浅野忠長

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浅野 忠長(あさの ただなが、天正20年(1592年) - 万治3年(1660年)は、江戸時代広島藩筆頭家老。三原浅野家第2代。

父は加藤光泰の重臣大橋清兵衛。母は浅野忠吉の娘。正室は浅野知近の娘。子は浅野忠真。通称作之丞、甲斐。初名大橋吉教。号は因甫。

生涯[編集]

天正20年(1592年)、大橋清兵衛の子として甲斐に生まれる。外祖父浅野忠吉の養子となり浅野家に仕えた。慶長19年(1614年)、慶長20年(1615年)に大坂の役に出陣。元和7年(1621年)養父の死去により家督相続し、紀伊国の重要拠点である新宮(現在の和歌山県新宮市)に入るがしばらくして転封となり、広島藩筆頭家老として重要な支城である三原城へ赴く。明暦2年(1656年)隠居して家督を嫡男忠真に譲り因甫と号した。万治3年(1660年)広島の自邸で死去。享年69。