聖寺八間道にあった。
  • 1912年(大正元年)11月 - 旧大聖寺藩主邸の敷地を寄付され、現在の加賀市大聖寺耳聞山町に移転。
  • 1921年(大正10年)4月 - 石川県江沼郡高等女学校と改称。
  • 1923年(大正12年)4月 - 石川県立大聖寺高等女学校と改称。
  • 1948年昭和23年)4月 - 石川県立大聖寺中学校と統合し石川県立大聖寺高等学校となる。
  • 1951年(昭和26年)3月 - 廃止。

石川県立大聖寺中学校(前身校)

  • 1923年(大正12年)4月 - 創立。校舎は現在の加賀市大聖寺八間道に設置。
  • 1925年(大正14年)4月 - 現在の大聖寺高等学校校舎の敷地(大聖寺永町)に移転。
  • 1948年(昭和23年)4月 - 石川県立大聖寺高等女学校と統合し石川県立大聖寺高等学校となる。
  • 1951年(昭和26年)3月 - 廃止。

石川県立大聖寺高等学校

  • 1948年(昭和23年)
    • 4月 - 石川県立大聖寺中学校、石川県立大聖寺高等女学校を統合して石川県立大聖寺高等学校が設置。
    • 7月 - 定時制課程(夜間部・普通課程)を設置。(同時に片山津分校を設置)
    • 10月 - 定時制課程山中分校を設置
  • 1949年(昭和24年)4月 - 総合制高校として普通、商業、家庭の3課程設置。
  • 1953年(昭和28年)2月 - 家庭科廃止。
  • 1954年(昭和29年)4月 - 定時制課程山代分校を設置。
  • 1959年(昭和34年)3月 - 創立50周年記念図書館竣工。
  • 1963年(昭和38年)6月 - 管理棟竣工。
  • 1964年(昭和39年)4月 - 定時制家政科(昼間)を設置。
  • 1965年(昭和40年)9月 - 商業科が石川県立大聖寺実業高等学校として分離独立。
  • 1966年(昭和41年)
  • 1970年(昭和45年)3月 - 教育棟竣工。
  • 1971年(昭和46年)8月 - プール竣工。
  • 1980年(昭和55年)9月 - 創立70周年記念鴻志館(同窓会館)竣工。
  • 1984年(昭和59年)12月 - 第1体育館竣工、中庭整備竣工。
  • 1989年平成元年)4月 - 特別教室棟竣工。
  • 1991年(平成3年)8月 - 創立80周年記念校門竣工。
  • 1996年(平成8年)6月 - 校舎防音(除湿)工事完了。
  • 1997年(平成9年)4月 - 普通科内に人文国際コース設置。
  • 2000年(平成12年)
    • 10月 - 時計塔の設置。
    • 12月 - 校舎耐震工事完了。
  • 2005年(平成17年)4月 - SELHi事業指定(3年間)。
  • 2007年(平成19年)4月 - 人文国際コースを改変、国際文化コースを設置。
  • 2010年(平成22年)10月 - 百周年記念図書館竣工。
  • 2011年(平成23年)3月 - 国際文化コース募集停止。
  • 2013年(平成25年)7月 - 西門付近駐車場整備。
  • 2016年(平成28年)
    • 4月 - 普通科内に特進クラス設置。
    • 11月 - 教室棟大規模改修工事・太陽光発電設備設置工事完了。
  • 2024年(令和6年)1月1日 - 令和6年能登半島地震の揺れで多目的室の天井が落下するなどの被害を受ける[3]

教育目標

自主自律の精神を堅持し、自他の生命と個性とを尊び、気品と活力のある創造性豊かな人間の育成を期す。

部活動

運動部

野球部は、春、夏とも甲子園出場経験はないが、1956年(昭和31年)の夏の大会石川県予選の決勝で金沢泉丘高校を破って優勝したことがある。この時代は1県1代表ではなく、北陸地区予選で敗退し甲子園への夢を断たれている。

陸上、体操、テニス、山岳、弓道部は北信越大会、個人あるいは団体での高校総体国体出場などの実績がある。

弓道部は石川県内で最も長い伝統を持つ[4]。県内の弓道部は小笠原流が圧倒的多数であるが、本校は日置流印西派に所属している[5]

2011年(平成23年)に県内初の女子サッカー部が新設された[6]

文化部

吹奏楽、放送(旧・報道)部、ESS(旧・語学部)が特に盛んであり、活発な活動(吹奏楽の定期演奏会など)及び好成績(全国や中部地方の大会の出場)を継続的に残している。 他に美術部、演劇部、文芸部も地道な活動を行っており、個人活動の範囲であるが、近年、囲碁全国大会出場の女子生徒を数名輩出した。

所在地

〒922-8510 石川県加賀市大聖寺永町33-1

アクセス

著名な出身者

著名な関係者・教職員

脚注

  1. ^ 大聖寺高等学校百年史。
  2. ^ 第74号同窓会報「聖流」
  3. ^ 令和6年能登半島地震による被害等の状況等について(教育委員会)”. 石川県 (2024年1月13日). 2024年1月13日閲覧。
  4. ^ 第73号同窓会報「聖流」
  5. ^ 大聖寺高等学校ホームページ部活紹介参照。
  6. ^ 北國新聞朝刊(2015年6月2日)。
  7. ^ ロンドンオリンピック壮行会が行われました。 - 順天堂大学陸上競技部。

関連項目

外部リンク