銭谷欽治
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銭谷 欽治(ぜにや きんじ、男性、1953年3月13日 - )は、石川県加賀市出身の日本の元バドミントン選手。現在は日本バドミントン協会の専務理事を務める[1]。
来歴[編集]
石川県立大聖寺高等学校-中央大学-河崎ラケット工業-三洋電機 (1984年入社)[2]。 全日本総合バドミントン選手権大会男子シングルで1976年から4連覇など7回の優勝を持つ。
1990年、三洋電機監督に就任。1996年から三洋電機女子チームを全日本実業団バドミントン選手権大会4連覇に導いた。 日本バドミントン協会理事・選手強化本部本部長、大阪府バドミントン協会理事長、三洋電機総務人事本部文化・スポーツ推進部部長等を歴任する。
石川県はバドミントンが盛んで多くの有名選手を輩出しているが、その殆どはバドミントン王国である県中央部の金沢市出身あるいは金沢市の学校の出身者であり、県西南端の加賀市出身の選手が活躍するのは稀なことであった。 そのため、銭谷の出身地である加賀市などを含む南加賀地区では銭谷の功績を記念し、1985年から『銭谷杯争奪少年バドミントン大会』を開催している。
主な戦績[編集]
- 1970年 男子シングル準優勝
- 1972年 男子シングル3位
- 1973、1974年 男子シングル優勝
- 1972、1973年 男子ダブルス3位(1972年は相川進、1973年は尾崎幹夫とのペア)
- 1974年 男子ダブルス準優勝(山本茂樹とのペア)
- 1973、1974年 団体の部優勝(中央大学)
全日本社会人バドミントン選手権大会
- 1976、1979、1980、1983年優勝
全日本実業団バドミントン選手権大会
- 1975、1976、1977、1979、1980、1981年 男子シングル優勝
- 1977年 男子団体の部優勝(河崎ラケット工業)
国民体育大会バドミントン競技
- 1975、1977年 一般男子団体の部準優勝(東京都チーム)
- 1974、1976、1977、1978、1979、1981、1984年 男子シングル優勝
- 1985年 3位(この年で引退。翌年より三洋電機バドミントン部コーチ)
- 1981年 男子ダブルス優勝(西山博司とのペア)
トマス杯(世界国別対抗戦)
1979年と1982年に日本は地区予選を勝ち抜き本大会に出場。共に主戦選手に選ばれている。 1979年には準決勝進出している。
脚注[編集]
- ^ 意識改革、海外転戦/バドミントン強さの秘密を聞く日刊スポーツ、2016年3月15日
- ^ 三洋電機バドミントンチームの歩み
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