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浅野長賢 (広島新田藩主)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
浅野 長賢
時代 江戸時代中期
生誕 元禄6年12月28日1694年1月23日[1]
死没 延享元年9月25日1744年10月30日
改名 万之助、万吉、長賢
別名 民部、大膳(通称)
戒名 大通院
墓所 東京都品川区北品川東海寺
官位 従五位下兵部少輔宮内少輔
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
安芸広島新田藩
氏族 浅野氏
父母 浅野綱長
兄弟 吉長長賢中川久慶、梅、九条師孝室、一条兼香正室、松平資訓継室、於三、
水野忠幹正室ら
長喬三好房高、能姫、瑞仙院
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浅野 長賢(あさの ながかた)は、江戸時代中期の大名通称は民部、大膳。安芸国広島新田藩初代藩主。官位従五位下兵部少輔宮内少輔

略歴

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広島藩浅野綱長の三男として誕生。幼名は万之助、万吉。

宝永7年(1710年)9月18日、6代将軍徳川家宣に拝謁し、松平姓を名乗ることを許される。同年12月18日、従五位下・兵部少輔に任官する。後に宮内少輔に改める。享保15年(1730年)5月11日、兄で広島藩主の吉長から3万石を分与されて、支藩である広島新田藩を立藩した。

延享元年(1744年)9月25日、52歳で死去し、跡を長男の長喬が継いだ。法号は大通院。墓所は東京都品川区北品川東海寺

系譜

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脚注

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  1. 『高田郡史 上巻』高田郡町村会、1972年、p.849。