田中秀道

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No image.svg 田中 秀道 Golf pictogram.svg
Hidemichi tanaka
基本情報
名前 田中 秀道
生年月日 (1971-03-29) 1971年3月29日(47歳)
身長 166 cm (5 ft 5 in)
体重 62 kg (137 lb)
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県広島市
経歴
成績
優勝回数 日本男子:10勝
初優勝 フィリップモリス・チャンピオンシップ(1995年)
賞金ランク最高位 日本男子:3位(1998)
米国男子:69位(2003) 
2012年10月11日現在
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田中 秀道(たなか ひでみち、1971年3月29日 - )は、広島県広島市出身のプロゴルファーである。身長166cm、体重62kgと小柄な体格ながら、力強いスイングを見せる。テーラーメイドゴルフと用具契約を結んでいる。

略歴[編集]

11歳から自宅裏の空地でゴルフを始める。同郷の倉本昌弘に憧れプロを目指し、広島県瀬戸内高等学校山本圭一はゴルフ部の3年先輩、河井博大谷原秀人は後輩)を卒業後、1991年10月にプロ入り。1995年の「フィリップモリス・チャンピオンシップ」でツアー初優勝。1998年日本オープン選手権でメジャータイトルを獲得した。1999年の「アコムインターナショナル」や2000年の「ダイドードリンコ静岡オープン」など、日本ゴルフツアーで「10勝」を挙げる。2000年11月の世界ゴルフ選手権シリーズ第3戦、アメリカン・エクスプレス選手権(バルデラマ・ゴルフクラブ、スペイン)で優勝争いに加わり、最終日にスコアを崩して11位に終わったが、この経験から世界挑戦への意欲を高めた。

日本ツアーで「10勝」を挙げた後、2001年末のアメリカPGAツアーの「Qスクール」最終予選に合格。田中は日本ゴルフツアーの賞金ランキング上位者として最終予選からの参加を認められ、6日間競技の予選会を勝ち抜いて、2002年から米国ツアーにフル参戦を開始した。

丸山茂樹と仲が良く日本にいた頃はよく一緒にテレビに出ていた。

優勝歴[編集]

日本ツアー (10)[編集]

勝数
メジャー (1)
ツアー (9)
No. 日時 大会 優勝スコア 打差 2位
1 1995年10月29日 フィリップモリス・チャンピオンシップ・ゴルフトーナメント -10 (67-73-69-69=278) 1打差 日本の旗 湯原信光日本の旗 尾崎直道
2 1996年5月19日 ペプシ宇部興産オープン -20 (68-64-65-67=264) 2打差 アメリカ合衆国の旗 ブライアン・ワッツ日本の旗 中嶋常幸
3 1998年7月26日 アイフルカップゴルフトーナメント -15 (68-70-69-66=273) 1打差 日本の旗 伊沢利光日本の旗 高崎龍雄
4 1998年10月4日 日本オープンゴルフ選手権競技 -5 (72-70-72-69=283) 1打差 日本の旗 尾崎直道
5 1998年12月13日 DDIグループ沖縄オープン -11 (70-67-69-67=273) 3打差 日本の旗 横山明仁
6 1999年11月7日 アコムインターナショナル -19 (66-69-66-68=269) 5打差 日本の旗 深堀圭一郎
7 2000年3月19日 ダイドードリンコ静岡オープンゴルフトーナメント -14 (66-70-70-68=274) 2打差 日本の旗 溝口英二
8 2000年4月30日 中日クラウンズ -10 (69-69-67-67=272) 5打差 日本の旗 日下部光隆
9 2001年4月15日 つるやオープン -14 (71-69-68-66=274) 1打差 日本の旗 河村雅之
10 2001年6月24日 全英への道 ミズノオープン -16 (66-69-68-69=272) 3打差 コロンビアの旗 エドアルド・エレラ

プレーオフ記録 (0-1)[編集]

※太字はメジャー大会

No. 大会 対戦相手 内容
1 2000年 つるやオープン オーストラリアの旗 リチャード・バックウェル プレーオフ4ホール目で、田中がボギー。バックウェルがパー。バックウェルの優勝。

アメリカPGAツアーでの上位入賞成績[編集]

  • 2002年:ディズニー・ゴルフ・クラシック/4位
  • 2003年:全米オープン15位、ベル・カナディアン・オープン&サザン・ファーム・ビューロ・クラシック/2大会で4位
  • 2004年:B.C.オープン/3位
  • 2005年:クライスラー選手権/3位

2005年度の田中は不調に悩んだが、10月の「クライスラー選手権」の3位入賞で賞金ランキング117位に入り、苦しみながらも2006年度の米国ツアーのシード権を確保した。

外部リンク[編集]