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浅野長喬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
浅野 長喬
時代 江戸時代中期
生誕 享保17年5月25日1732年6月17日[1]
死没 明和6年12月12日1770年1月8日
改名 鍋次郎、長喬
別名 玄蕃、舎人(通称)
戒名 泰潤院
墓所 東京都港区愛宕青松寺
官位 従五位下兵部少輔
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗家重家治
安芸広島新田藩
氏族 浅野氏
父母 浅野長賢
兄弟 長喬三好房高、能姫、瑞仙院
戸沢正親室、長員
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浅野 長喬(あさの ながたか)は、江戸時代中期の大名通称は玄蕃、舎人。安芸国広島新田藩2代藩主。官位従五位下兵部少輔

略歴

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初代藩主・浅野長賢の長男として誕生。幼名は鍋次郎。

延享元年(1744年)11月19日、父の死去により家督を継ぐ。寛延2年(1749年)2月15日、9代将軍徳川家重に拝謁する。同年12月18日、従五位下・兵部少輔に任官する。子に男子がなかったため、明和6年(1769年)12月10日に本家の広島藩から前藩主宗恒の三男(藩主重晟の弟)長員を養嗣子として迎え、その2日後に38歳で死去した。法号は泰潤院。墓所は江戸貝塚の青松寺

系譜

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脚注

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  1. ^ 『高田郡史 上巻』高田郡町村会、1972年、p.849。