田幡

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田幡
—  町名  —
田幡の位置(愛知県内)
田幡
田幡
田幡の位置
座標: 北緯35度11分44.393秒 東経136度54分32.708秒 / 北緯35.19566472度 東経136.90908556度 / 35.19566472; 136.90908556
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Aichi Prefecture.svg 愛知県
Flag of Nagoya, Aichi.svg 名古屋市
町名制定 1921年
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 462-0843(北区田幡)
451-0026(西区田幡町)
ナンバープレート 名古屋

田幡(たばた)は、愛知県名古屋市北区西区にある地名。現在の行政地名として、北区田幡には1丁目・2丁目、北区田幡町には3つの字が、西区田幡町には1つの字がある。郵便番号は北区田幡が462-0843、西区田幡町が451-0026で、北区田幡町には配達先がないため設定されていない。

地理[編集]

西区と北区にまたがって現存する田幡町と、昭和時代に新たに編成された田幡からなる。現在は地理的に離れて存在しているが、すべて西春日井郡田幡村をルーツとする地名である。田幡町は西区田幡町字西ハサバと、北区田幡町字東東光寺・西東光寺・塩藪の計4つの字として残されている。字西ハサバは住宅地であるが、北区に残る田幡町は堀川(黒川)と道路の一部で宅地は存在しない。北区田幡は区の南西部に位置する。丁目は南から順に付番されている。東端は国道41号(道路上に名古屋高速道路1号楠線)を境に黒川本通1丁目、北端は名古屋市道名古屋環状線を境に東側が志賀南通1丁目で西側が城見通3丁目、西端は金城3・4丁目、南端は堀川(堀川は前述の通り北区田幡町)を挟んで西側が柳原3丁目と東側が清水4丁目と接している。西区田幡町は区の東端に位置する。東は北区駒止町、北から西にかけて城北町、南は秩父通に接する。

河川[編集]

歴史[編集]

由来[編集]

田幡という地名について、『尾張国地名考』には棚機から転じたという説と田之端(たのはた)から転じたという説の二説が紹介されているという[1]。 また、字西ハサバについては珍地名(主に交差点名・バス停名)として知られており、由来として複数の説が指摘されている。一つは「川と川の間が狭いという『はざま』がなまった」と言う説、一つは「機織りの『機場(はたば)』がなまった」とする説、一つは「新潟・富山・福井・岐阜などで」「稲架」の意として使われるという[2]「稲架(はさ)」のある場所としての「稲架場(はさば)」であるとする説の三説である。[3]地元の地名研究家である水谷盛光によれば、かつて付近には機織り工場が多く所在し「機場(はたば)」と称していたのを、名古屋市交通局がバス停を設置する際に「ハサバ」としたために生まれた地名であり、現在は繊維業の衰退によりその痕跡がなくなってしまったという[4][5]。また、名古屋史料研究所の山田寂雀は、「一帯には三郷用水などがあり、水路が入り組んでいた」ことから「狭間」が転じた説を支持し、「稲架場」説に理解を示しつつも疑問を呈している[3]

沿革[編集]

  • 南北朝時代から戦国時代 - 尾張国山田郡の郷、のちに春日部郡の郷となる。この時代の複数の記録に存在が記されている。
  • 江戸時代 - 尾張国春日井郡の尾張藩領、大代官所支配の田幡村として記録されている。
  • 1856年(安政3年) - 同村在住の富永莘陽の手により田幡村の地誌である『田幡誌』が成立する。[6]
  • 1880年(明治13年) - 西春日井郡成立により、同郡所属となる。
  • 1889年(明治22年) - 西春日井郡金城村の大字田幡となる。
  • 1921年(大正10年)8月22日 - 名古屋市編入に伴い、同市西区田幡町となる[7]
  • 1937年(昭和12年) - 一部が東区田幡町となる。
  • 1944年(昭和19年) - 北区成立に伴い、東区田幡町が北区田幡町となり、同時に西区田幡町から一部が編入される。
  • 1952年(昭和27年)12月20日 - 以下の区域変更が行われた[7]
    • 北区田幡町の一部(字田・釈迦堂・畑中・堀田・市場屋敷・馬出し・浜江場・志賀前・猪ノ木・森下の各一部)・杉村町の一部(字道下の一部)・志賀町の一部(字勘定寺前の一部)により北区田幡町1~2丁目が編成される。
    • 北区田幡町の一部(字畑中・猪ノ木・森下・堀田・北原・中屋敷・塩藪・市場屋敷・志賀前・志賀前角田の各一部)が金城町1~2丁目に編入。
    • 北区田幡町の一部(字北蓮花寺・南蓮花寺・円蔵・北原・志賀前角田の各一部)が駒止町1~2丁目に編入。
    • 北区田幡町の一部(字南蓮花寺・八反田・横枕・円蔵・ハサバ・志賀前・猪ノ木・北原・志賀前角田・釈迦堂・深ノ川・馬出し・浜江場の各一部)が城見通1~3丁目に編入。
    • 北区田幡町の一部(字深ノ川・志賀前の各一部)が敷島町に編入。
    • 北区田幡町の一部(字前並下ノ町・前並中ノ町・前並上ノ町・塩藪の各一部)が七夕町1~2丁目に編入。
    • 北区田幡町の一部(字二反田・乾イ出・御膳田・天神田・前並下ノ町・前並中ノ町・半ノ木・西屋敷・堀田・前並上ノ町・中屋敷・塩藪の各一部)が中富町1~2丁目に編入。
    • 北区田幡町の一部(字御膳田・八反田・ハサバ・天神田・南蓮花寺・二反田・乾イ出・西屋敷・森下・堀田・寺裏・北原の各一部)が若園町1~2丁目に編入。
  • 1952年(昭和27年)から1982年(昭和57年) - この期間に北区田幡町の一部より七夕町[8]・中富町[9]・若園町[10]・敷島町[11]・黒川本通・柳原・清水・田幡が編成され、北区田幡町の面積を減らしていった。
  • 1953年(昭和28年)12月15日 - 北区田幡町の一部(字釈迦堂の一部)が黒川本通1~5丁目に編入[7]
  • 1954年(昭和29年) - 西区田幡町の一部が西区上名古屋町秩父通城北町内江町となる。
  • 1954年(昭和29年)5月1日 - 北区田幡町の一部(字円蔵・北蓮花寺・志賀前角田の各一部)が駒止町1~2丁目に編入。また、北区田幡町の一部(字志賀前の一部)が敷島町に編入[7]
  • 1958年(昭和33年)2月1日 - 北区田幡町の一部(字割田の一部)が七夕町1丁目に編入。また、北区田幡町の一部(字四反田・天神田・御膳田の各一部)が中富町1丁目に編入[7]
  • 1980年(昭和55年) - 北区田幡町・金城町・城見通・志賀南通・黒川本通・杉村町の各一部より北区田幡1丁目が成立する。
  • 1982年(昭和57年) - 北区田幡の区域が再び変更され、2丁目が編成された。また、この年までに北区田幡町が黒川の部分を残し消滅した。

字一覧(田幡村)[編集]

西ハサバ交差点(田幡町外に位置する)

配列・読み仮名は『北区誌』(1994年版)551頁による[12]

  • 坊田(ぼうた)
  • 釈迦堂(しゃかどう)
  • 馬出(うまだし)
  • 深ノ川(ふけのかわ)
  • 畑中(はたなか)
  • 志賀前(しがまえ)
  • 猪ノ木(いのき)
  • 森下(もりした)
  • 堀田(ほりた)
  • 寺裏(てらうら)
  • 北原(きたはら)
  • 志賀前角田(しがまえすみだ)
  • 南蓮花寺(みなみれんげじ)
  • 北蓮花寺(きたれんげじ)
  • 二反田(にたんだ)
  • 御膳田(おぜんだ)
  • 八反田(はったんだ)
  • 横枕(よこまくら)
  • 円蔵(えんぞう)
  • 西ハサバ(にしはさば)地図
  • ハサバ(はさば)
  • 天神田(てんじんだ)
  • 犬イ出(いぬいで)
  • 四反田(したんだ)
  • 割田(わりだ)
  • 半ノ木(はんのき)
  • 前並下ノ町(まえなみしものちょう)
  • 前並中ノ町(まえなみなかのちょう)
  • 前並上ノ町(まえなみかみのちょう)
  • 西屋敷(にしやしき)
  • 塩藪(しおやぶ)地図
  • 中屋敷(なかやしき)
  • 市場屋敷(いちばやしき)
  • 西東光寺(にしとうこうじ)地図
  • 東東光寺(ひがしとうこうじ)地図

交通[編集]

鉄道[編集]

バス[編集]

  • 名古屋市交通局
    • 黒川停留所 - 7番のりば(幹栄1系統 - 西部医療センター行 名駅15系統 - 名古屋駅行) 10番のりば(幹栄1系統 - 如意住宅・水分橋行 黒川12系統 - 中切町行) 降車専用停留所[13]
    • 城見町停留所 - 北巡回(左回り黒川行)停[14]
    • 田幡一丁目停留所 - 北巡回(左回り黒川行)停[15]

施設[編集]

北区田幡[編集]

旧跡[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』、角川書店、1989年、807頁。
  2. ^ 広辞苑第四版』岩波書店、2053頁。
  3. ^ a b なごや特走隊 地名「西ハサバ」の由来は? 川の「はざま」説有力か(中日新聞2008年6月23日付)2013年8月30日閲覧。
  4. ^ 大竹敏之『名古屋真相追Q局』海越出版社、1997年7月、159頁。
  5. ^ 大竹敏之知多半島.net 知多半島 裏観光 その10 東海市のヤカン池2013年9月6日閲覧。
  6. ^ 愛知県図書館貴重和本デジタルライブラリー 田幡誌2013年8月30日閲覧。
  7. ^ a b c d e 名古屋市北区役所市民室『北区 私たちのまち』名古屋市北区役所、1979年3月、61頁。
  8. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 23 愛知県』、角川書店、1989年、806頁。
  9. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 23 愛知県』、角川書店、1989年、943頁
  10. ^ 名古屋市北区役所市民室『北区 私たちのまち』名古屋市北区役所、1979年3月、68頁。
  11. ^ 名古屋市北区役所市民室『北区 私たちのまち』名古屋市北区役所、1979年3月、58頁。
  12. ^ 北区制50周年記念事業実行委員会編『北区誌』1994年
  13. ^ なごや地図ナビ(名古屋市交通局)2013年8月30日閲覧。
  14. ^ なごや地図ナビ(名古屋市交通局)2013年8月30日閲覧。
  15. ^ なごや地図ナビ(名古屋市交通局)2013年8月30日閲覧。

外部リンク[編集]

  • ウィキメディア・コモンズには、田幡に関するカテゴリがあります。