浅野長容

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浅野 長容
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 明和7年2月18日1770年3月15日
死没 文政7年1月6日1824年2月5日
改名 粂之助、長容
別名 左京、兵部(通称)
官位 従五位下近江守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
安芸広島新田藩
氏族 浅野氏
父母 浅野長喬
兄弟 長容池田澄時婚約者
浅野重晟
浅野長訓正室、長訓
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浅野 長容(あさの ながかね)は、江戸時代中期から後期にかけての大名通称は左京、兵部。安芸国広島新田藩4代藩主。官位従五位下近江守

略歴[編集]

2代藩主・浅野長喬の長男として誕生。幼名は粂之助。

父の長喬は長容が生まれる前年の明和6年(1769年)に死去したため、宗家広島藩浅野家からの養嗣子長員が家督を継いでいた。天明8年(1788年)7月1日、11代将軍徳川家斉に拝謁する。寛政12年(1800年)9月10日、長員が隠居したため家督を継ぐ。

文政元年(1818年)、一門から長訓を養嗣子として迎える。文政7年(1824年)1月6日に55歳で死去し、家督は同年6月17日に長訓が継いだ。

系譜[編集]